第3話
横に座るデカくて派手な背格好の時雨に出くわして絡まれることを覚悟したり、不審な二人組に遭遇するわで緊張を強いられて何だか酷く疲れた。心身がフラットな状態の時がほぼゼロだったわけだ。やっと落ち着いて先輩が用意してくれたお茶に手をつけることができる。
凛は紙コップに入ったお茶を勢いよく飲み干した。舌の上を滑るお茶がとても美味く感じられ、喉の渇きを潤し、身体に染み渡っていくようだ。
余韻に浸ってしばらく空になった紙コップの底を眺め、一息ついていると、時雨が持ち前のコミュ力を発揮して沈黙を打ち破った。こういうとき、彼のような陽キャは頼りになる。
「このお茶、美味いっすね」
他愛ない雑談を切り口に時雨は会話を広げていく腹積もりらしい。
まだ凛たちはこのサークルの名称しか知らず、詳しい活動内容も把握していない。お茶もいただいてしまったし、このまま解散では些か味気ない。「賢人会」への興味が芽生え始めていたところだ。
浴衣を着た先輩も登場の仕方はアレだったが、変わった人ではあっても悪い人には見えない。話していれば、きっと色々と教えてくれるだろう。
時雨の言う通り、狐面の先輩が入れてくれたお茶は心身を解きほぐし、安らぎを与えてくれた。疲れているときはどんなものでも味わい深く感じるものだ。
「美味しいと思って貰えたならよかったかな」
もう一度、時雨はお茶を口にふくんだ。
ゆっくりと時間をかけ、舌の上で念入りにお茶の味わいを確かめる。
「このお茶、高級なやつっすよね。玉露とか」
味がわかる男とでも言いたげに、自分自身の見解を披露する時雨。その自信に満ちた溢れた表情に、凛は日本茶の資格があることを思い出した。もしかすると、時雨はその資格を持っているのかもしれないということに思い至った。だとしたら時雨の自信にも頷ける。
「いやー。スーパーで買ってきた〇鷹なんだけど、高級感あるよね。〇鷹」
「選ばれたのは〇鷹でした。」のフレーズで有名なコマーシャルのワンシーンのような光景が凛の眼前で繰り広げられている。ペットボトルから注がれた〇鷹をたっぷりと時間を使い、玉露と誤認した時雨。これはきっと飲料メーカーが狙っていた展開に違いない。だが現在の状況においては黒幕など存在するわけもなく、ましてや販売する飲料メーカーに責任などあるはずもない。あるのは時雨が大恥をかいたという事実だけである。
凛は確信していた。これは一生残る
吹き出すのを必死に堪える皆。恥を晒して耐えきれず顔を覆う時雨。
「ふふっ。うん、お茶美味しいよね。〇鷹だけど」
「くっ。そうだね。〇鷹だけど」
さらには女性陣からフォローのようでフォローになっていない追いうちを喰らい、どんどん肩身が狭くなっていた。
時雨のライフはもうゼロである。
身から出た錆とはいえ少々、哀れに思えてきた凛は話題転換に互いの自己紹介を提案した。
「そうだね。名前も知らないとお互いに話しづらいよね。みんなで自己紹介しようか。男の子たちは美人なお姉さんと同級生の名前やあれこれ気になるっしょ?」
凛の提案は、すぐに承認された。
「あのー」
「質問?どうぞ。どうぞ。気になることがあったらどんどん聞いてね」
「ありがとうございます。先程の自己紹介に関してなんですけど。あれこれとは具体的に何を言えばいいのかなと」
「う〜ん。バストサイズとか?」
特に深く考えていなかったのだろう。少し間を置き、考える素振りをみせたあと先輩はそんなことを口にし、大変実り豊かなふたつの果実を両手で掴み、惜しげもなく揉みしだいてみせる。先輩自身の手によって自在に形を変える至高のたわわ。
和服は胸が大きいと身体のラインが出て綺麗に着こなすことができないと聞いたことがある。そのため胸をサラシで潰したり、お腹の部分にタオルを入れるなど身体のラインを消す工夫をするのだとか。そういった手間をかけても尚、主張をやめない双丘に釘付けになる後輩たち。
そんな視線には慣れっこなのか、気にもとめず元気よく自己紹介を始めてしまったではないか。呆れる程に奔放である。
「まずは私から! えー、社会学部3年の仙洞優亜〈せんどう ゆあ〉です。一応、この賢人会の代表ってことになってるので!後輩諸君。バストサイズは、Fカップだぞ!よろしく〜」
