ダイナゴヤーよ、永遠に

 かつて、名古屋には悪しきをくじき、弱きを救う、正義の超人がいた。

 彼の名はダイナゴヤー。

 名古屋の平和は、彼の手によって守られていた。

 しかし、時代は過ぎ、社会は複雑化の一途を辿った。正義とは何か、悪とは何か、平和とはどういう状態なのか。あらゆる価値観は多様化し、正義と悪の境界は曖昧になった。

 もはやたった一人の超人の力を、世の中は必要としなくなっていた。

 そしてダイナゴヤーは、人知れず姿を消した。

 

 夜。栄は錦三丁目。拾った客は「名駅までぇ」と言うなり寝息を立て始めた。はい、とだけ返事をする。聞いているかどうかは知らない。タクシードライバー・真中大助は桜通に車を走らせた。

 同業の車のテールランプが道を埋めている。駅が近づくと、その道の先に巨大な二本の柱が立っているのが夜でもわかる。かつては圧倒的だったこの景色も今では見飽きて何も感じない。確かセントラルタワーズが正式名だった。大助はツインタワーと覚えてしまっていて、今でもそう呼んでいる。

 名古屋駅前のロータリーに着いた。ツインタワーの根元だ。ここも同業者の車両や送り迎えの一般車でごった返している。放っておいたらいつまでも寝ていそうな客をどうにか降ろすと、大助は次の客を乗せる前に一息入れることにした。

 業務用の駐車スペースに車を停めてから運転席を降り、半開きのままにしたドアに片手を添えて、少しだけもたれるようにする。大助の視線はタワーの向かい、大通りの向こうにあるビルに向かっていた。ビルの名は大名古屋ビルヂング。名古屋駅前を代表する巨大ビルである。

 そのビルのてっぺんには、立体の文字看板が「大」「名」「古」「屋」「ビ」「ル」「ヂ」「ン」「グ」と並んで青く光っている。ビル名がそのままデカデカと存在を主張している。時代遅れだよな、と大助は思う。思わず苦笑してしまうものの、どこか哀愁を感じたりもする。


「大名古屋……ダイナゴヤー」

 大助はつぶやいた。誰も聞く相手はいない。

 大助が背にしているセントラルタワーズ、そして大名古屋ビルヂングとは通りを挟んで側に立つミッドランドスクエア。それら新築の超高層ビルを前に、かつての名古屋駅前のシンボルはお役御免と言ったところだ。近々、建て直しも決まっているらしい。

 俺もお前も同じだな。大助はここに来ると飽きもせずこう思ってしまう。

 真中大助。彼は超人ダイナゴヤー、であった男。今は中年タクシードライバー。もはやどこにでもいる普通の人間にすぎない。かつて『正義は名古屋のどこにでも』を謳い文句に名古屋中を駆け回っていた。その経験を頼りになんとか今の職を得ることができた。奇跡的な出会いによって、今では所帯も持っている。守るべきものは名古屋ではなく一つの家庭。それでも今は精一杯だ。

 超人は去り、同じ名を持つビルもまた、時代とともに去る。何事も変わっていくものだ。

 

    ◆

 

 サボるのもほどほどにして大助は次の客を拾うことにした。

 そのとき。

 耳に響く大音量のハウリングとともに、

「わぁっはっはっはっはっはっはゲホッゲホッ、はっはっはっはゲホゲホ」

 芝居がかった、しかし芝居しきれなかった高笑いが名古屋の駅前に響きわたった。

 大助の哀愁めいた気持ちとか情緒的な感覚は、二つの意味で一気にかき消されてしまった。一つはあまりの突拍子なさに。そしてもう一つは。

(おいおい、こいつはひょっとしなくても……)

 大助にはその声の主に心当たりがあった。むしろ、忘れたくても忘れられない相手である。

(……ダイテンシュ キンコ……!)

