第2話

 この春から通うこととなった私立翔陽学院大学は、文学部、社会学部、経済経営学部、法学部、国際学部、教育学部と理工学部の文理7学部によって構成される総合大学である。そこそこ知名度もあり、人気も高い。


 凛は人一倍勉強が得意だとか好きだとか、そういったタイプというわけではなかった。実際、一般選抜による受験に挑んでいたらこの大学には合格できていなかったかもしれない。偏差値からいえば五分五分といったところだったわけだ。


 そんな凛がこの大学に無事合格できたのはひとえに高校時代の恩師の熱心な指導と学校推薦のおかげであろう。推薦入試により運良く入学できたことは喜ばしいことだ。


 何故、この大学を選んだのかと問われれば明確な答えは持ち合わせていないというのが本音である。ただ、きっかけというか魅力を感じた瞬間はあった。それは去年の夏、ここのオープンキャンパスを訪れたときだ。はっきりと覚えている。学生たちの生き生きとした顔。キャンパスにいる一人一人が皆、輝いて見えた。

 その時、漠然と芽生えた感覚。自分もここに通えばこの人達のようにキラキラした何かが見つかるかもしれないと。

 キラキラとか、ワクワクといった青春めいた物に憧れ、気がつけば進路希望の用紙の第一志望の欄にしっかりとした筆圧高い字で私立翔陽学院大学と書き記していた。

 今、思い返せば、それは自分自身の中に刻み付けるためだったのだろう。目標を定め、それに向かって邁進するために。

 幸い、両親に反対されることはなく、ギリギリのラインではあったが担任からもお許しを得て、それなりに努力する覚悟をしたのだ。

 あとは成り行きとばかりに推薦、ダメなら一般選抜と勉強を重ねた。そして念願叶い、合格をもらい、晴れて翔陽学院大学の生徒となったわけだが、入学式の今日は、思いがけない再会と出会いが重なり、式の最中も集中できなかった。

 入学したという実感をあまり得るには至らなかったのが正直なところだ。


 入学式が終わり、晴れて翔陽学院大学の生徒として迎えられた新入生たち。

 何かを得るためにここにやってきた。何者かになるためにここに立つ。そういったフワフワしたやる気が漲り、漠然とした期待で満たされた風船の様に何処までも昇って行けるような感覚。

 誰も彼もこの学び舎で学んだ先にある輝かしい未来を疑いもしていないのだ。

 今はそれが正解なのだろう。

 凛自身も不思議と不安はない。

 今ここにあるべきなのは希望だけなのだろうとすんなり納得できた。


◇◇◇


 入学式を終えた新入生を待っているのはサークルや部活による熾烈な勧誘合戦である。

 大学の書類等が入った封筒を片手に先輩たちの熱烈な歓迎とともにキャンパスのあちらこちらにあるブースへと新入生が引きずり込まれていく。 訂正。案内されていく。


 凛もまた例外ではない。

 剣道部やアメフト部、漫研によく分からない名前のサークルから声をかけられ、数多の手が触手のように伸びてきて新人を獲得しようと絡み付いてくるのだ。


 色々と見てみたいからと、テンプレの文言を駆使して、何とか無数の触肢から逃れていく。興味のないものに時間を取られることはできる限り、避けたかった。


 「また来てねー!うちらはいつでも大歓迎だよー」


 「はーい。2名様ごあんなーい」


 まだ何も知らぬ若者たちが、煌びやかなJDたちに釣られ、ひとり、またひとりと部活やサークルへと入会させられていく。


 いくつかサークルのテントを覗いたが、特に惹かれるようなものはまだ見付かっていない。

 知り合いもおらず、何も決めてはいない凛は、そんな新入生たちと上級生たちのやり取りを適当な場所に腰掛けながら無関心に眺めていた。


 「ギラついてるな。どのブースも獲物を見る目で見てるよな。マジで」


 すると、自分と全く同じようなことを口にする人物が現れた。凛自身が呟いたのかと、錯覚するぐらいに、ソイツは今の凛の気持ちをずばりと代弁していた。

 彼も新入生なのだろう。

 凛と同じく、真新しいスーツに身を包み、入学式で渡された封筒を抱えていた。


 クセのある短髪に凛より頭一つくらいの高身長。左耳にはアメジストだろうか。紫色の宝石が付いたピアスと、いかにも強面な風貌だ。苦手なタイプだ。


 その妙なシンクロ率のつぶやきには同意するが、関わりたくない気持ちが勝っていた。

 その場を立ち去ろうと立ち上がり、半ば踏み出した足を程なく止めることになった。

 見た目が派手な彼が凛の肩を叩いたからだ。

 

