闇商人

 数日後の夜、ノベルはバグヌスに指定された裏通りを歩いていた。

 散乱したゴミから漂う異臭に耐え、視界の端でうごめくなにかを警戒しながらも、慎重に進んでいく。歩くたびに足元でパキパキという不気味な音が鳴り、神経を逆撫でした。

 井戸の底のように暗く足元もよく見えないが、まともな場所でないことは肌で分かる。

 そのとき突然、肌を撫でていた冷気の流れが変わった。  


「?」


 ノベルは不審に思い足を止めた。

 目を凝らして前方をよく見てみるが、人が近づいて来る気配はない。


「――なんだ、オーク以外が来るなんて珍しいな」


「っ!?」


 突然、真横からささやかれ、ノベルは反射的に飛び退いた。全身が怖気立つ。

 声のした方をよく見てみると、壁際に黒装束を纏い顔をベールで隠した不気味な男が立っていた。その足元には大きな木箱

 恐らくずっとそこにいたのだろう。

 警戒していてなお気付けなかったことに、ノベルは戦慄する。

 ここの闇の深さは底が知れない。

 あくまで冷静に、闇の商人は低く落ち着いた声を発した。


「なんだ、お客さんじゃなかったのか?」


「い、いえ、新入りです。よろしくお願いします」


「ふんっ、手際が悪いな。さっさと金を出しな」


 闇商人は無駄話をするつもりはないと言うように、ぶっきらぼうに言い放った。

 ノベルは、緊張に顔を強張らせながら近づき、バグヌスから預かっていた通貨入りの巾着袋を手渡す。どこの通貨が入っているかは知らされていないが、おそらくテラ通貨ではないと直感する。

 闇商人は素早く袋の中を見ると頷いた。


「確かに」


 そう言って彼はその場から立ち去る。

 置いてある木箱は勝手に持って行けということだろう。

 ノベルが木箱を持ちあげると、それは想像を遥かに超える重さだった。

 以前、血酒商にも投資していたノベルだから分かるが、バグヌスが払ったのがどこの通貨であろうと、あの量で買える重量ではない。

 もし、こんな破格の安さで血酒が取引できるとなると――


(エデンでも噂に聞いた密造か)


 ドルガンのアンダーグラウンドで行われていると噂されていた血酒の密造。 

 希少種の血が持つ健康長寿の効能は、配合量を薄めることで効果も低下し、それは違法となる。

 しかし厄介なことに、味はいくらでも調整できるため、特別な手法で酒の中の血を抽出しない限りはほとんど露呈しないのだ。

 額に冷汗を浮かべたノベルが前を見ると、既に闇商人の姿はなくなっていた。

 

「――主様?」


 思いもよらぬ声をかけられ、ノベルはビクッと肩を震わせた。

 いつの間にかアリサが背後に立っていた。ノベルの名を呼ばなかったのは、この取引の危険性を理解しているからだろう。


「なんでもない。すぐに運ぶから下がってくれ」


「かしこまりました」


 アリサは短い返事をした後、すぐに離れていった。

 彼女はもしものときのための護衛。

 取引に影響を及ぼさないようにと、離れて待機させていたのだが、ノベルが硬直していたから心配して来たのだろう。

 ノベルは木箱を抱え、急いでバロックの元へ行く。


 場所は空き家の裏。カルキス邸のすぐ近くだ。

 ノベルは、そこで待機していたバロックに木箱を渡し、駄賃をもらった。

 仕事量に見合ったもので、非常に少ない。リスクを負ったことへの対価はないらしい。

 これでノベルの役目は終わりだからと、帰るよう告げられた。

 どうもこれ以上の情報を渡すつもりはないようだ。

 ノベルが潔くきびすを返すと、バロックは忌々しそうに鼻を鳴らして、カルキス邸へ向かうのだった。


「――上々だ」


 ノベルは振り返ってバロックの後ろ姿を見ると、頬を緩ませ呟く。

 初めての闇商売で緊張したが、得られた情報は想像以上に有益なものだった。

 


 それからしばらく、ノベルは日中は情報収集をしたり、ノートスの所有券取引所の相場を眺めたりしていた。バグヌスから木箱の運搬依頼を受けるのは、毎日でないため収入は安定しない。

 アリサはそんなノベルのためにも稼ごうと、昔のようにハンターギルドに登録してクエストに出ていた。

 彼女はなにかの目的があるのか、かなりのクエストをこなして荒稼ぎしているようだ。

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