第152話 剣帝の眼

 ダルクの放った赤い煙は森に侵入している者以外からも見えていた。


「あれは……」


 ザーガスたちの同行を監視するために砦の塀の上にいた〝剣帝〟――エリ・ルブランシュと副官であるスレイカ・シブラウス。


 赤煙に視線を向けるエリに対し、副官のスレイカは片膝を突いて右手で右目を塞いで地面を見つめていた。


「失敗したか……」


 赤い煙は撤退の合図であることを帝国軍なら誰でも知っている。


「スレイカ、どう?」


 エリは、ジッと地面を見つめているスレイカに問う。


 スレイカはただ、地面を見ているわけではない。


 彼女の能力がそうさせている。


 スレイカ・シブラウスの能力浮遊視――またの名を《剣帝の眼》。


 彼女の能力は幽体離脱に近い感覚で、遠くを視覚できる。


 それは、直接視認するのではなく、俯瞰して視ることもできる。


 琉海たちが知れば、衛星写真のように見えることが想像できるだろう。


 ただ、この能力には制約があり、能力の発動中は自身が動くことができず、距離もそこまで遠くを視ることができない。


 できるだけ範囲を稼ぐために塀の上で能力を発動していた。


 敵陣だったら、この状態のスレイカは格好の的だが、内部に裏切り者がいたとしても、護衛をしているのが、〝剣帝〟では手を出せる者はいないだろう。


 スレイカも安心して能力を発揮できる。


「…………」


 エリが聞いてもスレイカは口を開かず、身じろぎすらしない。


 繊細さが必要な能力のため、集中していることが多いが、エリの問いに答えないことはなかった。


 少なくとも、何かしらのアクションは起こす。


「スレイカ、どうした?」


 心配になったエリはさっきよりも語気を強めて呼ぶ。


「…………っ!?」


 強めに言ったことで、スレイカの方がびくッと動いた。


 反応があったことに安堵してエリは大きく息を吐いた。


 スレイカの能力の性質上、制御を怠ると浮遊状態から戻れなくなる可能性がある。


 似た能力を持つ《トランサー》が過去に植物状態になった実例があった。


 その可能性がエリの頭をよぎったため、知らぬ間に焦りを覚えていたようだ。


 反応があったということは正気ではあるようだ。


 そうなると、最初に反応がなかったことに疑問を持つ。


「どうした?」


 再度聞くと、スレイカは顔を上げた。


「……森へ進行した総勢の7割が壊滅しました」


 スレイカはゆっくりと言葉を紡ぐ。


 まるで自分が見た光景が本当であったのか、半信半疑のようだ。


「7割か……」


 7割の軍勢を失っては作戦行動を継続することはできないだろうとエリは推測する。


(原因はなんだ?)


 ザーガスは情報に緘口令を敷いた。


 しかし、エリはザーガスと同じ情報を持っていた。


 森の魔女は2人であり、強力な魔法を使用していること。


(7割の損害となると、他に仲間がいたということだろうか)


 7割の損害を与えるほどの魔法を2人で行うのは無理がある。


 最低でも数人の魔法士が協力して魔法を放つ必要があるだろう。


「わかった。もういい。あの男には戻って来てから聞けばいい」


 エリは塀から下りようとしたとき――


「待ってください。もうひとつお伝えしたいことがあります」


「なんだ?」


「……壊滅させた者のことについてです」


「者? 者たちではなくか?」


 スレイカの言い方では、約2000の軍勢の7割――1400を無力化したのが、まるでひとりが行った事のように聞こえたから、聞き返した。


 その返答は――


「はい。1400名を無力化したのは、おそらくひとりの少年によるものかと思います。それも、1400名の数多の魔法を一瞬で封殺し、刹那の瞬間で一掃されました」


 エリはスレイカの説明を聞き、詳細を知りたく、適宜質問を重ねた。


 スレイカは俯瞰して視ることができていたおかげか、1400もの魔法を封殺した瞬間を目撃していた。


 それは魔法を飲み込むように水の奔流が空へ打ち上げられていたようだ。


 魔法はその勢いに飲まれ、消えて無くなった。


 そして、空から降り注ぐ雨。


 凶器の雨が1400人に襲い掛かり、沈黙したようだ。


 周囲を囲むように配置されていた者たちを襲う範囲攻撃。


 それを行った少年。


 最後にスレイカは「信じられない光景でした」と締めくくった。


 一騎当千の〝剣帝〟であるエリも1400人を相手にすることはできる。


 魔法の規模と範囲ならば、それ以上でも問題なく無力化していただろう。


 その範囲内に1400人しかいなかっただけで、その倍の2800だろうと、結果は変わらなかっただろうということをスレイカは理解していた。


 そして、その話を聞いたエリも同じ推測へと行き着く。


「その少年は要注意人物だ。顔の模写を頼めるか?」


「はい。わかりました」


 スレイカはもう一度、赤い煙の立ち昇る森へと視線を向けた。


「聞きたいことが山ほどあるが、帰ってこれるかも怪しくなったか」


 1400人の中にザーガスはいなかったことをスレイカに聞いて知っている。


 無事帰ってくれば、問いただすのに作戦失敗はいい材料になる。


 しかし、簡単に戻ってくるかもわからない。


 それに、エリは疑っていた。


 ザーガスが森に侵攻した理由について。


 表向きは森の魔女を排除し、森に道を造ってスティルド王国へ侵攻する足掛かりにすること。


 しかし、裏の目的があると推察していた。

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