為替商
「――いらっしゃいませ」
ノベルは入ってすぐ、かけられた声に目を向けて固まった。
彼を出迎えたのは、
緑の肌色をしていて、潰れたような豚鼻に左右の口の端にはみ出た牙。
知性が低く、モラルよりも欲望を優先するという種族『オーク』だ。
オークの男は、固まってしまったノベルを見て首を傾げる。
「どうされました、お客様? もしや、オークを見るは初めてですか?」
「え? は、はぁ」
オークの意外と丁寧な物言いに、ノベルは気の抜けた言葉しか返せない。
完全な不意打ちだ。
エデンでは、基本的に人間族が住まう国家で、たまにレブナントからの獣人族もいるが、国を出たことのなかったノベルは、オークを見たこともなかった。
オークの商人は、悪徳な高利貸しや奴隷商、違法薬物の取引などでしか聞いたことがない。大抵は欲望のままに生き、利益を最優先する姿勢はときに大成功を収めることも破滅することもあるという。
「ここへ来たからには、外貨の両替がしたいのでしょう? どうぞこちらへ」
カウンターのオークがそう言うと、横から瓜二つのもう一体のオークが現れ、手前の椅子を引いて座るよう手で促してくる。
ノベルは緊張でごくりと喉を鳴らし、オークの向かいに座った。間近で見ると凄い迫力だ。恐怖すら覚える。
「申し遅れました。私は店主の『バグヌス』と申します。こちらは弟のバロックです」
バグヌスは
ノベルは「ノベルです」とだけ名乗ると、冷静さを取り戻すべく深く息を吸い、懐から小袋を取り出しカウンターテーブルに中身を出した。
「このジールをテラに交換したいんです」
「ふむ、ジール通貨ですか。ここらでは珍しい。バロック、レート表をお持ちしなさい」
バグヌスは興味深々にジールの枚数を数え始め、バロックは店の奥でがさごそと棚を
その間、ノベルは冷静になって店内を見回してみた。
全体的な色合いは暗く、先ほど入った喫茶店とは違って装飾品もそれなりに置いていた。バグヌスも腕に金のバングルや首に透明に輝く
為替商は、基本的に交換の手数料と、為替相場の価格変動に合わせて売買し、差益を得ることで収益を上げている。ゆえに為替トレーダーとしてかなりの手腕が求められるが、外から見た店の雰囲気といい、金の使いようといい、上手くいっているようだ。
オークだからとあなどってはいけないのかもしれない。
「これは……残念ですなぁ」
「えっ? こんなに暴落してたのか……」
ノベルはバロックの置いたレート表を見て肩を落とす。
ジールの価値は数日前と比べ、かなり落ちていた。十中八九、レイス王の失脚による影響だろう
テラの価値も相当に低いようだが、今のレートで交換したら損のような気がしてくる。これは、この数日分の金だけ得て、ジールの価格が少し戻ってから残りを交換すべきか。そうすれば、より多くのテラが手に入る。
ノベルはそう判断し、三分の一程度のジールをバグヌスの前へ置き、両替を依頼する。
「ふむ……」
しかしバグヌスはすぐには返事をしなかった。
そのぶ厚いあごに大きな手を当て、何事か思案している。
そして不気味な微笑を浮かべた。
口の隙間からかすかに覗く前歯は、金に輝いている。
「そういえば、この国の政策金利をご存知ですか?」
「え? いえ……」
「8%です」
「そ、そんなに!?」
ノベルは動揺した。
政策金利8%など、隣国でも聞いたことがない。
そう聞くと、途端にテラという通貨に魅力を感じた。
「そうなんです。他の国ではありえないことでしょう? エデンはどのくらいでしたかな?」
「……ほぼゼロです」
「おぉ、そうでした!」
バグヌスは大げさに頷くが、どうも反応がわざとらしい。
警戒心を強めるノベルへバグヌスは問うた。
「エデンへ戻られるご予定は?」
「当分はありません」
「でしたら、ジール全額との交換を推奨したいですな。最近のジールは、価格変動が激しいですから。なんでも、エデンの王様が罪を犯して捕まったのだとか。今の下落基調は当分収まりそうになりませんねぇ」
バグヌスはそう言ってあからさまなため息を吐いてみせる。
知った風なことを、とノベルは内心腹を立て眉をしかめるが、バグヌスは気にしない。
彼らからは、どうも怪しい雰囲気が漂っている。
だが、言っていることも一理ある。
ジールの回復に賭けて後日また交換するというのは、手数料も余分にかかるためリスクは低くない。
「はぁ」
ノベルは深いため息を吐き、ジールの全てをバグヌスに渡した。
最後に彼をひと押ししたのは、金利だった。
バグヌスは破願し、バロックに命じてすぐにテラを用意させた。
「そろそろ日も暮れますので、明日にでも金庫番へテラを預けてみてはどうですか?」
バグヌスはそう言って、机に重ねられていた紙を一枚とり、素早くなにかを書き込む。
渡されたそれを見ると、簡易的な周辺地図だった。
金庫番は少し離れたところにあるようだ。
「このたびはバグヌス為替商会をご利用いただき、誠にありがとうございました」
バグヌスの上機嫌な声を背に、ノベルはなんともスッキリしない気持ちで店を去るのだった。
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