無慈悲な金庫番

 外はもう日が暮れ始めていた。

 この国に来てまだ一日だが、つい先日まで一国の王子だった者にとっては、この上ない疲労感がだった。

 ノベルは、適当な露店で五個入りのパンと野菜のパックと、ほんの少しのスライスされた肉を買い、適当な公園を見つけ木の下に腰を下ろす。

 相変わらずゴミが地面に転がり、他にも寝転がっている人々がいた。

 ノベルはパンを取り出して真ん中を裂くと、野菜と肉を詰めて口に運んだ。


「かたっ……」


 文句を言ってみたものの、手と口は止まらず、喜びを感じる間もなく食べ終わってしまった。

 もう一枚、とパンの入った袋に手を突っ込むが、そこで止まる。

 我慢だ。

 こうやって食費と宿泊費を抑えることができれば、今の手持ちでも数か月は生きていける。体力が保ちさえすればだが。

 

 ボーっとしているうちに、辺りは暗くなった。

 ノベルはなにもする気が起きず、そのまま木の下で寝転がる。

 気候は寒くも暑くもなく丁度良かったのが不幸中の幸いだ。


「なんでこんなことに……」


 ノベルは思わず呟いていた。声が震えている。

 疲れのせいか、はたまた栄養不足のせいか頭は回らず、ただただ悲しみだけが心を支配した。

 

 ――どうして僕なんだ――


 かつて、病床で嘆いていた日々を思い出しながら、意識は奈落の底へ――


「――ん………………ぅん?」

 

 次に目を開けたとき、既に日は昇っていた。

 ゆっくり起き上がって目を軽くこすると、自分の目元が濡れていることに気付く。また生前の無念を、夢に見ていたのかもしれない。

 わけも分からず転生したが、この世界では楽しく生きられると思っていた。

 だが現実は残酷で、今回も自分ではどうしようもない不幸が襲ってきた。

 結局、前と同じだ。


「………………違う」


 ノベルは呟き、膝を叩いて立ち上がる。

 木の影から出て、頭上を見上げた。


「あのときとは違う。今なら自分で手も足も動かせる。自慢の知識も活かせるんだ」


 ノベルはすぐに朝食を済ませ、バグヌスからもらった地図を頼りに金庫番へ向かった。

 可能な限り、生活を切り詰めて余らせた金を金庫番に預ければ、金利で多少はマシになるはずだ。


 どうやら、ノベルが目覚めた時間は朝早かったようで、一時間以上歩いて金庫番まで辿りついたが、まだ開店していなかった。適当に周辺をぶらぶらと歩いて早朝の町を眺め、露店が開き始めてから改めて戻る。

 金庫番の建物は、小さな倉庫というのが適しているような飾り気のない、四角い外観をしていた。

 店内はハンターギルドの雰囲気に近く、奥にカウンターがあり、壁際には机と椅子がまばらに並んで、商談ができるようになっているようだ。

 ノベルはテラ通貨の詰まった巾着袋を握りしめ、カウンターへと歩いて行った。


「――残念ですが、額が少なすぎます」


 応対した担当――犬の獣人は、突っぱねるように言った。眉にしわを寄せ、不機嫌さを隠そうともしていない。

 ノベルは納得がいかないと言い返す。


「どういうことですか? 金を預けるのに、額が少ないから無理だというんですか? そんな金庫番、聞いたことがありません」


「あのねぇ、あなたがどこから来たのかは知らないが、このノートスの金庫番では、どこもこういう決まりでやってるんですよ」


「そんな……それでも、少なすぎるなんてことはないはず。あとどのくらいあれば預金できるんですか?」


「その五倍はいるなぁ」


「んなっ!?」


 ノベルは今度こそ絶句する。

 これでも十万ジールに相当する額だ。

 このノートスでの生活を考えると、数ヵ月は生きていける。

 まさかこの金庫番は、貧民相手には商売をしないつもりなのか。


「……だまされた」


「はい?」


 悔しげなノベルの呟きに、獣人は怪訝けげんそうな表情を浮かべる。

 しかしノベルが怒りを感じているのは、バグヌスに対してだ。彼も為替商なら、両替用の通貨を金庫番から大量に借りているはず。それが預金可能な最低額を知らないなんてこと、あるはずがない。

 

「くそっ」


 ノベルはカウンターに置いていたテラ通貨を、巾着袋に一枚一枚戻し始める。憤怒で顔が歪みそうになるのを抑えながら。

 バグヌスは、顧客への誠意をないがしろにしてまで安いジールを手に入れた。つまり彼は、ジールの価値が戻ることに賭けていたのだ。エデンをよく知るノベルよりもずっと強く。

 それが無性に悔しかった。

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