夜鳴鶏亭

 cook‐a‐doodle‐doo~~~~.

 けたたましい鶏の鳴き声で目が覚めた。リビングの絨毯の上に寝転がってテレビを見ているうちにいつの間にか眠ってしまっていたようだ。

 昨日は自棄になって飲んでいるうちに終電を逃し、そのまま朝まであちこち店を回って飲み続けていたのだった。帰宅してシャワーを浴びても落ち着かず、眠る気にもなれずにリビングに転がり……そこからの記憶がない。

 cook‐a‐doodle‐doo~~~~.

 鶏は飽きずに鳴き続けていた。俺は重い体を起こして普段から閉じたままのカーテンの隙間を覗く。外は真っ暗だった。机に転がしたままの携帯電話を拾い上げる。時刻表示は23時。日中まるごと眠ってしまったのか。昨夜に続き、自堕落もいいところだ。しかし、それだけショッキングな出来事だった。突然の退職勧告。つまりリストラだ。20年務めた勤務先だった。あまりのあっけなさにはじめはまったく実感が湧かず、後になって負の感情が一気に押し寄せてきたのだった。

 cook‐a‐doodle‐doo~~~~.

 それにしても、うるさい。鶏はこんな夜に鳴くものなのか。しかし、ここに住むようになって今日まで、朝や昼にも鳴き声を聞いたことはなかった。誰かが飼い始めたのだろうか。

 どこで鳴いているのか突き止めてやるか、という気になった。体も頭も昨夜の調子を引きずったままで、気だるくて仕方がない。夜風にあたって散歩というのも、気分転換にいいだろう。

 玄関を出てからも鳴き声は続いている。そちらに向かって歩く。本当にやかましい。誰も気にならないのだろうか? こんな時間に皆が皆、寝静まっているわけでもないだろうに。それでも、どの家からも人が出てくる気配はない。

 とにかく歩いた。近所の道だというのに、見覚えのない風景だ。夜だからそう思えるだけだろうか。なんだか鳴き声に、未知の世界へと誘われているような……バカバカしい。おとぎ話じゃあるまいし。そう思ったが、妙な気分が解消されることはなかった。

 鳴き声の発生源と思しき場所が見えてくる。両脇に鬱蒼と木々が生い茂る小道、その中ほどに、小屋が立っている。そこの玄関と思しきサッシの引き戸、その窓ガラスが屋内の明かりを煌々と放っている。放たれた明かりが引き戸の側に置かれた立て看板を照らす。

 看板の上部に『夜鳴鶏亭』と手書きのペンキ文字で書いてある。どう読むのだろう。その下には『各種定食、取り揃えています』とだけある。養鶏所かと思ったら、食事の店らしい。こんな場所でこんな時間に食事の店? 不思議に思いながら、俺は店の扉を開いた。

「いらっしゃい。〝よなどりてい〟にようこそ」

 店の主人と思しき男性がカウンターの向こうから俺に声をかける。看板に書かれたあの漢字、そう読むのか。夜に鳴く鳥。そのままじゃないか。

 店内を眺める。さほど広くないスペースに4人がけのテーブルが3つ。意外なことに、いずれも先客で埋まっていた。俺はカウンターに座った。

 いた。鶏だ。カウンターの奥の勝手口が開いており、その向こうの部屋――倉庫なのだろう――に人の腰の高さくらいの柵に囲われて一羽、鶏がいた。

「ご主人、あの鶏、夜も元気に鳴くんですね。この店の名前の由来ですか」俺は店の主人に訊ねてみることにした。「実は私、あの鶏の鳴き声がどこから聞こえるのか確かめようとして、ここを見つけたんですよ」

 細い目をした主人は、その目をさらに細めて笑みを表現し、答える。「ここに来るお客様は皆さんそうおっしゃいます。あの子はね、ヤガミっていいます。夜の神で、ヤガミ。あの子はうちのお客さんになってくれそうな人をね、鳴いて呼んでくれるんですよ。あの子の鳴き声は、そういう人にしか聞こえないんです」

 俺は主人の言うことに、あいまいに頷いた。頭ではとても信じられないが、感情的には妙に納得してしまう。家からここまで来るまでの状況や、主人の口調、この店のどこか非日常的、非現実的なムードがそうさせるのだろうか。

「ご注文は?」主人がメニューを渡すので眺める。

「これは……モーニングメニューじゃないんですか?」

 メニューに並んでいるのは和洋それぞれに朝食を思わせるものばかりだった。

「この店は、夜に活動を始める人たちのための店ですから」

 俺はお勧めの卵かけご飯を注文し、食した。旨い。確かに旨い。日中なにも腹に入れていなかったのだ。卵の旨みが舌から、腹から、全身に染み渡るようだった。聞けばそこのヤガミの生んだ卵だと言う。だが……。

「こいつはやっぱり、朝に食べたいな。ご主人、ここ、朝は営業しないんですか?」

 主人は俺の質問にかぶりを振って答える。

「この店は夜でないと立ち行かないのです。ほら、お客様をご覧になって」

 そう言われて、失礼かと思いつつ、振り返って店内を見てみる。こう言ってはなんだか、確かに、昼よりも夜が似合いそうな雰囲気をした面々ばかりが揃っている。

「深夜勤務のフリーター、お水のお仕事、あと、あの人なんかは冴えない小説家。そんな人たちが集まる店なんです」主人のほうが平気で失礼なことを言っているが、言われている当人たちは特に気にする風でもない。

「残念ですが、お客様はまだここに来るべきじゃないのかもしれません。ヤガミもバツが悪そうですしね」柵の中の鶏は、あれからぱったりと鳴くのを止めていた。

 俺は店を出た。家に戻るころには東の空が明るくなり始めていた。そんなに長くあの店にいたわけでもないのに……まあいい、今夜のことは夢だ。なぜか、すっぱりと割り切ることができた。

「朝飯、何にしようかな」俺は一人、つぶやいた。

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