第3話
「そうそう、そうやって一本は必ず手摺りに繋がってるようにしておけば、基本的には大丈夫だから」
おっかなびっくり。どうにかこうにか。そんな感じで命綱を付け替えながら、マコトがこちらまで移動してくる。最初の位置から私の所まで五エーグルも離れていないが、マコトは一エーグル移動するのに、火に掛けた水がお湯になりそうな時間が掛かった。
最初の一歩がなかなか踏み出せなかったというのもあるけど、空に慣れて無いとこんなに大変なんだねぇ。と、私は根気よく待つ事にする。
「なんか、鳶になった気分だ」
「トビ??」
「ん? あ、ごめん。なんかふっと頭に浮かんだんだ。こう、命綱を交互に手摺りに付け替える所がなんとなく覚えがあるなぁって」
良く分からないが、マコトにはトビっていう知り合いがいるらしい。そうすると、マコトは少なくとも船に乗った事があり、屋根にも上った事がありそうなのだけど……。格納庫に置いてある船にでも乗ったのだろうか。いや、でも。うーん。
「思い出した所で、この状況が改善される事は無いってのが悲しい所なんだけど」
「それは仕方無いんじゃない? マコトが慣れるか、気合でなんとかするしか無いんだし。ほら、もうちょっとだよ。もうちょっとで、あとは梯子を降りるだけになるから頑張って」
「……この足もとが覚束ない状態で、梯子を降りろと?」
マコトの顔が引き攣る。私は肩をすくめて答えた。
「梯子の下は甲板だから大丈夫よ。高さも二エーグルくらいしか無いし、落ちた所で怪我もしないと思うから安心して踏み外しなさいな」
「優しそうで結構酷い事言う
な、イズミって」
失敬な。
「ふーん。じゃあ、酷い私は船の中で待ってた方が良かった? 正直な所、待ち長いのよ。小さい子の方がよっぽど度胸ある動きするし」
「ごめん。謝るからそのまま行こうとしないでくれ。この状態で放置されたら俺は多分死ぬ」
焦った表情で言うマコトに、良いから早くこっちまで来てと促して、私は屋根の端っこに腰掛けた。地味に疲れるのだ。ポンコツの自動操縦によるホバリング状態とはいえ、船の揺れに合わせて体勢を維持するのは。
それからしばらくして、ようやく私達は安全な船内通路に入る事が出来た。床にへたり込んでいるマコトに声を掛ける。
「お疲れさま。少しは慣れたんじゃない?」
「あそこで足を踏み外さなければ、な」
マコトは梯子の途中で足を踏み外し、そのまま甲板にビタンッ、と落ちた。
「ひっ!?」
という短い悲鳴にちょっと可哀想になりながらも、私は何も本当に足を踏み外さなくても、という呆れを顔に出さないよう苦労した。
「もう船の中なんだから大丈夫よ。安心安全、白烏の大翼号へようこそ。あなたの乗船を歓迎するよ。マコト」
「安心したからこそ立てなくなる。という事もあるんだ」
「……万が一に備えてたのが馬鹿らしくなってきたわ」
あまりにも空に慣れてない様子に、拍子抜けしたのもあって、話しあっておくべき事が殆ど話せていない。
「万が一??」
「こっちの話。じゃあ私は、この通路の一番奥の操舵室にいるから落ち着いたら来て。色々な話はそこでね」
「……わかった」
マコトを置いて先に操舵室に入り、ほっと一息つく。多少なりとも落ち着いたのが、自分でもわかった。
『対象の保護を確認した。良くやった。イズミ』
「どういたしまして。で、船内に入れたわけだけど、実際の所どうなのよ?」
『保護対象の詳細スキャン及び、客人登録はまだしばらく掛かるだろう。個人用防御膜の待機状態解除もまだ待つように』
「名前はカシワギ・マコトで登録しておいて。呼び名はマコトね。武器は外しておくから、何かあったら非殺傷モードで対応して」
『医療用ナノマシンの常在化アップデートが完了した。やはりマコトの体内には元々、ナノマシンは存在していなかったようだ。数が増えるまでは時間が掛かると思われる』
機人でも無い、スラム街の住人でも無さそうなのに、本当にそんな人がいるんだという驚きに、私は呆れる。
「ほんっとに、どこから来たんだか」
『情報が足りていない。マコトの出身地の情報を引き出せ。マコトは本船に対し、保護対象として乗船許可が出ている。ならば国際法に則り、出身地近くの公的機関に預けるまで保護されなければならない』
「……この船に?」
『同衾はツキノ様の許可を得るように』
「しないってば!」
ため息が自然に出たのは仕方無いと思う。だって、つまりは、このポンコツのせいで場合によってはだが、ずっとこの船に乗せなければならない可能性が出て来たからだ。
「とても嫌な予感しかしないよね」
私の快適遊覧生活が……。
「あの……イズミ?」
マコトが操舵室の入り口から遠慮がちに顔を覗かせた。何やらとても不思議そうな顔をしている。
「もう落ち着いた? なら入って、そこの椅子に座って」
「お、おう。わかった。……もう一人は?」
「もう一人??」
「いや、誰かと喋ってたから挨拶した方が良いよな。と思ったんだ」
「え、あぁ。そういう事ね」
何の事かと思った。マコトは人工知能も思い出せない、もしくは知らないらしい。いや、まぁ、確かにここまで人間臭い反応を示すポンコツはあまり無いけど、普通はすぐに思い当たるはずだから。
「えっとね。マコトは人工知能は知らない、って事で良い?」
「人工知能……」
『我の事だ』
「うわっ!?」
マコトは大袈裟なくらい驚いて周りを見回した。色んな所に小さいスピーカーが付いてるから、どこから話し掛けられてるのかがパッと分からなかったのだろう。
「今マコトに話し掛けたのが、この白烏の大翼号に搭載されてる人工知能ね。ポンコツだけどまぁまぁ性能は良いから安心して」
「えっと?」
『紹介はちゃんとするように、イズミ。ようこそマコト。白烏の大翼号へ。イズミは我をポンコツと言うが、実際はツキノ様が造って下さった我は、世界有数の能力を持った人工知能だ。正式名称は『我が最愛の妹、イズミに捧げ──
「すとーっぷ! すとーっぷ!」
何を言い出すかなこのポンコツは!?
