船を待つひと Prologue 入港
船着き場と聞いて、どんな景色が思い浮かぶだろうか?
青空。
水平線が弧を描くのが見えるくらいに、どこまでも広がる海。
波音。
風の感触と潮の香り。
海鳥たちの鳴き声、はばたき。
桟橋につくホワイトカラーの船。陽光を反射して輝く船体。
そこにいるひとびと。船員。乗客たち。彼らの生き生きとした顔つき。
海を前にして、開放的な気分。
これから海に出ることに期待を感じるとともに、足が陸を離れるということに、生理的な不安も感じたり。
残念だ。
僕はいま、そういう景色の豊かさとも、感情の高鳴りからも、遠い状況に置かれてしまった。
たった今入港した船は、すぐさま軍人たちのチェックが入り、乗客一人ひとりに持ち物検査をはじめ身分証明や入国の目的まで、船内での確認が行われる。この国が本来持つ入国管理局とはまったく別の手続きとして。
そう、僕を含めたこの船の乗客たちは、海の向こうからこの国にやってきたところだ。
今、この“島国”は軍隊によって人の出入りが警戒されている。
“島国”ゆえに陸からの入国はなく、警戒されているのは海と空。僕が今到着したばかりの港も例外じゃないということだ。
この国自体が、どこかと戦争をしているわけじゃない。だけど、どうやら常に臨戦状態の“隣国”とは、かなりややこしい事態になっているらしい。この港本来の雰囲気に似つかわしくないピリピリとしたムードは、そうした事情が関わっている。
ともかく、僕は面倒なチェックをどうにかクリアして、たった今船を降りて、船着き場に足をつけたところだ。
後ろにはさっきまで僕が乗っていた客船が浮かんでいる。
そう、浮かんでいるのだ。
驚きじゃないだろうか?
産業革命はもう教科書の中のできごとで、僕は巨大な鉄の船が世界中を走るのが当たり前の世界に生きているのだけれど、それでもやっぱり不思議に思う。
これはマジックじゃない。
タネも仕掛けもございます。
きっと僕にも理解できる仕掛けが。
でも、あえて僕はこの現象を魔法のままにしておきたい。
とかく船や海には現代の僕たちが迷信扱いするような、ファンタジックでミステリアスな逸話がたくさん残っている。魔法が入り込む余地のなさそうな、知恵と科学の時代の船にだって、ちょっとくらい子供っぽいロマンが残っていてもいいと思う。
でなきゃ、ほんと最低だ。せっかくの入国の喜びが台なしじゃないか。
そうだろう?
僕は腰につけたホルダからカメラを取り出すとストラップを手首に通し、別のポーチからは必要なレンズを取り出してカメラに装着する。アングルは思い切ってファインダ越しで判断。アドリブだ。
野暮な軍人たちが、僕に悠長な時間を与えてくれないのは考えるまでもない。
それに今は正確さより、リズム。そんな気分。
ボタンに指をかける。すぐに押す。放す。また押す。
シャッターを切り続ける。
目の前の巨大な神秘、どう切り取ってやろうか?
当たり前なフリをして浮かんでいるこいつは、どんな奇跡でできている?
「おい貴様! カメラをしまえ!」
夢の時間は終わり。さようならネバーランド。
いつのまにか近づいていたらしい軍人が、大声で僕の撮影を制止する。
僕は言われたとおりにカメラをしまうが、
「客船を撮っていただけです。軍事機密とかには触れていないと思いますが」
口だけでも抵抗しておく。まさかいきなり銃口を向けたりはしないだろう。もしそんなことになったら僕は反射的にカメラを構えるだろうか。早打ち勝負なら負けないかも。だけど僕のカメラから銃弾は出ない。
「規定により港内での撮影は例外なく禁止となっている!」
軍人は強い口調で僕の抵抗をピシャリと封じる。僕に取り付く島を与えない。
「身分証を」
僕は首にぶら下げたプレスカードをかざす。
「……ミズコシ・シュン。貴様を連行する」
男はもう一人、軍人を呼ぶと短く言葉をかわし、それから僕に背を向けて歩き出す。第二の男は僕の後ろに回り、行け、と声で僕に歩くよう促す。
十分ほど僕は二人の軍人に挟まれて無言で歩く。二人は歩くのが速く、僕はときどき早歩きをしないと二人と歩調が合わない。
倉庫と貨物ばかりが並ぶ無機質な風景が続く。ここは貨物船のための港だろうか。他の通行人は作業服か軍服の男ばかり。すれ違う車も、そういう人間が使うような専用車ばかりだ。
「ここだ」
さらに十分程度歩いてたどり着いたのは、やはり味気ない建物だった。
もとは民間の組合事務所だったようだ。撤去するには不便な位置にある看板が、そう訴えている。二階建てで横長のコンクリート建築、玄関前は駐車スペースになっており、軍用車が何台か停まっている。
