第20話 策略③
信長は、家臣を集め、持ち前の大声で大演説を始めた。
「皆の者、よく聞け! 敵軍は、宵に食事をとってからこのかた、夜通し行軍し、大高城へ兵粮を入れた。そして今朝、鷲津、丸根砦で戦い、疲労困憊である。それに対し、我軍は新手である」
信長の目的は当然、桶狭間山の義元本陣であるが、家老衆に大高城方面の攻撃を匂わせた。人間は追い詰められると自分に都合の良い解釈をするものである。家老衆は、信長が大高城を攻め、そこの兵糧で籠城し、期を伺うつもりなのだと思い込んだ。
確かに、元々大高城にいた兵は、長期の兵糧攻めから解放されたばかりで、まだ体力は回復していないだろう。あと城内にいるのは、丸根砦で戦闘を行い、大打撃を受け休息をとっている松平勢だけと聞いていた。それならば可能性はあるかも知れない、と考えた。
そして、演説を聞いていた今川の間者も、信長の狙いは大高城だと考え、急ぎ義元へ報告に走った。
信長は、さらに演説を続ける。
「それに『小軍なりとも、大敵を怖るる事なかれ。運は天にあり』という言葉を知っておろう? 仮に、敵が反撃してきたら退き、敵が退いたなら追えば良い。逃げる者を追って、ひねり倒し、追い崩すことは容易かろう」
通常の指揮官であれば、何があっても逃げずに戦え、と言うものである。しかし、敵が攻めてきたら逃げてもよいと信長は明言した。出撃に対する心理的障害を低くしようとしたのである。
さらに、
「分捕りはするな。そのままにしておけ。勝てば、この場にいる者の功績が家宝となり、末代まで語り継がれる名誉となる!」
と、最後は名誉の戦いであることを強調し、締めくくった。
信長の演説は、頑固な家老衆をも動かした。丸根、鷲津砦での攻防で疲弊した大高方面の今川軍へ攻めるなら、と出陣の支度を始めだしたのである。信長は、家老衆の説得に、大学や玄蕃の奮闘を利用した。そして、それが見事、効果的に働いたのである。
その後、前田利家をはじめ、前線で戦っていた家臣が、それぞれ戦果の首を持ってやって来た。演説の内容は彼らにも伝えられ、さらに指揮は上がった。
それらを取り込み、中島砦に集まった織田軍は2千5百となっていた。
信長の狙いは大高城、との報告は、直ちに義元の元に届いたが、義元は、にわかには信じなかった。
『大高付近には朝比奈隊も待機させている。城を獲るのは難しかろう。仮に、獲ったところで、勝算のない籠城戦に持ち込むしかあるまい…真の狙いはあくまで、この本陣のはず』
しかし、義元の疑り深い性格は、献身的に働いてきた元康にも懐疑の目を向けさせた。
『ただ、元康が信長と通じている可能性はある。合流されると厄介になる…』
そう考えると、義元の決断と行動は早かった。直ちに、指令を送ると、高見山の前衛部隊を配置換えさせた。
もっとも北の中島砦を頂点として、南東の桶狭間山、南西の大高城は、ちょうど三角形の位置関係だった。中島砦、桶狭間山の中間地点にある高見山の部隊を、西の大高方面に移動させることで、信長がどちらを選択しても、織田軍を補足できるように備えた。仮に、前衛部隊が見逃しても、見晴らしの良い桶狭間山からなら、織田軍を発見できると考えた。
義元の判断は間違いではない。むしろ、慎重かつ大道の戦略と言える。ただし、信長にとっては狙い通りだった。
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