優亜はなんの躊躇もなしに自身のバストサイズを公表した。恥ずかしがるどころか、この状況を楽しんでいた。
Fカップだとこうも堂々と宣言されたら、最早そうとしか思えない。見てはいけないと分かりつつもどうしても目線がそこに吸い寄せられてしまう。悲しい男の性である。幸いなことに凛の両隣の方々も優亜の胸部装甲に目を奪われており、ご本人はまったく意に介さないので、非難の眼差しや罵詈雑言が飛んでくることはない。
小柄な見た目とは裏腹にとんでもない凶器を隠し持っていたものだ。
「仙洞優亜」という女性を美人と表現してきたが、具体的にどの様に容姿が優れているかというとだ。
スタイルの話からすれば、彼女は所謂トランジスタグラマーというやつだ。小柄ながら手足はスラリと伸び、女性らしい部分の主張はかなり強め。それでいてウエストはしっかりとくびれているという何とも理想的な身体つきをしている。女性らしい身体ではあるが、身体全体の肉付きという点では、柔らかいというよりしなやかと表現した方がしっくりくる。何かスポーツに取り組んできた人の身体のそれだ。もしかしたら普段からも、体型維持のためにトレーニングに励んでいるのかもしれない。
顔も均等の取れた端正な顔立ちをしている。綺麗なアーモンド型のくりっとした目は少し垂れ気味で、やや幼い印象を与える。童顔と言い換えることもできる。優亜自身がどう思うかは分からないが、女子高生といわれても信じてしまう。年齢より確実に若くみえるし、魅せることも可能だろう。
栗色に染められた髪は緩やかなウェーブがかかり、ふわりと柔らかなよい香りが漂ってきそうだ。肩口まで伸ばし、ヘアスタイルはミディアムボブ。
控えめなナチュラルメイクは飾るというより、素材を活かすといった感じで魅力を上手く引き立てている。自分がどう見え、どう見られるかをよくわかっている。それは自分の魅せ方を知っているということだ。
仙洞優亜は文句なしの美人だ。性格の方はなんというか少し風変わりなところがある。面白い
そして、今度は優亜のご指名ということで凛の隣の彼女の番だ。緊張しているのか表情がかたい。
「はじめまして。文学部英文学科1年の
優亜が作った流れに乗っかり、律儀に秘めたる情報を開示する出雲。頬を赤く染め、最後の方は消え入りそうな声だった。
長野の千畳敷を染め上げる紅葉を想わせる出雲の姿に根が真面目なのだろうと凛の中で人知れず出雲への好感度が上がる。
バストサイズ云々についての優亜の言葉は半分冗談に過ぎなかった。
出雲の気質や育ちのせいもあるかもしれない。出雲は冗談を冗談として流すことができなかったのだ。期待される展開を理解し、その展開を裏切ることができずに流れをしっかりと踏襲した結果、羞恥と後悔に苛まれている最中だ。激情の海を漂い、押し寄せる波のごとき感情に対し必死に折り合いをつけているところであろう。
優亜の容姿については散々言及しているが、出雲もまさに大和撫子といった感じの美少女だ。優亜と並んでも決して見劣りすることのない逸材である。
腰までのばした長く艶やかなストレートの黒髪。おでこの辺りで綺麗に切りそろえられた姫カットの前髪。白く透き通る肌と和風美人の要素をしっかりおさえている。スタイルに関しては少々、日本人離れしている。
身長も160cm超。腰の位置も高く、美脚だ。そして本人の申告通り、大変立派なものをお持ちだ。起伏に富んだ身体の線はスーツの上からでもよくわかる。簡単には隠し通すことのできない魅惑的なボディ。
身体だけでなく目鼻立ちもだ。少し切長の目にはめ込まれた宝石のような瞳には知性の光が灯っている。全てにおいて創造の神が土塊より手ずから造形し、創り上げたかのような整い具合である。
見た目からはあまり想像がつかないが、趣味だというツーリング。持っているヘルメットからも分かる通りバイクを乗りこなすという事実。そんなワイルドな一面はギャップ萌えでしかない。
これから、本格的に大学生活が始まれば、学年問わず様々な男に狙われることだろう。この容姿でバイクに乗る姿を拝んだら女でも惚れてしまうに違いない。もちろん、出雲がフリーならばだが。
