復讐の誓い

「――どうして……どうしてなんだっ、どうしてこんなことに……」


 茫然と呟いたノベルの手から、情報紙が滑り落ち風によってまた遠くへ飛ばされていく。

 ノベルは瞳の色を失い、のっそり立ち上がりと、ゆらゆらと歩き始めた。


 大切な家族はもうどこにもいない。

 帰るべき場所は本当になくなった。


 オーキか、それとも宰相か、はたまた影から誰かが糸を引いているのか……プリステン家の存在を邪魔に思った者が計画したことに違いない。

 だが、そんなことどうでも良かった。

 助けるべき人がもういないのでは、立ち上がる意味がないではないか。


 ノベルは、次第に暗くなっていく道をあてもなくさまよっていた。

 

「くっそぉぉぉ……」


 路地裏で壁に額を打ち付け、呪詛を吐くかのように低く唸った。

 どれだけ歩いただろうか、辺りはもう夜闇に包まれていた。

 

「なんでいつもっ、いつも僕ばっかり!」


 ノベルはその場に崩れ落ち、感情の発露するままに地面を殴る。

「くそっ! くそぉっ!!」と苛ただしげに連呼して拳の皮が剥けてもなお、殴り続ける。


「――うるせぇよっ!」


 怒鳴ってきた男へノベルが顔を向けると、相手は「うっ」と怯んで舌打ちし、足早に去って行く。

 ノベルの顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。

 心は絶望に染まり、瞳にはどんよりとした暗黒。

 彼はのっそりと立ち上がると、泊まっている宿とは逆方向へ歩き出した。


「もうダメだ。なにもかもなくなった……」


 肩を落とし、手をぶらぶらと揺らして幽鬼のようにさまよう姿は、元王族にはとてもではないが見えない。

 あまりにも残酷な結末だった。

 家族殺しの犯人に仕立て上げられるぐらいであれば、あのとき一緒に捕まってしまった方が楽だったのかもしれない。


 しばらくあてもなく歩き、ノベルは自分がどこにいるのかも分からなくなっていた。


「レイラ……」


 もういなくなってしまった妹の笑顔を思い浮かべ、表の通りに並ぶ建物の壁に寄りかかる。 

 夜空に輝く星々は雲に覆われ、次第に雨が降り出した。

 ノベルは全身を打つ冷たい雨に身を浸し目を閉じる。


 しばらくして冷静になってから目を開ける。

 頭を冷やしたところで、絶望的な現実はなにも変わらないが……

 そのとき、視界の隅を黒い影が掠めた。

 ノベルがぼーっとした虚ろな目をそちらへ向けると、路地裏の方から大きな木箱を抱え出てくるオークがいた。

 バグスヌ為替商にいた、オークのバロックだ。

 彼は挙動不審に周囲を見回し、急いで通りを横切っていく。

 ノベルは興味もなかったが、なんとなくその後を追った。


「――俺です」


 バロックが訪れたのは、豪勢な屋敷だった。

 大きな扉が開くと、バロックは爛々らんらんと輝く屋敷へ足を踏み入れる。

 しかし妙だった。

 バロックはそもそも為替商だ。まさかあの木箱に大量の通貨が入っているとは思えない。

 それにバグヌス商会の資金力があれば、わざわざ自分が行かなくても、適当な者を雇えばいいはず。それに、なぜ貴族との繋がりがあるのか。

 しばらくしてバロックは屋敷から出てきた。その手にはもう木箱はない。

 ただ、ずっしと重そうな巾着袋を腰に下げているが。

 彼がそそくさとその場を後にすると、ノベルは屋敷の正面に近づき表札を見てみた。


「カルキス……」


 その名を呟いたとき、数日前のシグムントとの会話を思い出す。


 ――なんでも、血酒で大儲けしてるって噂だ――


 そのとき、ノベルの目が光を取り戻す。

 暗く濁った色の光を。

 

「ははっ、あはははははっ!」


 彼は狂ったように、両手を暗黒の夜空へ広げて笑う。

 全てが腑に落ちた。

 なぜ、為替商のバグヌスたちがあんなに金を持っていたのか。

 なぜ、そんな金持ちが闇市場のはびこる路地裏から出て来たのか。

 なぜ、為替商があんな大きな木箱を持っていたのか。

 なぜ、為替商とカルキスが繋がっているのか。

 なぜ、カルキスは血酒で儲けることができるのか。

 

 その理由に思い至ったとき、ノベルの心にどす黒い炎が灯った。

 そして、カルキスの屋敷に背を向け、力強く歩き出す。


「もう僕には、失うものなどなにもない。それなら、闇にだって投資してやる。そして、エデンを――」


 ノベル・ゴルド―という仮面を被ってもなお、ランダー・プリステンは死せず。

 今ここに、祖国への復讐の誓いを立てるのだった。



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