大胆な取引
ノベルは眉を寄せ、二枚目の紙の中央辺りを指差した。
「では、この情報を得ても、利益に結び付けることができないと?」
「も、申し訳ありません。経済に詳しい貴族へ売るぐらいしか……」
ルインは申し訳なさそうに眉尻を下げて言った。なんとも頼りない。
ノベルはスルーズ商会の行く末に不安を抱くが、ようやく見つけた千載一遇のチャンスを逃すはずもなかった。
「詳しいことはまた後で話します。今すぐ、僕が投資した額の八割をダークマターの所有券購入にあててください」
「なっ!?」
ルインは言葉を失い、目を見開く。
事情がよく分からないのだから、仕方のないことだろう。
この世界の価格変動は大きい。信用取引などという仕組みがなくても十分なほどに。
それはダークマターも例外ではなく、そんな大金をつぎ込んでしまえば、もし暴落した際のダメージは計り知れない。
さらに言えば、その金は金庫番から融資されているもので、利率もかなり高い。
もしそれで失敗すれば、間違いなく破産し、商会の一員から家族まで多くの人々が路頭に迷うことになるのだ。
ノベルはふと目を閉じてみると、彼の娘であるイーリンのことが頭によぎる。首を振り、それをなんとか振り払った。
「お、お言葉ですがノベルさん。それを使ってしまえば、当分の間うちの商売は動きが鈍ってしまいます。経費がかけられなくなるので、情報収集の範囲も狭めなければなりませんし、情報紙の部数も減らす必要がある。もし失敗でもしたら……」
ルインは眉を寄せながら、まっすぐにノベルの目を見て言った。
先ほどまでの気弱さは鳴りを潜めている。
しかしノベルも、一切の
彼は悪魔ではないが、天使でもない。
この商会を破産の危機から救うために投資しているのではなく、自らが利益を上げるために投資したのだ。
「この商会は破産寸前なんですよ? それなのに、失敗したときのことばかり考えているから、勝負に出られず、大きな利益を上げられない。そうやって会長のあなたが尻込みしているから、費用と借金ばかりが膨らんでいくんです」
「お、お言葉ですが――」
真正面から正論をぶつけられ、泡吹いて異論を口にしようとするルインだったが、ノベルの気迫に
唇が小刻みに震えていた。
後ろに立つアリサも、緊張感に息を呑むのが分かる。
そしてノベルは、遠慮なく言い放った。
「はっきり言いましょう。この商会が危機に陥っている原因は、貴族たちの圧力なんかじゃありません。明らかに経営問題だ!」
「………………返す言葉も、ありません」
ルインははっきりと告げられ、ガクリと肩を落とした。
そして執務机に戻ると、ベルを鳴らし部下を呼ぶ。すぐに現れたベテラン風の初老の男に、ダークマター所有券の買い付けを命じた。
彼がすぐに出て行くのを見送ると、ルインは悲壮な表情で力なくソファに腰掛けた。
そして頭を抱えながら問う。
「それでは教えて頂きたい。今回の取引の意図を」
ノベルはなんだか弱い者いじめをしているようで、小さな罪悪感がわいて語気を弱めた。
「今回の取引は、ダークマターの高騰を確信したことによるものです」
ノベルはゆっくり丁寧に説明を始める。
まずは目をつけた情報。それは、各国にダークマターを輸出しているドルガンのパンドラ州で疫病が流行り、思うようにダークマターの採掘が進んでいないということだった。
「根拠は分かりました。確かにドルガンのダークマター在庫減少によって、ダークマターの価格は少し上がるかもしれません。しかし、最大輸出国のヴァルファームは健在です。豊富な在庫を持っているあの国なら、その程度カバーできるのではないでしょうか?」
ヴァルファームは、エルフ族が統治する資源豊かな王国だ。
ダークマターの産出量も世界一で、その輸出によって莫大な国益を上げている。
確かに、ダークマターの供給量低下があっても、ヴァルファームの輸出があれば大した問題にはならない。
「おっしゃる通りです。僕はよく、所有券取引所の売買記録を見ていますが、ダークマターは徐々に上昇し、上値をつけたような気配すらあります」
「ふむ、そうでしょうね。やはり、今から上がる可能性は低いのでは?」
「判断材料がそれだけなら、僕もそう思います。ただ、ドルガンのダークマター輸出先には軍事国家のオリファンもある」
オリファンは、鬼人族が統治する軍事国家だ。
彼ら鬼人族は、知性が高くない代わりに戦闘能力が極めて高く、侵略によって国土を広げている。言わば、全国民が強力な兵士のようなものだ。
しかしそれだけでは、ルインは納得しない。
「それがなにか?」
「今、ダークマターを押さえれば、他国に対して優位に立てる。もちろん、エルフは争いを好まないので、ダークマターの価格を不当に吊り上げたりはしないでしょう。ですが、それが別の国に渡ったら? それも、自国の利益しか考えないような、暴力的な国に」
ノベルは目の色を変えた。
そのときルインは、彼の言わんとしていることをようやく理解したようで、目を見開いた。
「まさか、オリファンがヴァルファームを侵略し、ダークマターの鉱山を独占すると?」
ルインは自分でも言っていることが信じられないというように、頬を引きつらせている。
ノベルは口元に微かな笑みを浮かべ頷く。
「そう、そのときこそ、ダークマターショックが訪れるときです」
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