Fカップに、Eカップ─────
凛は彼女たちの言葉を頭の中で無意識のうちに反芻するよう繰り返していた。
美女の秘密を知ってしまい、落ち着かないが
そして、気づけば自己紹介の順が凛に巡ってきていた。自己紹介のことなどこれぽっちも考えていなかったので、自分の番だといわれても何を言おうか全然決めていなかった。
「えーっと……。自己紹介ですよね。自己紹介。えー、はじめまして。社会学部1年の彩峰凛です。趣味は読書ですかね。漫画とかアニメも好きです。たぶん、Aカップとか?AAカップ?です。よろしくお願いします」
優亜や出雲と比べれば地味だが、凛も顔立ちは整っている方だ。インドア派のため肌は白めでほっそりとしており、かなり中性的だ。今はスーツ姿だから男だとわかるが、服装を変えればスレンダーな女の子に見えなくもない。それは男女どちらとも取れる名前と共に凛の悩みである。
凛も男だ。筋トレにジョギングといったトレーニングを無理のない程度でこなしており、細く見えてもしっかり腹筋は割れている。
だが悲しいかな、トレーニングをしても筋肉が大きく発達はせず、細マッチョな女子陸上選手のような肉体を実現してしまい、高校生時代には男子からの告白を三度経験したのは苦い思い出である。
「
最後は時雨の番だ。非常に時雨らしい自己紹介だった。
素直に彼女が欲しいと、初対面の女性の前で口にできるのは大したものだ。
運動が好きなのも時雨のイメージにピッタリである。だが、美術が好きなのはとても意外だった。時雨はかなり活発に見える。静かな場所など苦手そうな性格をしているものだとばかり思っていた。
180cmを超えるであろう身長にスーツの上からでも分かる鍛えられた身体。程よく焼けた肌に逆だった明るい髪色。金髪とまではいかないが、かなり明るめの茶髪をしている。そして左耳を飾るアメジストのピアス。やんちゃな印象が強いが明るく、いい意味でアホだ。
だからこそ、話しやすく不思議な程早く打ち解けられた。時雨とはまだ数時間の付き合いだが堅苦しくなく、自然体で居られるのだ。
「あのー、それで賢人会って何をするサークルなんすか?」
ここにいる全員が簡単な自己紹介を終えると時雨がスっと手を挙げ、1年生の皆が一番気になっていたことを口にした。
時雨に賛同し、凛も出雲も頷く。
当然の事ながら、サークルに入るならまず活動内容を知り、自分に合っているか検討しなければならない。興味のないサークルに入ってもつまらないだけで時間の無駄になってしまうからだ。
翔陽大のサークルは多種多様。あらゆるジャンルを幅広く網羅している。
アウトドア派、インドア派、スポーツ、サブカル、理系、文系、社会奉仕活動、研究、イベント運営etc.....。
1つに絞って参加する者。
複数掛け持ちする者。
緩く楽しみたい者。
積極的に力を入れたい者。
参加する人間の活動スタイルも様々。
中には危険なサークルや団体が紛れ込んでいる可能性もあるので注意が必要だ。
賢人会はその注意しなくてはならないヤバめな団体を疑ってしまうくらい怪しいのだ。
「やっぱり気になるよねぇ。私も初めてのときはそうだったよ。なんか変なサークルがあるみたいな。サークルの皮かぶったやべぇ新興宗教だったらどうしよう的な」
やはり、優亜も始めは凛たちと同じ思いだったようだ。
優亜曰く、賢人会とは自分以外の人は皆違う経験と知識を持つ賢人であるという理念の基に、互いに教え合い、学び合うためのサークルらしい。
「要するに、それぞれの趣味や好きなことを共有して楽しくやろうってサークルね」
「なるほど」
「面白そうっすね!」
「ほんとになんでもありなんですか?」
出雲の疑問も最もだ。〇西先生、バスケがしたいです的なノリで提案したらサークルメンバーがバスケしてくれるのだろうか。
「なんでもありだよー。毎回、誰かしらの提案したことをみんなでやって楽しんでるよん」
「それってみんなでセッ───、ぐふッ」
「時雨くん、ちょっと黙ろうか」
不用意に不適切な単語を口走った時雨はそれを言い終わる前に凛の肘鉄が脇腹に突き刺さった。
