人は右/車は左/鳥は上/モグラは下を/虹の彼方へ


 人は右/車は左/鳥は上/モグラは下を/虹の彼方へ



 例えば哲学書というものは、常に愚痴から始まる。

 二十一世紀、二十世紀、十九世紀、十八世紀――遡れば紀元前まで。序文の大半、時には本論にまで。

 内容はどれも同じだ。紀元前の愚痴にも共感できるほど、人は変わらず傲慢で、虚飾に塗れ、愚かなのだろう。それでも人を見捨てないことだけは、哲学者の美点と言える。

 文学は親切心を抜きに愚痴を言えるのだから、その点、文学者は哲学者より幾らか幸運なのだろう。


 連作の標題でもある「人は右」と「車は左」で始まる一首目。

 モグラはヘーゲル流にいえばシェイクスピアの亡霊、人の内の精神。となれば鳥は梟、つまり知恵の象徴。あるいは「過去への追憶」と「未来への探求」に当たる。

 自然物たる「人」と被造物たる「車」を並べているならば、精神と知恵を意味すると考えるべきか。


 「上」と「下」での比較は、一見、それらの持つ価値の差を示しているように見える。しかし、人と車の位置関係に数直線や官位の示す左右の値の差がないように、この「上」と「下」には、いわゆるは存在しないことを明確に示している。

 権威や名声、歴史や新規性、あらゆる基準はそれ自体に何の価値もない。ただ只管、虹の彼方に到達することを目指せ、と。


 つまりは、これもそういう愚痴――あるいは嘲弄なのだろう。

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