第6話 恩賞②

「ご苦労だった。おかげで良い視察になった」


 簗田の屋敷に戻った信長は、政綱の前で改めて広正を労った。


「見事な地図だった。ただ詳細なだけではない。戦に必要な情報が書かれている」


「お褒めにあずかり、ありがたき幸せ」


「後で褒美を取らす」


 信長の言葉は有難かったが、広正は頭を下げて、丁寧に固辞した。


「恩賞は戦で勝ってから頂とうございます」


 すると、信長は軽く顔をしかめて答えた。


「恩賞はな、気分でやってる訳ではない。賞罰によって、儂が何を好み、何を嫌っているのかを家臣に示しているのだ。これ以上、分かりやすいものはあるまい」


 信長は、一転笑顔になって付け加えた。


「それにな、貰えるものは病気以外、黙って貰っておけ!」


 広正は、さらに頭を下げるしか無かった。


「は! 頂戴いたします」


 信長は、真剣な表情に戻ると、政綱の方を向いた。


「さて、弥次右衛門の弟。お前は、織田と今川、どっちにつく気だ?」


 唐突の質問に、一瞬戸惑ったが、政綱は声を大きくして答えた。


「無論! 織田家にござります。兄は織田家に大恩もございます」


「兄とお前は違うだろう」


 土豪と言うのは、半分農民である。主君のために命をかける臣下とは違っていた。戦の優劣によって、日和見を決めたり、優勢な方になびくのは、よくあることだった。

 信長は、腹の内を見透かしたように続けた。


「まあ良い。この儂につけ! さすれば、この戦、勝った暁には沓掛城をやる」


「はあ。やると申しますと…?」


「2度も言わせるな。お前を沓掛の城主にしてやる」


 あまりのことに最初、政綱は信長の言葉が理解できなかった。ようやく意味を把握すると、元々大きな目が飛び出んばかりになった。

 無理もない。政綱のような土豪は、武士としては最下層の位にあたる。それがいきなり一城の主になるのは、考えられないことだった。「恩賞は黙って貰え」と言われたばかりだが、聞かずにはいられなかった。


「なぜ、そのような…」


「儂はな、ここ桶狭間を決戦の地と考えている」


 信長は、怒るわけでもなく淡々と説明した。


「清州城は頑強なれど、今の儂に他国からの援軍は期待できん。籠城しても駄目だ。かといって相手は大軍。平地で、まともにやりあっては勝ち目がない。乱戦に持ち込むには、山の多いこの地しかないのだ」


 確かに、籠城戦は援軍が期待できてこその戦法である。ただ籠城するだけで、敵を撃退できる例は非常に稀であった。この少し前、懇意にしていた隣国、美濃の斎藤道三は、息子の斎藤龍興に討たれていた。信長は、道三が攻められたとき援軍を出したため、龍興とは険悪な関係にあり、援軍は望めなかった。


 信長は、政綱だけでなく、広正にも伝えるように話を続ける。


「桶狭間に全戦力をつぎ込む。ここで負ければ織田は滅ぶだろう。勝つためには、土地に明るく、他の土豪にも影響力を持つ人材が不可欠なのだ。お前のようにな」


 そう言い終わると、信長は突如、大笑いした。


「それにしても、お前の驚いた顔も見事だったな!」


 あっけに取られた政綱の横で、広正も笑いをこらえていた。


「今日は帰る。この地には、いくつも砦を作るつもりだ。お前たちも手伝え。これから忙しくなるぞ!」


 そう言い残すと、信長は早々に帰っていった。


 呆然と信長を見送った政綱は、誰に言うのでもなく、ぽつりと呟いた。


「あの方も、あんな風に笑うのだな…」



 確かに、信長は上機嫌だった。今日の視察では、得るものが多かった。作戦に一筋の光明が見えたのである。それにも増して、機嫌よくさせたのは、広正の存在であった。


 信長が、政綱に対し、破格の恩賞を前もって約束した理由は、広正の才能を確信したからだった。

 もちろん、土地勘のある土豪を、確実に味方にしておきたかったのはあるが、それ以上に若く才能のある人材は喉から手が出るほど欲していた。是が非でも敵に渡すわけにはいかなかったのである。


 信長のもっとも優れた能力は、人の才能を見抜く能力と言える。そして、優れた人材に機会を与え、結果を出せば、現在の身分に縛られることなく相応の恩賞を与えた。


 事実、後に簗田広正は、別喜右近と名を変え、羽柴秀吉、明智光秀らと並び称される程の武将にまで出世するのである。

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