 「さっき入学式で前の座席にいたよね。もうサークルとか決めた?」


 初対面とは思えないくらい距離感が近い。気さくで社交的。パーソナルスペースが狭く、コミュニケーションに迷いがない。

 馴れ馴れしい。と言い換えることもできる。


 話しかけられているのに無視するのは流石に失礼なので足を止め、凛は意を決して振り返った。


  「いや、まだ決めてないよ。ごめん、後ろの席は見てなかった。えっとはじめまして。俺は彩峰凛。社会学部。そっちは?」


 コミュニケーションの基本はまず挨拶だ。そして、互いを認識し合うための自己紹介。話してみなければひととなりは分からないものだ。

 凛は、イカつい印象からくる苦手意識をどうにか噛み殺し、つとめて自然かつ友好的に返答することにした。


 「おっと、すまん。入学式でずっと見てたから知り合いになった気でいたわ。加藤時雨。おんなじ社会学部の一年ね」


 強面な見た目に反して、根はまともなようで安心した。まともに話せる相手だと思い直せば、彼の笑顔もどこか人懐っこく見えてくる。

 凛は、時雨のその見た目だけで、判断してしまったことを心の中で反省した。


 「なんかせっかくだから新しいこととかしたくない?面白そうなサークルとかねぇかなって思ったんだけど、勧誘がガチじゃん。ちと、めんどいんだわ」


 そのことには全面的に同意する。

時雨の話では、剣道部の所でかなり強引な勧誘を受けたようだ。

 時雨は剣道経験者らしく、大学の剣道部というものがどういうものか気になり、勧誘を行っているテントにお邪魔すると、最初こそお茶が出てきたり、剣道をやっていたという話で盛り上がり、先輩たちも気さくな感じだったという。

 雰囲気が変わったのは軽く会話を楽しんだあと、時雨が退席しようとした時だった。

 剣道部の人々は当然、経験者の時雨が入部すると勝手に思い込んだようで、テントを離れようとするのを阻止しようと、その腕を掴み、強引に入部を迫ってきたのだという。

 時雨からしてみれば、軽いノリで覗いただけなので入部しようなどとは一切考えおらず、迷惑でしかない。

 執拗い勧誘に辟易しながらも何とか断り、ほかの新入生が入ってきた隙に逃げてきたのだという。去る時雨の背中越しに舌打ちや矢鱈と不満そうな声が飛んできたというから信じられない。

 この場でのサークルや部活への入部・入会は全て自由意志に基づく。

 例え、見学に参加したとしても入部するか否かは本人の自由だ。そこに何か、口を挟む権利は個人はおろか、大学側にだってありはしない。

 咎められる筋合いは何処にもない。


 「綾峰君さぁ。これも何かの縁だから一緒に回らない?面倒な勧誘も1人より2人の方が対処しやすいっしょ」


 時雨の話を聞いてそれがよくわかった。申し出は寧ろ、有難い。彼の言った通り、ふたりの方がきっと上手く断れるだろう。何より一人寂しくサークルを回るより、賑やかな方がきっと楽しい。