「私の名はぁ大天守 金鯱であるっ!」

 心当たりのとおりの人物だった。

「名古屋地獄滅党(へるめっとう、と読む) の首領であるぅ。ぇー偽りの平和をむさぼる愚民どもよ。ぇー大名古屋ビルヂングはぁ、ぇー我々が占拠したぁ。わっはっはっは恐れおののくがいい!」

 台本を読んでいるとしか思えない「ぇー」つき棒読みセリフに、最後だけ威勢のいい文句が続く。

 大助は脱力感しか湧かなかった。これを聞いていったい何に恐れおののけと言うのか。

 悪い夢か何かの冗談としか思えなかったが、声の特徴からすると、しゃべっているのがかつての宿敵であることは疑いようがなかった。

「もちろん人質も取っているぞぉ。要求は一つだぁ。ダイナゴヤーをここに呼べぇ。わかるかぁ? 超人ダイナゴヤーだぁ! 忘れたとは言わせんぞぉ。ひょっとして近くにいるかもなぁ。聞いているかダイナゴヤー! 貴様が夜明けまでにここに来なければぁ、このビルを爆破するぅ! 貴様と、この名古屋のシンボルであるこのビルをなぁ。わぁっはっはっはぁ」

 なんだかこなれてきたらしく、流暢な演説になっている。

 しかしそんなことよりその内容が大助には肝心だった。ツッコミどころも含めて。

(なんだなんだ今さら俺に何の用だ? 人質だと爆破だと? 信じがたいが本当か? 俺でも疑うぞ。いまどきの人なんかじゃイベントか何かだとしか思えんだろうに)

 実際、大勢の人がこの駅前を歩いているが、その多くは何事もなく歩いている。彼らの気を引いたのは最初のハウリングくらいではなかろうか。中には気に留めて上を見上げていたりもするが、新手の街頭パフォーマンスか何かくらいにしか思っていなさそうなリアクションだ。実際、子供が喜びそうだよなあ、と大助も感じてしまった。

 ともあれ名指しで呼ばれてしまった以上、無視はできない。なにより、かつての敵が小っ恥ずかしい、かつ、はた迷惑なことをしているのは見るに耐えない。とりあえず、自分の身に何かあってはマズイと思い、家族に連絡だけは入れておく。

 すぐに電話に出た妻は、大助の手短な説明にあっさりと『いっといで』とだけ返すやいなや『それより龍星が名古屋に出たまま帰ってこないんだけど』と言い出した。この話題は長くなる、と直感した大助は「わかったわかった、会ったら早く帰るよう言っとくから」とだけ言って通話を終えた。

 しかしこの事態といい、息子が親に心配をかけてばかりなのといい、俺は俺でいまだに超人気取りなのか何のつもりなのか……大助はため息をついた。

(腹立たしいような、くすぐったいような、呆れちまうような……気持ちが定まらんなあ)

 そんなことを思いながら、大助は運転手帽を座席に放ると、大名古屋ビルヂングに向かって駆け出した。

 

    ◆

 

 今の大助には超人へと変身する能力はすでにない。野次馬をかき分けてビルの前に来ただけで息も切れ切れになってしまう。金鯱はビルを占拠したと言っていたが、実際はそんな様子もなく、大助は苦労せずビルに入ることができた。

 ビル中央のホールからエレベータに乗って屋上のビアガーデンへ。金鯱の演説はまだ続いていた。ここに来るとますますの大音量だ。これではさすがにビアガーデンも営業どころではないらしく、客も店員も金鯱の様子を窺うばかりだった。

 金鯱がいるのはここ、屋上と一般に言われているフロアからさらに上、大名古屋ビルヂングの文字看板が並んている場所だった。当然、一般の立ち入りは禁止の場所だが大助は躊躇なく整備用のルートを使ってそこへ登っていく。

