第25話 強襲③

「御大将、今川義元! この毛利新介が討ち取ったり!」


 泥と血にまみれた毛利新介は、義元の首を高く掲げ、叫びながら周囲を走り回った。

 義元が死んだと聞くと、残った今川本陣の兵は蜘蛛の子を散らすように、各々逃げ出した。しかし、土地を知らない今川兵は沼にはまったり、深田に足を取られたりして這いつくばっているところを、追手の織田兵に槍で次々と突かれた。


 今川本陣以外の部隊も、「今川義元、討死」の報を受けると、先を争うように、駿河へ撤退していった。しかし、今川軍の名だたる城主の中には、命よりも義を重んじ、義元の弔い合戦として勇敢に戦う武将もあった。

 二俣城主、松井宗信もその1人で、一門一党、2百人とともに、枕を並べて討死した。また、三河の居城、岡崎城主で、三河三奉行の1人、山田景隆も少数の手勢で織田軍に突撃し、敢え無く討死した。そのため、岡崎城は城主不在となり、命からがら三河まで敗走した松平元康が、岡崎城へ無事帰城することが可能になった。

 元康は、義元の偉大さを知っているからこそ、信長の恐さを思い知ることになる。戦後、織田家と松平家は同盟を結ぶが、元康は信長から散々な扱いを受け続けることになる。しかし、決して信長に逆らおうとはしなかった。また、戦においては常に冷静に、慎重に慎重を期すようになった。のちに、天下人になる若き元康にとっても、この戦は重要な転機となったのである。


 一方、伊勢湾より熱田の制圧を任されていた、服部党の服部左京助は、軍船約千艘を率いて、熱田付近まで迫っていた。その時、今川軍敗退の報が入り、あっさり撤退を決意する。しかし、信長に一泡吹かせる機会と見て、ただでは帰らず、熱田へ火を放とうとした。

 ところが、信長のお膝元で、馬廻りを多く排出する熱田の町人も只者では無かった。海岸へ押し寄せる服部軍を引き付けると、弓や鉄砲まで使って狙い撃ちにしたのである。船上の服部軍は避けようもなく、数十人が一気に討死した。左京助は、「元々、義元に乗せられて受けた戦、これ以上の犠牲はつまらん」と言い放ち、そそくさと撤退していった。


 掃討戦が落ち着くと、信長は中島砦に戻っていた。また、信長本隊の兵も次々と戻ってきていた。皆、体中についた泥をまき散らしながら、疲れ果て、重たい足取りだったが、顔だけは晴れ晴れとし充実していた。手には、1つ2つ、中には3つも敵の首級を持っている者がおり、各々が自らの武功を言い合っていた。


 政綱は、兵が帰還するたびに、その方を見て、我が子の姿を探した。暫くして、帰還兵の中に、ぐったりとした足取りの広正を発見すると、すぐさま飛びついて肩をゆすった。


「よくやったな! 本当によくやった」


 涙ぐむ政綱に、広正は笑顔で答えるのがやっとだった。話したいことは山ほどあったが、今しがた起こった奇跡のような出来事を、頭で整理するには、もう少し時間がかかりそうだった。



 砦で休息をとる信長の元には、敵の首級を持った兵が、次々と押し寄せてきた。しかし、信長は


「明日、清洲で首実検をする。その時に持って参れ」


 と言い放ち、見ようとはしなかった。しかし、帰還した毛利新介だけは呼び寄せ、義元の首を持ってこさせた。


「義元の首に相違ない。よくやった」


 そう言って、労をねぎらう信長の顔は、達成感こそあるものの笑顔はなかった。信長は義元の首を受け取ると、陣幕で1人になった。そして、一際高い首台に、首を据え、深々と頭を下げるのだった。


 義元の首が間違いなく本物であると確認した信長は、その首を、自らの馬先へ大事そうに吊るし、清州城へ帰って行った。今朝来たばかりの道を、そのまま素早く逆走し、その日のうちには清州城へ帰還した。



こうして、桶狭間の戦いは、刃を交えてから、たったの1日で終結した。まさに、信長らしい嵐のような戦だったのである。

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