第10話「昔の話」
施設では十年間暮らした。僕の施設は十八歳で出ていかなきゃいけないんだけど、高校三年生の春に、それまでほとんど音信不通だった母親から連絡が来た。なんでも、再婚相手が事業で一発当てて、金には全く困らなくなったらしい。僕が望むなら、新しい父の籍に入って一緒に暮らしてもいいし、大学に進学するなら、援助してくれるという。
「今までずっとほったらかしだったくせに、一体なんだよ! 母さんは僕を捨てたんじゃなかったの!?」
といった、ドラマのみたいなことは全く思わず、僕はこれで大学に進学できるとほくそ笑んだだけだった。新しいオヤジの籍に入ると、逆に奨学金の審査で不利になるかもしれないから、僕は学費の援助だけを受けることにした。
義務は月に一通、近況報告の手紙を書くこと。僕は大学二年生の終わりまで、儀礼的にその手紙を出し続けた。そこで止めたのは、相場でまとまった金が出来て、援助を受ける必要がなくなったからだ。おかげで僕は、その手の手紙が大の得意になった。
親だと思うから、してもらえないことに腹が立つ。赤の他人が自分の学費を負担してくれてるのだと思えば、いくらだって感謝の言葉が出てくるものだ。
実際、母が僕を施設にぶち込んだからこそ、僕は今、こうして小説を書いて生きていけてる。だから、親に対する愛情は微塵もないけれど、本当に感謝だけはしているのだ。
少し説明が必要だろう。僕の居た施設にはマンガ好きの職員が複数人いて、読み終わった雑誌を寄贈してくれていた。おかげで僕は、少年週刊誌4誌(ジャンプ・サンデー・マガジン・チャンピオン)と、少年ビッグの最新号をほぼリアルタイムで読めていた。つまり僕は、一地方都市の保護者すらいない子供でありながら、マンガに関しては、かなりの知識量を持つオタクだったのだ。
毎週毎週、一千万部以上のマンガ雑誌が刷られる時代が確かにあった。そんな少年マンガ全盛期の黄金律が、今の僕の血肉になってる。限られた紙面で生き残る漫画を見抜くことで、目利きの技術も磨かれた。
そのうち僕はあることに気づいた。面白いマンガと、心に残る漫画は少し違う。面白いマンガは、流行ってる時は滅茶苦茶売れるけど、連載が終われば誰も見向きもしない。心に残る漫画は、一年と続かずに打ち切られるけど、案外、今でも語られてたりする。
正直に言えば、僕は心に残る漫画の方が好きだった。と同時に、打ち切りは仕方ないなとも思っていた。面白さが足りないからだ。「自分の好きなマンガと、面白い(売れる)マンガは違う」という認識を十代の頃にハッキリ持ったことは、その後の自分の人生に多大な影響を与えた。物語を愛し、自らもそれを生み出さんとする創作者としての自分と、物語を分析し、評価されるためにはどうしたら良いかを考えるプロデューサー的な自分が、その頃からハッキリと併存していた。
人生に迷った時、僕は自分の嗜好や感情よりも、プロデューサー的な自分の判断の方を優先した。その時々の状況に応じて、より合理的で正しいと思われる方を選んだ。もう二度と、大切なものを奪われたくはなかったからだ。
自分を捨てた人間の金を、僕は感謝して受け取った。その方が得だと思ったからだ。
師匠の元で、相場を張りだした時、僕は自分の良いと思う株よりも、皆が良いと思う株の方を選んだ。その方が儲かるからだ。
結婚しようと思った相手の両親と揉めた時、僕は結婚そのものを諦めた。割に合わないなと思ったからだ。
「映画を作る金を出してくれないか?」と言われた時、僕はその金を素直に出した。良い事をすれば、マトモな人間に戻れるかもしれないと思ったからだ。
その判断が間違っていたとは、今も思っていない。だが、落ちてる金は積極的に拾い、手にしたものは守ろうと必死に生きてきて、一体何が残ったか? 大したものは残っちゃいない。
今の僕に残っているものは、タペストリーの中の
「それでいいじゃない、提督。今が一番幸せでしょう?」
「そうだね」
「半力さんはきっと、それを提督に教えるために来たのよ。だってあの子は、提督がまだ人間らしい感情を持ってた時に一緒にいた、
「そうだね」
「どんなに割が合わなかろうと、提督がしたいと思う事をすればいい。やりたくない事は、はっきり嫌だといえばいい。私と半力さんだけは、何があっても、ずっと傍に居るから」
「そうだね」
「捨てないで」の一言を、僕は母に言えなかった。それは、わがままだと思っていたし、離れるのは一時的なことで、「きっとまた、皆で暮らせる」と信じていたからだ。
自分が母に捨てられたことは、別にどうでも良かった。ただ、自分の大切な友達を、誰かの都合で奪われたことがとても悲しかった。あのバカで、凶暴で、どこからも引き取り手のなかった
勿論、無理やり母についていったところで、幸せな人生が待っていたとは思えない。だけど、少なくとも
もしあの時、母の援助を突っぱねる気概を持っていたら、僕は進学を諦める代わりに、その後の人生で後ろめたさを感じずに過ごせただろう。
もしあの時、自分の良いと思う株にこだわって破滅していれば、少なくとも、お上に身ぐるみはがれることはなかったはずだ。
もしあの時、あの子と駆け落ちする根性が僕にあったなら、僕は誰かの父親になれただろう。だけど、ロクデナシの父と、子を捨てる母の息子である僕にそんな資格はないと思い、僕は結婚そのものを諦めた。
そして、もしあの時、今更まともに戻ろうなんて欲を出さなければ、僕は堅気を恐れ、羨むこともなかったのだ。
人生に正しい選択肢なんて存在しない。違う道を選んだところで、違う種類の不幸が待ってるだけだってことは、僕にだってちゃんと分かってる。どんな道を選ぼうと、捨てた道の方が正しかったように思える。それが人間の性分だ。
だったら、何も言い訳をせず、自分の感情に従った方がいい。そしたら、少なくともその瞬間は幸せでいられるし、その後の不幸を他人のせいにしなくて済むからだ。
僕は本当はその事にとっくに気づいてた。だからこそ僕は、時折ピストルズを聞き、シドの生きざまを愛していたのである。彼もまた、他人の評価に振り回された哀れな男だとは思うが、ヴィシャス《悪党》の名を背負う覚悟を決めた時から、先は長くないことを知ってたはずだ。
(続く)
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