「あー、ツキノ様? って」
「気にしないで!? コイツはポンコツ! それで良いのよ!!」
マコトの若干引いたような顔が私のメンタルに刺さる。やめてそんな顔で見ないで。
「なんというか、大変なんだな?」
「やめて。放り出すよ。窓から」
「ごめん」
『保護対象の破棄は国際法違反だ。イズミ』
「うっさいポンコツ!!」
暫くして少し落ち着いたので、お腹もすいてきたのもあって、食事をしながら話をしようという事になった。ポンコツの兄賛辞と、恥ずかしい正式名称なんて知らない。
「はいマコト。これ、食べられる?」
「初めて食べるけど、たぶん」
少量のナノマシンと、ナノマシンそのものの材料も含有する栄養価バツグンのパックに入ったスープと、固めの豆パン二個が今日の食事だ。
スープはパックの底に付いている紐を引くと、すぐに飲むのにちょうど良いくらいまでナノマシンが温めてくれる優れ物だ。値段の割に味も量も種類もなかなかなので、私はある程度買いだめしている。
豆パンの方は保存の為にナノマシンが使われていない一番安い物だ。といっても、味は程よい塩味で、ゆうに一ヶ月は持つ代物なので船旅には欠かせない。個包装で嵩張るのと、飽きやすいのが玉に瑕だけれど。
不思議な事に、スープ等はナノマシン配合の方が安く、固形物は配合されてない方が安い。ポンコツに聞いたら、どうやらナノマシンが動けるか動け無いかがネックとなるらしい。ままならないものだ。
「へぇ、紐引くだけで温まるのか。便利だな」
「いちいち料理しなくても温かいスープが飲めるの。良いでしょ」
頷くマコトに豆パンを差し出しながら、私は自分の分のスープパックの紐を引っ張る。どういう処理が為されているのかは分からないが、あっという間に温まったスープの口を開けて一口飲んだ。
「んー、今日のは鶏ガラ系か。ランダムパックはさすがね」
たまに外れもあるが、基本ラインナップに載っていない味のスープもあるから飽きる事が無い。
「……旨い」
マコトも当たりだったようだ。顔が綻んでいる所を見るに、かなり気に入ったらしい。
「それは良かった。っと言っても、私が作った訳じゃないし明日は不味いスープかも知れないんだけどね」
ってそんな哀しそうな顔しなくても。仕方ないじゃないランダムなんだし。
「ところでマコト。改めて確認するけど、君は記憶喪失で、どこから落ちて来たのかも思い出せない根無し草って事で、良いんだよね?」
「根無し草……うん、まぁ、確かに。そもそも落ちて来た記憶すら無いんだけど」
『マコトを保護するにあたっては、国際法に則り、マコトの出身地の情報が必要だ。出身地が分かれば最寄りの公的機関に送る事が出来る。それまでは本船にて保護を継続する事が、イズミには義務付けられている』
「そういうこと。早く思い出してね。いつまでも私の船に乗せてはあげられないから」
「ごめん、世話を掛けます」
「仕方ないってやつだから。謝らないで良いよ」
正直言ってとても面倒くさい法律だと思う。場合によっては悪用も出来る、とんでもない悪法だと私は思うのだ。
何故最寄りの公的機関に預けるのでは駄目なのか。極力金を使いたくないのだろうけど、公的機関としてそれはどうなのだろう。
まぁ、それは良いとして。
「んで、ここからが本題で、交渉ね。実を言うと、マコトを救助する際、この白烏の大翼号は構造にそこそこのダメージを負っているの。私の私室の天井とか、穴開いちゃってるし」
「それは……えっと」
「言い方が悪くなっちゃうんだけど、マコトって見た目よりかなり重いせいなのか、落ちて来た時に船側で衝撃を吸収しきれなかったのね。で、こういう場合、国際法で被救助者……マコトへ請求をして良い事になってるんだけど、お金は当然持って無いよね?」
「……ごめん」
「ただの確認だから謝らないで良いよ。救助した時に荷物が無かったから分かってた事だし」
問題は船の修理代が結構嵩張りそうだという事だ。
「で、提案なんだけど、記憶が戻る戻らないに関わらず、船が直るまでは私の仕事の手伝いをしてくれないかな?」
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