第7話 弔いの形
夜が明けて、人よりも少しだけ早く、外の鳥たちが活動を開始したことを知らせる泣き声が遠くに聞こえた。
この世界に降り立って、早五日が経とうとしている今日。ここ二日同様、家主であるリリーよりも早く僕は目を覚まして、彼女を起こさないように静かに掃除を始めた。会社時代は、僕はとりわけ朝が嫌いだった。朝起きれば、会社に行かなければならなくなるから。会社に行けば、また辛いことに立ち向かい続けなければならなくなるから。だからいつも、始業に間に合うぎりぎりまで、僕は夢の世界に旅立っていた。その時間だけは、現実を忘れられる唯一の時間だった。
ただ、今やそこまで現実逃避をする必要はなくなった。なぜなら僕は、もうあの辛い現実にはいないのだから。異世界、最高。
バケツに水を張り、濡らした雑巾を絞った。今日は台所の火の回りを入念に掃除しよう。天井から吊るされている鍋や、使い方のわからないこのランプとか、昨日から汚れが気になって仕方なかった。果たして水の力だけで落ちるのかは疑問だが、物は試しだ。
「やっぱ頑固な汚れだな」
まあ予想通り、拭いても拭いても汚れは落ちそうもない。額から滴る汗を拭きながら、僕は何度もトライを重ねた。
「おはよう。今日も早いんだね」
随分と鍋磨きに格闘していたらしく、リリーが起きてきた。
「ああ、おはよう」
「無理して、早起きを続けなくてもいいんだよ?」
「無理? 無理なんてしていないさ。それに、この家に住まわせてもらっている身なんだから、家主よりも早く起きて、仕事をするのは当然だろう」
「だけど」とリリーは含みを持たせた。
「どうかした?」
「ううん。なんでもない。うん。朝ごはん作るね」
「うん。ありがとう」
リリーは手際よく料理を作っていった。勿論、僕も手伝いをした。ただし、もう調理は任せてくれる気はないようだ。先日の料理、相当だったらしい。
ただ僕は、それを不服に思うことはなかった。むしろ助かる、とさえ感じていた。
「へえ。すると、エミリーの墓は無事に建ったんだね」
朝食を取りながら、僕達は取り留めのない会話を続けていた。その中で、昨日聞かされていたエミリーの墓が無事に建ったことを僕は知った。この世界では、かの疫病の蔓延によって、故人達の骨も、肌身離さず持っていた物も、何も残らない。だけど、弔わないことも違和感があると言うことで、生前故人達が大切にしていた物を墓に埋葬し、弔う決まりだそうだ。
「エミリーのお墓には、彼女の髪留めが埋葬されたよ。私がプレゼントした物で、ずっと使ってくれてたの。最後の日は、外して逝ったみたいだけど」
エミリーもまた、リリー同様に疫病により親族を失っていた。だから、遺品整理はリリーと親しい村民が手分けをして行ったらしい。
その時、エミリーの自室の机の上に、リリーが贈った髪留めが置いてあったそうだ。まるで、これを墓に埋葬してと言わんばかりに。
聞けば、かの疫病は余命までの期間が明確に定まっているために、故人達が埋葬品を残すケースは少なくないらしい。遺言書と一緒にこれを埋葬してくれ、と一筆することが多いそうだ。
そういう観点から見ると、遺言書も残さず、村を立ち去って死にに逝ったエミリーのような人は珍しいそうだ。
「エミリーはね。中々気難しい子だったの。我が強いというか、自分の意思を曲げない子」
「へえ」
適当な相槌しか打てなかった。僕は、エミリーのことは何も知らない。
「だから多分、最後まで自分の運命に抗ったんだと思う。だから遺言書を残さなかった」
家族も友達も奪った疫病に抗う。
不可能とわかっているのに、エミリーという少女は抗った。それはきっと誰にでも出来ることではない。
「お墓は、皆と同じ、小高い丘の上に建てられたよ」
「そうか」
小高い丘がどこにあるかは知らないが、無事に建てられたなら安心だった。きっと今は、離れ離れになっていた家族や友達と、再会を喜んでいることだろう。
「リリー、今度僕を、そのお墓に案内してくれないか」
「えっ」
「僕も弔いたいからね。前は、僕もエミリーと仲が良かったんだろう?」
「うん。まあね」
リリーの態度に、違和感を覚えた。親友への弔いを、歓迎しない理由がイマイチピンとこない。
「あ、そろそろお仕事行かないと」
露骨な話題のすり替えだった。
「お花屋、だっけ」
しかし僕は深入りはしなかった。家主に仇なして、不仲になってもまずい。
「うん。そう」
リリーは慌しく準備を始めた。
彼女が花屋に勤めているのは、昨日教えてもらった。昔から、オリバー達にも花屋に勤めることが夢だと語っていたようで、夢が叶ったことをとても嬉しそうに教えてもらったのだ。
ただ、今は業績はそこまで良くないそうだ。今の情勢を省みた時、果たして誰が花を買うのか、という話らしい。世知辛い世の中、というのは、どの世界でも共通なのだろうか?
弔辞用の花の売れ行きはいいんだけどね、なんて皮肉めいたことをリリーが言ったことが、酷く印象的な出来事だった。
「ねえ、今度仕事している様子を見に行ってもいいかな?」
「え?」
慌しく準備をする彼女の背に、僕は聞いた。家主のため、何か手伝えることはないだろうか。それこそ、前の世界の経験を活かして。そんなことを考えていた。
「いいよ。恥ずかしいし」
少しの逡巡の後、リリーは早口で言った。
「じゃあ行ってきます」
「う、うん。いってらっしゃい」
そのまま、リリーは出掛けていった。
「僕を外に出さないようにしているのか?」
リリーが出掛けた後、僕は呟いた。
エミリーの墓参りの件といい、仕事の見学の件といい、僕が外に出る内容に限って、他のことであれば主張を認めてくれるリリーにしては、一貫の姿勢を貫いている。それに強い違和感を覚えていた。
理由は定かではない。理由を明らかに出来るほど、家主と僕の間柄は深いものではない。
「……まさか」
その時、ふと一つの理由が浮かぶ。
「まさか、僕を使って疫病の謎を解こうとしているのか?」
浮かんだ理由は、僕(オリバーと思われる者)が疫病により死したにも関わらず、この世界に帰還したことに由来しているのではないだろうか?
『もう、二度と会えないと思っていた』
いつか彼女は、僕にそう言った。恐らくこれまでに、かの疫病に罹り死んだ者の中に、オリバーのように帰還した者はいなかったのだろう。
だから彼女は、僕を手懐けて、疫病解明のためのモルモットにでもしようとしているのではないのか?
外に出させないようにしているのは、僕に逃走経路を確保させないため、とか?
何にせよ、こんな話が浮かんでしまった僕は、気が気ではなくなり始めていた。せっかくあの辛い世界から逃げられたというのに、実験モルモットにされるなんてたまったもんじゃない。
「確認してみるか」
僕は、家主から与えられた二階の一番奥の部屋。彼女の父親の部屋に戻った。そして、箪笥を開けた。
「変装に使えそうな物はないか?」
乱暴に漁っていると、茶色いベレー帽を見つけた。
「心もとないが、ないよりはいいだろう」
僕はそのベレー帽を目深に被ると、家を出た。数日振りの外は、朝早いせいもあるのか、少しだけ肌寒かった。
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