だが、時雨が何を言おうとしたのか凜がすぐに理解したように、優亜も出雲もきっとすぐに理解できてしまったのだろう。
吹き出す優亜。
苦笑いを浮かべる出雲。
ふたりの反応はなんというか、そうじゃない。もっと時雨のセクハラ発言に嫌悪感をあらわにしてもいい気がするのだが、なんとも寛容な反応である。優しいふたりとは違い、凛は普通にドン引きしたが。
もちろん、時雨はまったく反省した様子はなく、優亜と出雲なら許してくれると判断して発言している節すらある。
ひとしきり笑い終えた優亜が復帰するのを待って、サークルの具体的な活動内容に話を進める。
「そうだなー。理念云々は創設時の先輩たちが洒落で作ったそれっぽい方便らしいけどね。最近だとみんなで美術館の展覧会にいったよ。私とおんなじ3年生の子の発案でね。その子、美術館とか博物館に行くのが趣味でね。学芸員資格の講義も受けてるし」
「なるほど。その先輩は美術館巡りが好きだからってことですねが」
「出雲ちゃん、そゆこと」
「うちはサークルメンバーがそんなに多くないから。君らが入ってくれると嬉しいんだけどな」
「そうなんですか?」
「うん。今なんて男の子いないからね。男子諸君、今うちに入ってくれたらもれなくハーレム状態だぜ」
「マジっすかッ!!?」
すぐさまにエサに食いつく時雨。
こいつはこのサークルに入るなと、時雨のチョロさ加減に呆れているとふいに優亜と目が合った。
可愛くウインクしてみせる優亜。
あざとい。
あざといが、かわいい。
あざとかわいい。凛も健全な男子だ。悪い気はしない。
男心を巧みにくすぐる優亜の小悪魔な振舞いは計算か天然か。自分自身の魅力をよく理解している。きっとモテるのだろう。
「これはワンチャンありなのでは!?」
悪い病がぶり返したかのようにまたもや時雨が騒ぎ出した。
これまで行儀良く静かに話を聞いていた出雲はお茶を啜りながらにっこりと時雨に問うた。
「加藤君。何がアリなのですか?」
「それはほら!ヤリッ───」
「───ねぇよ!バカ!!!」
時雨が答え終える前に凛によって2度目の鉄拳制裁が行なわれ、今度こそ時雨は沈黙することとなった。
「彼方さんも仙洞先輩もほんとにすみません!このバカがさっきから」
時雨の頭を掴み、無理やり頭を下げさせると凛も一緒になって頭を下げた。
まだ数時間という短い付き合いだが、義理立てをして共に謝罪してやれるくらいには仲良くなったつもりだ。
「大丈夫ですよ。気にしてません」
出雲は友達のために謝る凛の姿に密かに好感を抱き、時雨には明るいお調子者という評価を下していた。
許すもなにも楽しいからこそ、先程のように時雨を煽っているのだから怒る理由はない。
「あはは。素直だねー。主に下半身に」
優亜の方も下ネタにも特に不快感をしめすことなくケラケラと笑っていた。
こちらも二人に対する評価が上がっていた。
凛の人間性。
時雨のノリの良さ。
優亜は、出雲はもちろんだが新入生の男子組がサークルに入ってくれたら、楽しくなる予感がしていた。
「ごめんごめん。私たちの代ではそういうのはないけど、昔はあったかもしれないよ。誰しも興味持つことだし」
面白がっていると凛が呆れたような表情で、冷めた視線を投げかけてくるので、少しまずいと思ったのだろう。優亜は後輩たちにごめんと手を合わせた。だが反省をする様子はなく、またそんなことを口に出していた先輩に、凛と出雲は苦笑いを浮かべて顔を見合わせた。
時雨はというと、コイツだけは頭の中がお花畑と化しているようで、またソワソワと落ち着かないといった感じで、妄想と期待に胸を膨らませていた。
◇◇◇
半ば猥談で盛り上がっていると賢人会のテントに新たな来訪者が現れた。
二人の女子は、優亜に軽く挨拶をしてテントの中へとやってきた。
どうやら、賢人会の関係者の様だ。凛たち新入生組はそのやり取りを静かに見守っていた。
「お疲れ様でーす。遅くなりましたー」
「優亜。遅くなってごめんなさい。入学式の片付けが割りと手間取ってしまって」
「まきちゃん、すみれちゃんおつかれー。こっちはたのしくやってたから大丈夫だよ」
