小国ノートス

 店に入ると、優しそうな長身痩躯の店主がカウンターの奥でグラスを磨いていた。

 店内は清掃が隅々まで行き渡っているようだが、特に飾りつけるような物は置いておらず、金をかけていないようだ。落ち着いた雰囲気とも言えるが、どうも暗い。それに店主以外に店員はおらず、やはり外で感じた印象はぬぐえなかった。


 時間はもう昼のようだ。

 イーリンが慣れた動きでカウンターに座ると、ノベルも並んで座り、羽織っていた外套を椅子に掛ける。

 イーリンはすぐにお茶を頼み、ノベルがどうしようか迷っていると、


「外からいらしたんですよね? お金は大丈夫ですか?」


「それは……」


 ノベルはようやく思い出す。

 リュウエンから渡されたドルガンの通貨リュートを紛失してしまったことに。

 他になにかないかと外套の内ポケットに手を突っ込んでいると、なにかを掴んだ。テーブルに出してみると、それはエデンの通貨ジールだった。ハンガス工房に立ち寄ったときに、リターンとしてもらったものだ。

 店主は興味深そうに顎に手を当て、イーリンも身を乗り出して丸く小さな通貨の絵柄を覗き込む。


「これ、どの国のお金ですの?」


「エデンていう国だよ。もしかして、ここでは使えないのかい?」


「そうですねぇ、この国の通貨は『テラ』なので」


 それを聞いてノベルはため息を吐く。

 リュートでもジールでも、どちらにせよ、為替かわせ商でテラというこの国の通貨に交換しないと使えないようだ。

 しかしそうなると、今は手持ちがない。


「大丈夫、ここは私が出しますよ」


「え? そんなの申し訳ないよ」


「いいの、いいの。お姉さんに任せてくださいな」


 イーリンは楽しそうに笑って小さくない胸を張る。目の端を緩め、嫌がる素振りはまったくない。しかしお姉さんとは言ったが、童顔なためノベルの年下にしか見えない。

 そんな女の子にお金を出してもらうなど、情けないにもほどがあるが……ノベルの空腹も我慢できるレベルではなかった。昨日の朝まで王城で王子として何不自由なく優雅に暮らしていた者が、昨晩からなにも食べていないのだ。無理もない。

 恩は必ず返すと誓い、ノベルはお茶とサンドイッチを注文する。


「――美味しい……」


 すぐに出てきた、肉入りのサンドイッチを食べたノベルは思わず呟いた。

 どうしても城で食べていたものより質が劣る。それでも、今のノベルには今までで一番満足度が高く、一心不乱にかぶりついた。

 イーリンも店主も黙って優しげな目を向けているが、王族の気品など忘れ、一気に平らげた。

 まだ空腹感は満たせていないが、贅沢を言っている場合ではない。


「ご馳走さまでした」


「ふふっ、少しは落ち着きました?」


「あ、ああ」


 イーリンが頬杖をついて言い、ノベルは途端に恥ずかしくなって口ごもる。


「ところで、あなたは高貴な身分の方だったのですか?」


「えっ!?」


 ノベルはドキッとしてイーリンの目を見る。

 自分が王族なのがバレたのかと思いきや、彼女の目線はノベルの服に向いており、服で判断したのだと悟った。

 確かに上に羽織っていた外套は、城下町で王子だと気付かれないように無地の庶民的なものを着ていたが、下には純白の毛皮で仕立てられたスカーフに、細かな刺繍が施された上質なベスト。

 これでは一目瞭然だ。


「今はもう地位を追われたけどね」


「そうだったんですか……」


 ノベルは自嘲気味に笑い、イーリンは気まずそうに目を逸らす。

 店主も背を向けて洗い終えた食器を拭いている。

 重苦しい雰囲気になりそうだと思ったノベルは、慌てて話をそらす。


「そういえば、ここはなんていう国で、場所はどの辺りなんだい?」


「え? ご存知なかったんですの? ここは『ノートス』という国です。場所はというと……」


 イーリンは目を丸くして答え、場所についてどう説明しようかと、困ったように頬に手を当て首を傾げる。

 そこでノベルは、本来行く予定だった場所の名を出した。


「もしかして、ドルガンのコンゴウ州が近くにある?」


「コンゴウ州? ドルガンは分かりますが、コンゴウ州とはどんなところでしたか……」


 イーリンは眉を寄せ、ますます悩んでしまった。

 ノベルは軽い衝撃を受ける。さすがに経済大国であり、世界の基軸通貨であるリュートを扱っているドルガン連邦国は知っていて当然だが、それでもその州の一つであるコンゴウを知らないのは予想外だ。いくら辺境とはいえ、製造業が発達していることで有名なのに。

 それを見かねた店主が助け船を出す。


「あるよ。近くとまではいかないが、商人たちがよく行き来していると聞くね」


「あっ、思い出しましたわ! 以前、父が商売で行ったとか。ノベルさんは、そこに行こうとしてるんですか?」


「……いや、もうそのつもりはないかな……」


 ノベルは声のトーンを落とし下を向く。

 本来はコンゴウで、リュウエンからもらった資金を活かして商売をする予定だったが、それを失った今行ったところでなにもできやしない。

 すると、イーリンはホッと安堵するように息を吐いた。


「それは良かった」


「ん? どうして?」


「外は危険ですので。この時期、魔物がよく出ますの。だから商人たちも護衛を雇って行き来しますし、今のノベルさんじゃ厳しいでしょうから」


「そっか」


 ノベルは考えを改める。

 ここはエデンとはなにもかも違うのだ。

 エデンの周辺では、凶暴な魔物はあまり出ないし、もし出てもすぐにハンターギルドが依頼を出して討伐し金に変える。

 以前聞いた話では、発展途上国の周辺は未開拓の地域が多く、魔物も頻繁に現れて危険だという。だからこそ、他国との貿易に必要以上の金がかかったり、そもそも取引を嫌がられたりするから国の発展が難しいのだ。

 それではドルガンやエデンのように進んだ技術が伝わってこない。


「むしろチャンスか……」

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