 「凛でいいよ。俺もひとりだったからその方が心強いかな」

 「オケ!俺の事もしぐれでいいわ。んじゃ、適当に回るか」


自然とすぐに打ち解けた見た目DQN。訂正。派手な加藤時雨とサークルを見て回ることとなった。


一人より二人のほうがきっと楽しいだろうと素直に思えた。新しい環境が凛を大胆にしたからかもしれない。

何はともあれ、人づきあいという点をあまり得意としない凛にとって、すぐに友達や頼れる先輩が出来たことはとても運がいいといえた。


◇◇◇


 大学は学び舎であると同時にありとあらゆる感性が集まるコミニュティだ。

 それを示すように文系、理系問わず多くの部活やサークルが乱立している。

 中にはなにこれ。みたいなものも含まれているが、どれもこれも活気に満ちている。


 凛と時雨は、ぶらぶらと気になったサークルを巡り歩いていると、これまた怪しげなサークルにでくわした。

 各団体にはそれぞれ場所が割り当てられ、各々宣伝や勧誘を行っているのだが、このブースは少し外れにテントを構え、看板には「賢人会」と、だけ書かれていた。


 「賢人会?」


 MENSAみたいに天才しか入れないみたいなサークルなのだろうか。サブカル系や色モノサークルもいくつか見て回って来たが、どのサークルも多少なりとも名前やディスプレイにより特色を表現していた。それなのに、ここには凝った装飾もなければ、尖った主張もない。簡素な看板があるだけだ。謎すぎる。これでは何のサークルか、さっぱり分からない。ふたりは揃って首を傾げた。


 「なんか面白そうじゃね?ちょっと覗いてみようぜ」


 時雨はそのよく分からなさ加減に好奇心を刺激されたようで、特に気にする様子もなくそう言うが、凛はあまり乗り気にはなれなかった。

 サークルの皮を被ったやばい新興宗教か何かじゃないかと警戒を強めていたからだ。


 「いや大丈夫か、これ?なんか怪しいヤツな気ぃしかしないけど」

 「大丈夫だって。やばかったらすぐ逃げればいいし。な、ちょっとだけだからさ」


 怖いもの見たさで、見学を強く希望する時雨のゴリ押しにため息が出る。

 こいつはきっと心霊スポットとかでも平気で乗り込むタイプに違いない。

 結局、凛が折れる羽目になった。


  「なんかあったらお前を囮に逃げるからな。頼んだよ、生贄君」


 意趣返しに凛はキメ顔でそう告げ、時雨の肩を叩いてやった。

 爽やかな笑顔からのえげつない裏切り発言に、時雨はすかさず抗議の声を上げた。


 「おい、そこは助けろよ!」

 

 そんなくだらない言い合いの末、ふたりは謎のサークルのテントに足を踏み入れた。


 恐る恐るテント内を見回すと意外にも中は普通だ。屋外ブースなためテントの中に会議机といくつかのパイプ椅子、そしてドリンクサーバとパソコンが2台置かれていたが、人は誰も居なかった。

 

 「誰もいないな。休憩中とか?」

 「さぁ。わかんないけど誰もいないなら時間の無駄だしほか行くか。面白そうだったんだけどなー」


 友人のぼやきはともかく、よく分からない場所から離れられるのは有難い。凛は密かに胸を撫で下ろした。

  結局なんのサークルか分からないまま、無人の賢人会と書かれたブースを後にしようとしたその時。

 入り口を見るとそこに二人、やべぇ奴らが立っていた。


 ひとりは狐面に和装という出で立ちで、もうひとりはレディーススーツにフルフェイスヘルメットを被り、両方とも顔はわからない。

 背格好から、おそらくふたりとも女性だ。和装と洋装の違いはあれど、両者ともスタイルは抜群なのだが、ヤバい。怪し過ぎる。


「賢人会」という組織への宜しくない先入観も手伝い、凍りつく凛と時雨。


 アタリを引いてしまった───。

 

 そう、確信した。

 早くなる鼓動に、首筋から背中にかけてつたう嫌な汗。加速する思考。脳をフル回転させて打開策をさがす。なに、2対2だ。どうということもない。凛は、意を決して声を上げた。