遅れてやってきたサークルメンバーの先輩たちはどうやら入学式の手伝いに駆り出されていたらしい。そちらが済んだので合流したようだ。
「「あっ!」」
互いが互いに気づき、声が重なる。
幼なじみとの、本日2度目の再会である。
今日の朝、約10年ぶりに再会した菫。長らく離れ離れだった幼なじみと今度はあれからまだ半日ほどしか経ってないというのにまた会えるとは思ってもみなかった。
「朝ぶりだね。すごい、偶然!」
凛に向かって嬉しそうに可愛らしく手をふる菫。
それに凛も軽く手を挙げて応えてやる。
そんなふたりのやり取りを見て優亜は愉快な話の種をみつけたとばかりに凛と菫を交互に見てニヤニヤしてくる。
「なになにー。凛くん、すみれちゃんとも知り合いなんだー」
「優亜先輩は相変わらずですねぇ」
菫はいつものことだという風にクスッと笑って流していたが、凛は違った。特にやましいことはないが、何だか居心地が悪くなる。
「───という訳です」
そんな凜を気遣い、優亜の誤解を解くために菫が幼なじみであることと朝の出来事から今に至る経緯を簡単に説明してくれたのだった。
「幼なじみの偶然の再会。何だか運命的ですね。でも私も彩峰くんと入学式で隣同士。しかもここで再会したのだから運命的ということになりますね」
菫の話を聞いていた出雲が凛にだけ聞こえる声でそんなことを言い出した。
ちょっとした冗談だと解っていても出雲のような魅力的な女の子にそのようなことを言われたら大概の男は勘違いをしてしまう。
凛とて例外ではない。
そんな思わせぶりな態度をされたらドキッとしてしまうに決まっている。今も凛を見ながら軽く口に手を当て悪戯っぽく微笑む仕草にはなんとも抗い難い魔性の魅力があった。
お姫様のような見た目とはまた少し違った出雲の一面を垣間見ることができた。これによっていい意味で出雲を見る目が少し変わり、親しみを覚えた。
「こっちの背の高い子が加藤時雨くん。すみれちゃんの幼なじみの子が彩峰凛くんで、そっちの美少女が彼方出雲ちゃん。今、みんなで自己紹介してたの。ふたりとも自己紹介よろしく〜。あっ、何カップかも教えてね」
「また訳分からないことを……。そんなことまでいうわけないでしょ」
緩い感じで自己紹介を促す優亜に菫ともう片方の先輩は呆れと困惑が入り混じった色を浮かべた。胸のサイズを言えなどと言われても困るに決まっている。当然の反応だ。
「えー!私も出雲ちゃんも凛くんもちゃんと言ったのに。まきちゃんとすみれちゃんは教えてくれないのずるい〜」
当然、教えてくれるとばかり思っていた優亜は二人の冷めたリアクションに子供の様に駄々をこね始めた。
優亜の我儘はいつものことだが、新入生までも巻き込んでいた事実に二人の眉間のシワがより一層深くなっていく。
「新入生になんてこと強要してるんですか?優亜先輩、セクハラですよ」
菫は逆らえない後輩たちに無理やり、賢人会の内輪ノリを押し付けたと解釈したのだ。そこからは短くないお説教タイムが始まりだ。
2人がかりでガッチリ肩をおさえられ、逃げられない。
こってりと絞られた優亜。流石に意気消沈し、大人しくなった。ここで優亜の手網を握るのは彼女たちの役目のようだ。
「優亜と同じ社会学部3年の
「はじめまして。私は社会学部2年の
確かに後輩が増えれば先輩たちは嬉しいだろう。まだ具体的にどんな活動をするのか体験してみないことには分からないがサークルの雰囲気は良さそうだ。菫という見知った間柄がいてくれるのも大きい。凛としてはこのサークルに入ってもいいと思い始めていた。もう少し他をまわってからという選択肢もあるが、時雨はどうだろうか。
「時雨はどうする?俺はこのサークルに入ってみるのもいいかなって思うけど。先輩たちも優しそうだし」
時雨も好印象のようだが、他のサークルにも興味があるらしく悩んでいる様子だった。
「掛け持ちとかは大丈夫なんですか?」
「もちろんOKだよ。サークルも今すぐに決めなくても大丈夫だがらね」
凛と出雲はこの日、賢人会への参加を決めたが、時雨は保留ということになった。やはり、他にも気になるサークルが色々とあるようだ。
「彩峰くんと彼方さん、賢人会に入ってくれてありがとうー。これからよろしくね!明日、新人歓迎会やるから是非加藤くんも来て欲しいな」
