第17話 開戦③

 一方、広正は仲間の土豪達と連携し、情報収集を続けていた。政綱の説得のおかげで、大半の土豪は織田方についてくれている。中には、今川へなびく者、どっちつかずの者もいたが、誰もそれを責めることは出来なかった。


 義元が到着した日から、広正ら土豪衆は農民の恰好をし、つぶさにその動向を偵察していた。義元は、到着したその日のうちに桶狭間山へ人夫を派遣し、草木を刈ったり、柵の材料を集めたりと陣を張る下準備を進めていた。ただし、それがこちらを惑わせる偽装の可能性もあった。義元が城を出るかどうかで作戦の内容は大きく変わる。広正達は義元の行軍経路と予測される大高道などを中心に、20人近くの人員を配置し、注意深く動向を探っていた。


 そして、今日の朝、仲間から義元の輿が大高道を通っているとの報告があった。一先ず、沓掛城からは出てくれた。しかし、丸根と鷲津の両砦が堕ちたことで、桶狭間山に陣を張らず、大高城へ直接着陣する可能性もあった。広正は、はやる気持ちを抑えきれず、桶狭間山へ走った。義元の顔を知らなかったが、幸いなことに、4年前の三河での守護会談に参加した土豪仲間がいたため、一緒に連れて行った。


 桶狭間山近くまで来ると、高価な鎧を身にまとった騎馬武者や、屈強な体格をした兵が多くいる物々しい雰囲気の一団が、桶狭間山に登っているのを確認した。


『いた! 輿だ!』


 広正は、危うく叫びそうになったのを、必死でこらえた。一団の中に、輿で移動する大将を見つけたのである。ただ喜ぶのはまだ早い。影武者の可能性もある。一緒に来た仲間の顔を、恐る恐る見た。仲間は、やっと聞こえるほどの小声で、しかし大きく頷きながら答えた。


「間違いない。あの輿も、あの顔も良く覚えている!」


 広正は、その目で見ても、まだ信じられなかった。なぜ、わざわざ桶狭間山に陣取るのか。ともかく信長の予言が当たったことで、さらに信長を畏怖するのだった。


 その後も、本陣の陣立てを観察していた所、敵が予想外の動きを見せ始めた。慌てた広正は、仲間に後の監視を任せると、急いで善照寺砦へ戻り、信長の到着を今か今かと待った。



 信長一行は、熱田から善照寺砦へ向かっていた。海沿いの道が最短距離だったが、義元の狙い通り、潮が満ちていたため通れなかった。やむなく迂回して進んだが、信長は、義元の企みなど関係ないと言わんばかりに駆けに駆けた。


 そして、丹下砦を通過したかと思うと、善照寺砦へ滑り込むように着陣した。


 信長は、馬から飛び降りると、真っすぐ物見櫓へ向かった。途中、駆け寄ってきた広正を見つけると


「ついて参れ!」


 と怒鳴り、梯子に飛びついたかと思うと、あっという間に登って行った。広正は挨拶をする間もなく、懸命に追いかけた。

 頂上に着くと、すでに信長は、かぶりつくように桶狭間山を見ていた。


 そして、広正の目にも桶狭間の景色が飛び込んできた。しかし、その風景は半年前、信長と一緒に見たそれとはまったく異なっていた。山々からは殺気が溢れ、風に乗って血の匂いが運ばれてくるようだった。


信長は、早速戦況を聞いた。


「丸根と鷲津はどうなった?」


「早朝には陥落、大学様と、玄蕃様は討死」


 一瞬、信長の表情が曇ったように見えたが、すぐに元に戻った。


「義元は?」


 信長は矢継ぎ早に質問をした。


「信長様のご推察通り、桶狭間山に着陣。人馬を休めつつ、陣立てを進めております」


「陣容は?」


「本陣の総数、5千。山頂付近に旗本1千、こちら(北西)の方角に山の中腹まで3段に分けて柵を設け、それぞれ守備兵1千を配置している模様」


 広正は、信長の質問に対し的確に答えていたが、急に不安げな声で報告した。


「1つ問題が…義元本陣の前衛部隊が1千ほど。高見山に陣取っております」


「む…!」


 信長も厳しい声を発すると、高見山を睨んだ。


 高見山は、善照寺砦から南にある中島砦と、桶狭間山のちょうど中間地点にあった。信長の動きを把握し、けん制するため、義元が配置したのだった。


「どう思う?」


「あの位置は…まずいことになりました…」


 信長も同感だった。あの前衛部隊は厄介な存在になると考えていた。

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