この施設の人間に引継ぎをして、二人の男は戻っていった。引き継いだ施設の人間に連れられて、僕は小さな会議室とおぼしき部屋に通される。お偉い軍人さんたちに囲まれて尋問でも始まるのかと思っていたが、部屋にいたのは男がたったの一人だった。横長の折りたたみテーブルを四角になるように並べ、そこに折りたたみの椅子を用意した、よくある会議室の風景だ。男は部屋の奥、上座から、こちらを見ている。
「座って。どこでもいい」
僕は男の向かいになるよう、部屋に入ってすぐの、目の前の椅子に腰をおろす。
男は机に何枚か書類を広げて、僕が座るのを黙ってみている。なんだか面接に来たような気分になってきた。
男はメガネをかけている。これまでの軍人たちとは違って体格も細身で、およそ軍人らしくない。年は僕より少し上くらいだろうか。
「名前は?」
ふいに質問をしてくる。
少し間をあけて、水越瞬です、と名乗る。
「写真を撮っていたそうだね」
男は僕の間などお構いなしで、すばやく次の言葉を吐いた。軍隊式か、苦手なテンポだ。僕はまた、少し遅れて、はい、と言う。
「何を撮っていた?」
文明と言う名のマジックを。
「船です。自分が乗ってきた客船を撮っていました」
「何故?」
なぜ? もう、面倒だな。
「僕はカメラマンだからです」
30点。
僕のアイデンティティを主張する絶好の決め台詞のつもりが、大きく空回り。
それに僕は専門のカメラマンじゃない。もちろんカメラを使うの業務のうちだから、嘘は言ってないけど。
「何故、船を被写体に選んだのか、その意図を聞いている」
はいはい。
僕は鉄の船が浮かぶ不思議さに惹かれたから、と答える。素直なつもりだが、まだはぐらかしていると思われそうだ。
男は少しの間、黙って僕を見つめた。なんだろう。いよいよ手荒く拷問にかけるべきか、算段しているんだろうか。
「……ミズコシ・シュンか」
男が小さくつぶやく。心なしか、先程までとは調子が違う。そして、僕を見るのをやめて、
「職業はカメラマン、それでいいね?」
と、これまで以上に淡白な口調で聞いてきた。若干のため息が混じっているようにも思う。
折れたか? 面倒なやつを捕まえたと思ってもらえればこれ幸い。
ここからは逆に手際のよさを演出。それも作戦。
「いえ、正確には記者です。カメラマンは兼任。フリーのジャーナリストと言えば、わかりやすいでしょうか」
「ではジャーナリストと記録する。次、入国の目的は?」
「取材です」
「何の取材?」
「主に海に関わる人たちのインタビューを。あくまで民間人の生活とか、心情とか、そういうのですよ」
「民間人にインタビュー、それで充分だ」
男はそう言うと、僕のプレスカードを要求する。僕は首にかけたひも付きホルダをそのまま男に渡す。男はホルダからカードを抜き取ると、大きなスタンプを僕のカードと、書類にそれぞれ強く押しこむ。
ガシャン、と大きな音を立てる。なにやら妙にメカニカルな機構を持つスタンプだ。蛇腹がスタンプのヘッドと柄の部分をつなぐ、まさに腹部になっている。押し込まれた瞬間、蛇腹がぎゅっと縮み、離れるとまた伸びる。
面白い。シャッターを切れないのが残念だ。まばたきで写真が撮れればいいのに。
「記録を終わる。今回は警告のみ。目的の取材は好きにしていい。それでも、軍が監視する施設での撮影はだめだ」
「わかりました」
「退室していい」
僕は席を立つとカードを受け取り、男に一礼して会議室を出ようとした。
途端、
「“船を待つひと”ミズコシ、だね?」
僕は思わず立ち止まる。
「私もここで船を待つ人間の一人だが、立場上、君の取材を受けるわけにはいかない。残念だ」
立ち去り際に奇襲を受けて、僕はにやりとしてしまう。僕は振り向いて、
「まだ、どこかで会いましょう。できれば今度は海が見える場所がいいですね」
と言って笑う。
「ミズコシ・シュン、よき滞在を」
「ありがとう、じゃあ」
僕は港を離れて町を歩いている。今日の宿泊先に向かっているところだ。
これからの取材についてぼんやりと考えているが、同時に先程の軍人とのやりとりの余韻を味わってもいる。彼のようなタイプの人間にも自分のことを知られているなんて、意外で面白い発見だった。
きっと彼にも彼なりの“船を待つ”物語があるのだろう。残念ながら今回は彼の物語を記す機会はなかったが、いつか、そのときには、軍服姿でない彼の写真を撮りたいと思う。彼にしか描けない、船を待つ男の姿を。
「よき滞在を」僕は願った。
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