「まだ決めてないのに俺もいいんですか?」
遠慮がちな時雨の肩を掴むと優亜は、「大歓迎だよ」と笑顔で言ってくれた。最初はちょっとあれなサークルだと思ったが良いサークルに巡り会うことができた。それが何よりの収穫である。
先輩たちみんな、凛と出雲の賢人会加入をとても喜んでくれ、特に菫は後輩ができたことにとてもご満悦だった。早速、出雲と連絡先を交換してニコニコしていた。
凛も先輩たちと一通り、連絡先を交換して今日の所は賢人会を後にした。
まだサークルを決めてない時雨は他のブースを見てまわりたいとのことで出雲も加えた3人はさらにサークル巡りをすることとなった。
◇◇◇
「加藤くんはどんなサークルに興味があるの?」
率直な疑問である。細いがしっかりと引き締まった身体をしているあたり、時雨は何かスポーツをしていたのだろう。身体を動かせる部活やサークルがいいのかもしれない。
「うーん、スポーツ系も考えてんだけどボランティアとかにも興味あるんだよなー」
「「意外!」」
ふたりの口から同時に言葉が飛び出した。
見た目DQNな彼からは想像も出来ない単語だったのだ。無理もない。無理もないのだ。
「君たち俺に対して失礼じゃない」
ジト目で睨む時雨。だが、ここまでの彼の行いがふたりにさっきの言葉を選ばせたのだ。凛はお前が悪いと思いつつ、時雨は言動や行動によって損するタイプだと結論付けた。
改めて時雨の話を聞いてみると慈善活動に興味があるというのだ。さらにボランティア活動と結びつく様々な社会問題へのアプローチの方法を学ぶために社会学部を受けたのだという 。
「なるほど。俺、時雨のことを勘違いしてたよ。女の子と出会いが多いからとかそんな理由で女子率の比較的高いうちの学部にしたのかと思ってたわ」
「ほう、こやつ〆てもいい?」
「それはちょっと。ごめんなさい。私も思ってた」
「ひでぇー!女子率で言ったら社会は6:4だろ!それで選ぶなら彼方ちゃんと同じ7:3の文学行くわ!」
「そこはリサーチ済みなんだね」
「だから違くて!やりたいことがあったから選んだって、は・な・しッ!」
「ぷっ、ふふふっ」
「くくっ、あははは」
「なんだよー」
時雨の必死さがあまりにも可笑しく、耐えられなくなった出雲が噴き出した。それにつられて凛も腹を抱え、暫し二人は笑い合った。
そんな二人にガックリと肩を落として項垂れる時雨。
大学初日からいい出会いに恵まれ、新生活に希望が持てる日となった。
いくつかのサークルをまわり、時雨は賢人会を含め、三つのサークルに顔を出すと決めたようだ。
時雨が一番興味を持っていたボランティアサークルは和気あいあいといった雰囲気で良さそうだった。
フットサルサークルはリア充感が凄かった。どのサークルもまずまずといった感じだ。
サークルは必ずしもずっと続けていくとは限らない。途中から別のサークルに入ることもあるのだから今は興味のある所に顔を出せばいい。
「三人とも参加したいサークルも決まったし、そろそろ引き上げるか。明日は学部のガイダンスがあるしな」
「それもそうだな。みんなどこら辺に住んでるんだ?俺のアパートはすぐそこだけど」
「近くていいな。俺は電車で一駅いったあたりだ」
「私もひとつ先の駅の近くに部屋を借りてる」
「なら今日はここで解散か。今度三人でメシでもいこうや」
「その時は連絡頂戴。楽しみにしてる」
「時雨とは明日も会うからな。彼方さんも見かけたら声かけてね」
「了解。了解」
家が大学のすぐ近くだという時雨は徒歩で家へと帰っていった。実に曖昧で不確かな口約束を交わして。目を凝らすことでようやく映る細い糸のようなもので結ばれた様な気分だ。ただ予感がする。今はえらく繊細で切れやすくとも時を重ね、丁寧に紡ぎ続けたなら太く断ち切り難い縄となると。
だからなのだろう。結び目も始めから固く結ばれ絡まるよりも緩く解れやすいくらいがきっと丁度いいのだ。いつか正しい結び目になるように。
時雨を見送ってスマホで時刻表アプリを開いて電車の時間を確認するが、電車が来るまでには少し時間がある。ヘルメットを持っている出雲は原付かバイク通学だろうし、電車の時間はあんまり関係なさそうだ。
