第14話 進軍②

 そして5月17日未明、今川軍は、たった5日という速さで、沓掛城へ悠々と着陣した。沓掛城は、それ程大きくはなく、場外にまで兵が溢れていた。


 義元は、到着するや否や、軍議を開いた。そこには、三河で合流した松平元康の姿もあった。


「行軍、大儀であった」


 義元は腰を下ろすと、まずは落ち着いた口調で労った。そして、早速指令を出した。


「(朝比奈)泰朝、元康! そち達に先鋒を任す。泰朝は、明日休息をとり、明後日、潮が満ちてくる夜明け前、鷲津砦を攻めよ。同時に、元康は丸根砦を堕とせ」


 清州方面から各砦へ通じる最短距離の道は海沿いのため、潮が満ちると通れなかった。攻撃開始の時間を、満潮時に合わせることで、信長の援軍の足を止める狙いがあった。義元は、桶狭間の地理も熟知していたのである。


「は!」


 泰朝と元康は、子気味の良い返事を返した。それを聞くと、義元は元康に向けて続けた。


「それと、大高は切迫しておる。元康の三河勢は、明日中に大高へ兵糧を入れよ。丸根へは大高から攻めるが良かろう」


「は!」


 元康は、先ほどと同じく返事を返したが、内心は不服だった。自分たちには休息がない上、荷駄隊扱いされたのが面白くなかった。しかも敵中を突破して、危険で重労働な兵糧運びをする上、間髪開けずに、砦攻めに入らなければならない。

 いくら、三河からの合流で行軍距離が短かったとしても、負担が大きいのは明らかだった。しかも、わざわざ「三河勢」と付け加えるところに、義元のしたたかさを感じずにはいられなかった。


 しかし、元康としては、松平家の立場を良くするために、少しでも手柄をあげておかなければならない状況なのは間違いなかった。義元は、そんな元康の心理も利用していた。ただ、元康を認めていたからこそ、重要な先陣を任せたとも言える。


「丸根、鷲津が陥落したら、本陣を大高に移す。我が軍は数に勝れど、決して油断せぬよう」


と、最後に義元は、家臣全員に対し念を押した。



 軍議の後、元康の側近は小声で進言した。


「元康様、我が手勢だけで兵糧入れは危険すぎます。朝比奈殿に力を借りられては…」


「無用! どうせ砦からは出てくるまい」


 義元の前ではさすがに我慢したが、元康は苛立ちを隠せないでいた。このとき、元康は若干19歳である。自尊心を傷つけられ、意地をはってしまうのも無理なかった。



 翌、5月18日の朝。


 指令通り、元康は自らの手勢、千人あまりで大高城を出た。米俵を馬に乗せ、馬の周りを守備隊で囲む。その上、遊撃隊も待機させ、万全の状態で行軍するのだった。

 途中、梅雨時で広がった沼に、兵や馬の足が何度も取られ、予想以上の時間がかかった。そして、やっとの思いで丸根砦付近まで辿り着いた頃には夕刻となっていた。これ以上遅れれば、明日早朝の砦攻めに支障をきたしかねない。


 元康は、強引に丸根砦の傍を突破せざるを得なかった。内心、砦からの出撃を恐れていたが、砦は無人かと思われるほど静かなものだった。拍子抜けするほど、あっさり兵糧入れは成功した。


 大高城主、鵜殿長照は大喜びし、元康を手放しで歓迎した。城を救うため、敵中、決死の兵糧入れを成功させた英雄として元康を称えるのだった。気恥ずかしさはあったものの、元康は少し報われた気がした。



 元康が兵糧入れに成功したことにより、明朝の満潮時に砦への攻撃があることは、容易に予測できた。丸根砦を任された佐久間大学、鷲津砦を任された織田玄蕃も、開戦近しとの確かな情報を掴み、夕方ごろから信長へ相次いで報告した。


 信長は、報告を聞いても、いつも通り日課である鉄砲の鍛錬を続けていた。それが終わると、家臣達と夕食をとるため夜の会合に参加した。重臣たちは、血相を変えて信長の元へ集まってきた。


「おう、勝家。先日、お前に貰った馬はよく走るな」


 突然、世間話を始めた信長に家臣たちは戸惑いを隠せなかった。その後も、戦の話を一向にしようとしない信長に対して、家臣の1人がたまらず口を挟んだ。


「信長様! 戦の協議を…」


 しかし、信長は他人事のように


「もう夜も遅い。帰って休め」


 と言い放つと、軍議すらせず、家臣たちを家に帰した。

 家老の中には、帰り際に


「命運尽きれば、名君の知恵も尽きるか」


 と嘲笑する者もいたが、信長はそれを見逃していなかった。

 信長は、この危機的状況をも、真の忠臣と、そうでない者を見分けるのに利用するのだった。

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