 「俺たちはサークル見学に来ただけなんで!すみませんでした!失礼しますッ!」


 入り口を塞ぐ二人組の脇をすり抜け、逃走を選択した。脳内で、「逃げる」のコマンドを連打する。


「まぁ、そう言わずお茶でも飲んでいきなよ」


足早に去ろうとしたふたりの肩を狐面が素早くつかみ、引き止めにかかる。


 回り込まれた。逃げられない。


 ヘルメットの方はその場所から動く気配がなく、ただ事態の推移を見守っていた。


 凛と時雨はめのまえが、まっくらになった。


◇◇◇


 今の状況を一言で表すなら、「渾沌カオス」である。

 よく分からない怪しげなサークル?のブースでお面とヘルメットをそれぞれ被り、顔を隠した不審者たちに捕まり、パイプ椅子に座らせられていた。

 お狐様は紙コップに四人分のお茶を注ぐと凛たちの座る方とは反対側、対面になる位置に腰を下ろした。


 ヘルメットの方は何故か、迷いなく凛の隣に腰掛けている。もう訳が分からない。

 きっと逃がさないために違いない。怖い。


「そんなに怯えなくても何もしないよー」


 ちょっとした物音にも敏感に反応し、小さく悲鳴をあげてビビりちらかす凛と時雨。

 女狐は迦陵が歌うような声でふたりを宥め、そっと狐面を外した。

 すると怪しげな狐は、見目麗しい女性へと姿を変えた。面の下に隠された人の相貌は何とも端正で愛らしい。浴衣姿も相まってお茶を飲む仕草がよく似合う。

凛の横にいる方も頭から重たそうな赤いフルフェイスヘルメットを勢いよく脱いだ。長く艶やかな黒髪を振り乱し、何だか凄くいい匂いを全方位に照射する。凛の嗅覚を撫で、脳へと這い上がっていく甘い香りに覚えがあった。その素晴らしく馨しい芳香を嗅ぐのは初めてではなかった。

 

 体臭を記憶しているなど、我ながら何だか変態っぽいと思いつつ、「はて?」と頭を捻ってもどこで嗅いだのか思い出せない。ヘルメットを脱いだ彼女も狐面の人に負けず劣らず、相当な美人である。正確にはそれぞれ美人の種類が違うのだが。それはまぁいいとして、こんな美人と出会っていたなら、フェチシズム的な印象以外にも色々覚えていそうなものだ。


 その香りの主は、被っていたヘルメットをテーブルの上へと置くと、対面に座る狐面を外した女性に倣い、お茶に口をつけていた。毒とかは入っていないだろうか。本気でそんなことを心配してしまう。だが、出された物に口を付けないのも何だか悪いので、凛もまた透き通った若草色の液体を流し込み、乾いた喉を潤した。


便宜上、ヘルメットの方をヘルメットの君、狐面の方を狐の君と呼ぶことにする。


 軽い自己紹介の結果、ヘルメットの君は同じ新入生で、狐の君がこのサークルのメンバーで3年らしい。

 

 「入学式で隣だった人だよね。私のこと覚えてる?」


 タイミングを見計らっていたのだろう。隣の彼女にあの時と同じように、そっと囁かれてはじめて点と点が繋がり、線となる。彼女こそ、入学式のとき、凛の肩についた糸くずを取ってくれた親切な美少女だったのだ。

 ヘルメットを装着して無言で立ち尽くしていた登場時のインパクトが強すぎて、二人を同一人物だと結び付けることができなかったのだ。それですぐに思い出せなかったのだと納得する。


 「あぁ。入学式の!その節は大変お世話になりました。改めて感謝致します」

 「そんな、いいから!どういたしまして?」


 深々と腰を折り、改めて丁寧に謝意を伝える。 あまりにも凛が畏まるものだから、ヘルメットの君は少なからず狼狽していた。

 彼女は、思っていたのだろう。糸くずを取ってあげたくらいなんてことはないと。だからこそ、その澄んだ心根にしっかりと感謝を伝えておきたかったのだ。

 だから、彼女に感謝を受け取ってもらえたようで何よりである。


 「君たち知り合い?」


 何やら狐の君がにまにまと、こちらを見ていた。何やら、完全に邪推してる顔だ。だが、何もやましいことはない。凛は、毅然とした態度でその視線を受け流した。

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