化かし合い
その日、ノベルはバグヌス為替商に再び足を運んでいた。
「――おや? これはノベルさん、いらっしゃいませ。またジール通貨が手に入ったのですか?」
バグヌスは、ノベルの顔を見ると頬を吊り上げ、ニッコリと笑う。バロックは
なんとも白々しい。
金庫番での預金最低額も教えず、だますようにして両替させたことをなんとも思っていないようだ。
ただ、先見の明という点においては、バグヌスの判断は正しかった。
エデンではプリステン家が毒殺されたことをきっかけに、帝国主義から民主主義へと路線変更すると新王のオーキが発表した。これからは国民の選んだ政治家たちが国のために政治を行っていく……とはいっても、急に宰相や大臣たちを変えるわけにもいかず、二年の間は現政権で改革に向けた準備を行っていくようだ。
これにより、低迷していたジールの価値は急騰し、おまけにテラの価値は国内景気悪化の見立てにより急落。
結果的に、今のレートでジールとテラを交換していれば、数週間分の金は浮いたはずだった。
ノベルは悔しさを顔に出さず、平然と答える。
「いえ、ジールは先日に取引した分で最後です」
「そうですか。いやまさか、テラ/ジールのレートがここまで急変するとは思いもしませんでした。もしや、そのことでいらしたのですか?」
バグヌスはうっすらと意地の悪い笑みを浮かべる。
先手を打ってきた。
そんなことをいちいち気にしているのかとでも言いたげだ。
ノベルは動じず、涼しげな表情で言い返した。
「いいえ。あの取引は大変勉強になりましたよ。教えて頂いた金庫番のことも含めてね」
「さて、なんのことでしたかね。商売は化かし合い、と言いますから」
バグヌスはとぼけたように肩をすくめてみせる。
オークの醜い見た目もあって、なんとも憎たらしい。
「それはもういいんです。今回は、また別件の相談があって来ました」
「ほぅ、なんでしょうか? 私にできることであれば、協力させて頂きますよ」
「ありがとうございます。実は私、お恥ずかしながら無職でして……」
ノベルが神妙な表情でそう言うと、バグヌスは目を丸くし、店の奥でバロックが噴き出す。
バグヌスはそれを注意もせず、バカにするかのような薄ら笑いを浮かべた。
「そうでしたか。それは大変だ。もしや、私の仕事を手伝いたいということですかな?」
「その通りです」
「残念ですが、為替商は実際に通貨をやりとりする商売なので、店員の信用がなによりも大事なのです。ノベルさんを信用していないというわけではないのですが――」
「――いえ、手伝わせて頂きたいのは為替商ではありません」
「……はい? どういうことです?」
「僕が手伝わせてもらいたいのは、血酒の取引です」
「っ!」
その瞬間、バグヌスの笑みが凍りついた。
後ろのバロックも手の動きが止まり、ぎょろりと目を光らせノベルを睨みつける。
しかしバグヌスの方は、さすが手練れの商人といったところか、表情を崩すことなく淡々と告げた。
「なんのことでしょうか?」
「貴族の間で出回っている血酒、取り扱っているんですよね?」
「見ての通り、私どもは為替商ですよ? 酒類の取扱いなんてあるわけがないでしょう。でたらめを言うのはやめて頂けたい」
「実は昨晩、バロックさんが闇市場から大きな木箱をカルキス邸へ運ぶ姿を目撃しましてね」
「んなっ!?」
「――ひ、人違いだ!」
突然バロックが叫び席を立つ。椅子はドタンと大きな音を立てて倒れた。
そして彼は鼻息を荒くし、ドスンドスンと床を踏み鳴らしながらノベルの方へ歩いて来る。
魔物のような顔立ちと巨体なだけあって、迫力はかなりのものだ。
だがノベルは、震えそうになる腕を押さえ、気丈に睨み返す。
それをバグヌスが手で制した。
「やめなさいバロック。たかだかお客さんの勘違いだ。ノベルさん、ご期待に応えられなくて残念ですが、これ以上仕事の邪魔をするのなら、出て行っていただきますよ」
バグヌスは険しい表情で告げ立ち上がると、忌々しげにノベルを睨みつけているバロックを連れ、店の奥へ引っ込んでいく。これ以上話を続けるつもりはないようだ。
ノベルは立ち上がり、彼らの背へ「また来ます」と言って店を出た。
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