第121話 歪みの真実

 琉海がため息を吐いていると、近づいてくる人影があった。


 人影に気づいた琉海は、振り向こうとしたが――


「ちょっといいッ!」


 そう言って琉海の腕を掴んで引っ張られる。


「う、ちょ、ちょっとッ……」


 突然、引っ張られて転びそうになるが、何とか転倒せず引かれるまま付いて行く。


 後ろ姿から引っ張る少女が誰なのかすぐにわかった。


 彼女が連れて行ったのは、会場の外――バルコニーだった。


 誰もいないバルコニーに辿り着くと、腕を離してくれた。


 ここまで無言だった彼女――木更刀香きさらとうかもといトウカ・シュライトは、琉海と視線を合わせる。


 騎士武闘大会での戦闘技術から明らかに刀香であることは確かだ。


 だが、試合でのトウカは琉海に対して鋭い視線を向けていた。


 いま、眼前にいるトウカからも剣呑さは抜けていない。


 それでも、何かに取り憑かれていたかのような試合の時よりは少し表情が穏やかかもしれない。


「少し聞いていいかしら」


 トウカが口を開いた。


 この他人行儀である感じ。


 そして、お淑やかな口調。


 琉海が感じる彼女の雰囲気は「お前は誰だ」と言いたくなるものだった。


 顔や剣術は刀香そのもの。


 だが、それ以外が別ものなのだ。


 違和感を覚えつつも、琉海は問い返すのを思いとどまり、トウカの問いに素直に答える。


「はい。いいですよ」


 瓜二つの別人ということも考え口調は敬語で対応する。


「あなたは私のことを知っているのかしら?」


 トウカのよくわからない問いに疑問符が浮かぶ。


「えっと……それはどういう意味でしょうか?」


「試合のときに私を呼ぶ言い方がなんだか知り合いに対してのものに思えたから」


 たしかに最初は刀香だと思った。


 いまも半信半疑だ。


 だが、それを口にしていいのかは悩むところだった。


 だから――


「そうですね。すごく似ていたので、知り合いかと思いましてお呼びしてしまいました。申し訳ございません」


 琉海は謝罪の言葉と一緒に頭を下げた。


 相手は貴族。


 後々、変なしこりが残らないように謝罪はしておく。


「いえ、謝っていただくことでは……。それよりも、その知り合いの方は、今どこにいらっしゃるのでしょうか?」


 なぜ、そこまで聞いてくるのかわからなかったが、琉海は素直に答える。


 もちろん、この世界とは別の世界から来たことは伏せてだ。


「現在はどこへいるのかわかりません。探している最中ですね」


「そうなんですか……」


 トウカはそう言って黙考する。


 沈黙が流れる。


 風にそよぐ草木が音を奏で、虫が鳴く音も聞こえてくる。


 そんな音に耳を傾けていると、トウカが再び口を開いた。


「突然のことで驚かれるかもしれませんが、聞いていただけないでしょうか?」


 そう前置きしてきた。


 どんな話が出てくるのか思いつつも、話の続きを聞くために頷くと、トウカはこの歪な状況の原因となっている要因を話した。


「私には過去の記憶がありません」


「ん?」


 一瞬、トウカがなんと言ったのか、わからなかった。


 唐突すぎて聞き間違いかと思った琉海は聞き返した。


「えっと、記憶がないん……ですか?」


「はい。私は二年前以前からの記憶がありません」


(二年前より以前の記憶がない!?)


 二年前。


 これはどこからなのか。


「その二年前ってどこにいらしたんですか?」


「王都にある孤児院の前です。その後、子供に恵まれなかった貴族に養子として迎えられました」


 トウカに詳しく話しを聞くとその時の状況がわかってきた。


 トウカは気が付くと孤児院の前で倒れていたそうだ。


 服装は琉海の知っている日本の学生服。


 トウカという名前以外の記憶はすっぽり無くなっており、見かねた孤児院の院長が自立できるまでの間、面倒を見てくれることになったらしい。


 その後の半年は孤児院で過ごしていたが、とある事件で悪党と遭遇し、自分が剣術を扱えることを知ったらしい。


 記憶にはなくとも、体が覚えていたようだ。


 情景反射で悪党を一網打尽にしたトウカは、子供に恵まれなかった貴族の夫婦から養子にならないかと誘われ、トウカはシュライト侯爵家の養子として迎えられたらしい。


 一通りの話を聞いて、半信半疑だったものが確信に変わる。


 同じ顔なのに見知らぬ態度。


 日本にいたときとは違うお淑やかな口調。


 しかし――


 発見時の服装。


 剣術は明らかに木更刀香のもの。


 小さい頃から刀香の家の道場で剣術を習っていたのだ。


 間違えるはずがない。


 同じ剣術がこの世界にも存在する可能性がどれだけあるだろうか。


 まずないだろう。


 似ている流派はあってもあそこまで瓜二つの流派があるとは思えない。


 間違いない。


 彼女は木更刀香だ。


 確信を持つことができた琉海。


 だが、そこから先どうすればいいかわからない。


 記憶のない者に知り合いですと言っても、相手にされるかどうか。


 だがらか、最初に聞きたかったことを聞く。


「どうして、この話を私にしたのでしょうか?」


 琉海の質問にトウカは眉を寄せる。


「どうしてでしょうね」


 トウカ自身もわかっていないのか首を傾げてしまう。


 だが、そのあとに続く言葉があった。


「でも、なんだかあなたと話していると、懐かしく感じるんです。どうしてでしょうかね」


 その時のトウカの表情は日本にいたときの雰囲気と同じだった。


 琉海はそのあとに言葉を続けることができなかった。


 記憶を失って第二の人生を過ごしているトウカ。


 記憶を呼び覚ます方法も現状わからない。


 琉海が思考していると――


「それでは、私は戻りますね」


 トウカはそう言って引き返そうとするが、途中で足を止めて振り返った。


「言い忘れていました」


「…………?」


 トウカはそう言って、琉海に視線を向ける。


「あ、あの……明日辺りはどちらにいらっしゃいますか?」


「予定はないと思いますので、スタント公爵家のお屋敷にいるかと思います」


「そ、そうですか。でしたら、改めてお伺いさせていただいてもよろしいでしょうか?」


 顔は若干赤らんで捲し立てる。


 その表情は長年一緒だった幼馴染の琉海でも見たことのない乙女の表情だった。


「えっと……構いませんよ」


 琉海は珍しいものを見たことに驚きつつも承諾した。


「そ、それでは、明日にお伺いさせていただきます」


 トウカはそう言うなり、早足でバルコニーから出て行った。


 琉海は刀香の背を消えるまで見つめ続けた。


 琉海は夜風にあたりながら考える。


 記憶がない刀香。


 記憶喪失は一時的なものもあるようだが、二年間記憶を失っていることから、一過性のものではないのかもしれない。


 それでも思わぬきっかけで記憶が呼び覚まされることもあると聞いたことがある。


 つまりは運任せ。


 トウカが刀香であることはわかった。


 あとは記憶喪失に対する対応策があれば。


 琉海はトウカの記憶を無くしたままにする気はなかった。


 この世界は魔法が存在する世界。


 何かしらの魔法で記憶を呼び覚ますことができるかもしれない。


 まずはエアリスやティニアたちに聞いてみるかと琉海は考えた。


「ここにいたのね」


 いつの間にかティニアがバルコニーにやってくる。


「そろそろ夜会も閉会よ。主役がいないわけにはいかないでしょ」


 ティニアはそう言って、戻るように催促する。


「ああ、わかった」


 琉海は頷き、バルコニーを後にした。

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