 ようやくゴールに辿りついたとき、大助は息も絶え絶えになっていた。それでも大きく息を吸うと、演説をかましている金鯱の背中に叫んだ。

「俺はここだ、大天守金鯱!」

 その瞬間、金鯱は演説をやめてこちらを振り返った。

「よく来たなぁ真中大助。む? 貴様、本当に真中大助か?」

 金鯱がわからないのも無理はない、と大助は苦笑した。

 どこにでもいるタクシー運転手の制服姿のおっさんがかつての宿敵だとは思えないのだろう。

「嘘などつかないさ。逆に俺は、はっきりとお前が大天守金鯱だとわかったぜ」

 当然だった。両肩に金のシャチホコ(金鯱の名前そのままだ)の飾りを付けた黒マントを羽織る長髪の白髪の老人。

 こんなコスプレは大須でも見れまい。

「これはいったいなんのつもりだ。馬鹿なマネはやめて人質を釈放しろ」

大助が自分でも白々しいと思いつつお決まりのことを言うと、金鯱は

「人質などないさ」

 あっさりとそう言った。

「だが爆破は本当だ。真中大助、いやダイナゴヤー。これはお前のために用意した罠なのだぁ!」

 そう言ってマントを跳ね上げ両手を広げる。やはりお決まりのポーズ。

 大助はもっと言ってやるしかないと思った。

「今さらこんなことをしたって年寄りのヒーローと悪役ごっこにしかならんぞ。俺もお前も、もうかつての力はない。もうこんなマネはよせ。今なら不法侵入とか騒音による近所迷惑とか、そのくらいで済むさ。今さら悪者ぶって何かしたって名古屋は何も変わらない」

 大助はゆっくりと金鯱に近づいた。あくまで自然に。そして右手を差し出す。だが金鯱は全力であとずさりした。そのまま自分の懐に手を入れて、何かを取り出す。

「……本当に、ここを爆破するのか?」

 大助はさすがに警戒した。金鯱の手には、爆破装置のスイッチが握られていた。

「私が道化を演じておることくらい自覚しておるわダイナゴヤー。しかしな、しかし、私にはこうすることしかできんのだよ」

 スイッチを握る金鯱の手はひどく震えている。

「そう、私は貴様に破れて悪の力を失った。貴様は、私を殺さず改心する道を選ばせた。だが悪の道しか知らぬ私には結局、平和な暮らしなど不可能だったのだ。貴様と違ってな」

「……まだあきらめる必要はない。俺も協力する。だからそれを渡せ」

「そうだ協力だ、ダイナゴヤー! 私をこの苦しみから開放してくれ! 共に、共に消えよう! この大名古屋ビルヂングとともに消えるのだぁ!」

 金鯱は大真面目なのかもしれないが、いちいち芝居ががった言い回しや身振りのせいで、どうしても大助には、これが真剣な話とは思えなかった。

(まあ、確かにこれが悪の首領などと自称できる男の性格かもしれん)

 大助はそうやって自分を納得させた。相手はただの偏屈な老人だ。自分がただのお節介な男であるように。茶番だろうが最後までつき合うさ。

「駄々をこねるんじゃない、金鯱」

「寂しかったのだ、ダイナゴヤー。寂しかったのだよ……名古屋は変わった、時代は変わった。誰も私のことなど見向きもしない。私を知る者はもうお前しかいない」

 大助には金鯱の思いが痛いほど理解できる。だが、いやだからこそ。

「違う! 過去にすがるな。前を向くんだ、金鯱。お前は自分の力で、今の自分を知ってもらわなきゃいけないんだ。悪の首領であるお前じゃない、今のお前自身だ。名古屋が変わるなら俺たちも変わらなきゃならないんだ!」

 金鯱は黙って大助の言うことを聞いていた。

「俺は死ねない。お前と死ぬわけにはいかない。帰りを待つ妻と子供がいる」

「貴様には、いるのだな、貴様を深く知る者が」

「ああ。お前にも見つかるさ。協力する」

 座り込んだ金鯱の前に立ち、あらためて大助は手を差し伸べた。しかし。

「駄目だな。今さら悪が正義に寝返るなどと」

 金鯱はその手をまたも払いのけた。

「貴様に敗れて散っていった部下たちになんと言えばいい?