「ねぇねぇ。彩峰くんのお家はどっち方向?」 「白崎のほうだけど?」
「 一緒!私も白崎の近くなの」
「おっ、偶然だね。俺は電車だけど、彼方さんは原付かバイク?」
「そうです。入学祝いに買ってもらったばかりの愛車をお見せしましょう」
ずっと誰かに自慢したかったのだろう。出雲は満面の笑みで駐輪場に停車してある「相棒」の所まで凛を引っ張っていった。
「こちらです」と紹介された出雲の愛車。
そこにあったのは思っていたよりも何倍も立派で派手な
タンクやフレームが真っ赤に塗装されたバイクはエンジンが剥き出しになっているネイキッドタイプ。塗られた赤はただの赤ではない。イタリアンレッドと呼ばれる赤だ。エンジン周りやシートは黒で統一され、赤と黒の色合いの絶妙なバランス。
熱っぽく出雲の口から語られるそのバイクの魅力。少年の様に目を輝かせ、イタリアの誇るバイクメーカーの素晴らしさを必死になって凛に説く姿に並々ならぬ情熱を感じる。
「このバイクのこと大切にしてるんだね」
「この子に一目惚れだったの」
バイク全般というよりかは、この相棒への愛が止まらないといったようで終始、うっとりとした表情で愛おしそうに座面なでなでしていた。
出雲のバイク愛に感化されたのか凛もバイクに乗ってみたくなっていた。
ポケットから響く甲高い音が夢心地の出雲と淡い夢を抱いた凛を現実へと引き戻した。凛は電車の時刻を忘れないように予めアラームをセットしていたのだ。音が鳴ったということは電車の時刻が迫っているということだ。思った以上に長居をしてしまったらしい。
「今日はありがとう。俺はとりあえず駅行くからまた連絡するから。また!」
急がなければと慌てて出雲に礼を述べて、駅に向かってダッシュしようとした瞬間、凛の不意をつくように彼女がヘルメットを投げて寄越したのだ。宙で放物線を描き、飛んでくるそれを何とかキャッチする。
「よかったら送ってくぜ」
出雲が眩後ろに乗れとばかりに先程まで撫で回していた革張りのシートに跨り、その背中越しにタンデムシートを叩く。
その姿はただのイケメンだった。日も落ちかけた夕暮れ時、凛の頬が紅いのは夕焼けだけのせいではなかった。
◇◇◇
スーツからワイン色のライダースジャケットに黒のデニムパンツ、黒のハイカットブーツという出で立ちにチェンジした出雲の腰に腕を回し、身体を預ける。響くエンジン音。アクセルを回し、加速するバイク。背中越しに漂うフローラルな香りと革の匂い。二つの匂いは奇跡的な化学反応を起こしたかのようにマッチして凛の鼓動を高めていく。
送るという出雲の申し出を断りきれずに乗せてもらってから気づいた。腕をまわしたその肢体はとても柔く、いい匂いがするのだ。自然と彼女の背中に身体を預ける格好になるため、否が応でも肢体の柔らかさと女性特有の甘い香りが伝わってきてしまうのだ。このような密着状態で意識しないはずが無い。
落ち着けと自分に言い聞かせている間にもバイクは軽快に進んでいく。一駅の距離などバイクの速度なら大したことはない。だが、この時ばかりは途轍もなく長く感じられる。
そして、ゆっくりと出雲のバイクが停止した。
そんな嬉し恥ずかしなツーリングは終わりを告げる。
そこは家の最寄り駅である白崎駅の前だった。自分との戦いを終凛はヘルメットをそっと出雲へと手渡した。
「ありがとう」
「じゃあまた。学校でね」
何とかお礼の言葉を絞り出して手をふると、出雲はそう言い残して去っていく。
バイクを見送りながら、今日一日を振り返る。なかなかに騒々しい一日ではあったが悪い気はしなかった。
日は傾き、茜色に染まる空。穏やかな風に乗り、新しい街の香りが鼻をくすぐる。
新しい出会いと再会は始まったばかりの新生活に花を添えるものになるだろう。
「はぁ、これは大変良い経験だよな」
手どころか全身に残る柔らかな感触。出雲の香り。それを想像してまた恥ずかしくなり、新しい家へと逃げるように駆け出していた。
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