第214話 憤怒に燃える厄介な嫡男

 医師の青年が路上で倒れている二人を看ていると貴族の男が瞼を開いた。


「ぐう……」


 呻き声を漏らしながら、上体を起こした。


 意識が混濁しているのか、貴族の男は頭を左右に振った。


「いッ……」


 その瞬間に首に痛みがあったようだ。


 その痛みで自分に何が起きたのか察したのか、表情が険しくなる。


「大丈夫ですか?」


 目覚めたことに医師の青年が気づき、呼びかけた。


「…………」


「あの……」


 返事のないからか、青年が心配になって近づいて触診をしようとした。


「触るな! それよりもあのガキはどこに行った!」


「え……?」


 ものすごい剣幕で医師の青年を問い詰める貴族の男。


 医師の青年がすぐに答えることができずにいると、業を煮やして立ち上がった。


「チッ! おい、いつまで寝てる気だ!」


 貴族の男は舌打ちしながら、護衛の男の体を蹴り飛ばした。


「ちょ、ちょっと!」


 あまりの扱いに医師の青年が仲裁に入ろうとした。


「〝触れるな〟と言っただろ。平民風情が俺に逆らう気か?」


「ひッ……!」


 貴族の機嫌を損ねてしまったことで青年の顔に恐怖が浮かぶ。


 一瞬、医者としての正義感が顔を出していたが、貴族の男の一声で完全に折れてしまった。


 貴族の男は青年の恐怖に染まった顔を見て満足したのか、それ以上は何も言わなかった。


「おい! さっさと起きろ!」


 貴族の男はもう一度腹部を蹴っ飛ばす。


「ぐッ……」


 蹴られた衝撃で護衛の男の意識が戻った。


「目を覚ましたなら、行くぞ!」


「どちらに……?」


 立ち上がりながら、琉海たちに怒鳴っていたときとは裏腹に冷静な声で聞く。


「そんなの決まってるだろ。皇宮だ。やられた借りは何倍にもして返さねえとならね

えからな」


「まさか、やり返すのですか?」


「当たり前だろ。この俺をコケにしやがったんだ。その罪は償ってもらわないとな」


 貴族の男は琉海への怒りを燃やして皇宮へ足を向ける。


 その後を護衛の男が付いて行く。


 護衛の男は首からの痛みで琉海に畏怖を覚えていた。


 護衛の男もそれなりの戦場を生き残ってきた経験がある。


 そこらの兵士よりは強い自信があった。


 しかし、琉海からの攻撃は見えなかった。


 目が覚めて首の痛みから何をされたのか推察することができた程度だ。


 今回は殺されるようなことはなかったが、相手がその気なら一瞬で命を刈り取られていたことを自覚している護衛の男は主人のやり返しに乗り気ではなかった。


 ただ、気乗りしなくても逆らうことはできない。


 相手がそこらの貴族なら簡単に契約を破棄して逃げていたかもしれない。


 もしくは、馬鹿貴族だと言って痛い目に合わせてどれだけ無謀かをわからせていたかもしれない。


 しかし、護衛の男が契約している相手はそんなことが通用する相手ではなかった。


 護衛の眼前にいる青年は中央貴族を統率しているゲアハルト・ハイルマン公爵の嫡男――グライハルト・ハイルマンだ。


 息子のグライハルトはそこまで怖くない。


 怖いのはその父親だ。 


 契約を無視して逃げだせば、どんな目に合うかわからない。


 いや、逃げ出すことも叶わないだろう。


 ハイルマン公爵は裏切りを許さない男だ。


 何が何でも探し出して殺すだろう。


 護衛はその情景を想像して背筋が冷える。


「おい! なにやってんだ! 行くぞ!」


 護衛の男は内心でため息を吐き、皇宮への道のりを進んだ。

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