私は皆の元へ行くのだ。貴様を道連れになぁ!」

 金鯱にはもう迷う素振りはなかった。爆破スイッチに指をかける。指に力がこもる。

 その一瞬が、大助には永遠に思えた。これがいわゆる走馬灯ってやつか、と頭のどこかで思った。周りの音がなにも聞こえない。ただ、見える。

 金鯱の眼孔。震える指先。

 ここは大名古屋ビルヂング。

 屋上。金鯱の背中の向こうのフェンス。

 その向こうにミッドランドタワー、ツインタワー、いやセントラルタワーだったっけか。

 思考が飛躍する。

 空。

 名古屋の空の下。

 交差点を行き交う人々。

 かつての自分、友、敵だった者たち。

 守るべき人たち。

 俺の家。

 妻。

 そして。

「りゅうせいぃぃぃぃいいいいっっ!!!」

 大助は絶叫した。我が子の名前を。

 

 それと同時に、大助と金鯱の間を突風が吹き抜けた。

 次の瞬間、大助には金鯱に向かって猛スピードで突進する人影が見え。

 次にはその人影が金鯱の右手を打ち。

 最後はスイッチを奪い、かつ金鯱を押し倒すかたちで拘束・無力化した人物が、大助の目に映った。

 

 そして静寂。

 大助は一歩も身動きができなかったが、

「ダ、ダイナゴヤー? いや、その姿は」

 その金鯱の呻き声で大助は我に返った。だが、危機が去って安堵するより先に、

「龍星! なんでここに来たんだ! 危ないじゃないか! そもそもいつまで外をほっつき歩いてだな! 今、何時だと思ってるんだ」

 と、条件反射で救いの主を叱っていた。

 叱られた救いの主は、気の抜けた声で返す。

「なんだよそれ。父さん死ぬかもしれなかったのに。それに僕は超人ミッドランド・ダイナスターだ」

 超人のスーツに身を包んだその人物は、大助が言うとおり、息子の真中龍星、そして超人ミッドランド・ダイナスターであった。

「ミッドランド・ダイナスター。ダイナゴヤーの息子……」

 金鯱が呆然とつぶやく。大助は照れくさそうにして

「まあそういうことだ。まだまだ手の掛かる子供だがな」

 と言うと、ダイナスター=龍星はやはり照れながら、父親に強く抗議した。

 親子でじゃれ合いが始まりそうになるのを大助は我慢して、金鯱に声をかける。

「金鯱。お前にも積み上げてきたものを継いでくれるやつが見つかる。それにな、さっきの部下を思う気持ち、あれが正義と平和の心だ。愛ってやつさ」

 ああ、俺も芝居がかってるな、と大助は言ったあとで自分を恥じた。

「愛……だと? それがあれば、私にも……」

 金鯱は初めからずっと芝居モードだ。大助は吹っ切れた。

「そうだとも! さあ!」

 大助は三度目の右手を差し出した。龍星はすでに金鯱の拘束を解いて、それを見守っている。

「ふふふ、今回も私の負けかダイナゴヤー。そして、ミッドランド・ダイナスター」

 金鯱は大げさに観念した素振りを見せて、その手を取った。

 

    ◆

 

 こうして大名古屋ビルヂングの爆破は回避された。

 予定通り、超高層ビルへの建て直しの計画が進んでいる。

 本格的な工事が始まればもう「大名古屋ビルヂング」の文字看板を見ることもなくなるだろう。

 それでもいい、と大助は、今日もロータリーからビルを見上げて、そう思った。それでもすべてがなくなったわけじゃない。時代の変化とともに姿を変えてここにある。

「形を変えて、受け継がれるものは確かにある。俺はそれを見守る。なあ、金鯱、お前も、きっと……」

 そこまで独り言でつぶやいている自分に気づき、大助は苦笑した。やれやれ、俺もまだドラマの中のヒーロー癖が抜けそうにない。

 車載の無線に連絡が入る。大助は気持ちを切り替えようと務めた。

 今日も名古屋の街は平和に動いている。その中にヒーローも悪役も脇役もない。

等しく、名古屋の物語の主人公だ。 

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