◆評者5

『人は右/車は左』(詠み人知らず)

 御存知の通り、ニーチェの著作において最も夢がある点は、「筆者と出版社が直接的に原稿の遣り取りをしていない」という点だ。

 著作集の中で唐突に俗なことを言いだした節、過去の記述と矛盾する節があっても、(それは単なるではなく)すべて「出版社との仲介をしていたニーチェの妹が、原稿料のために自分で勝手に書き足した」可能性がある。それも――いわゆる陰謀論的な話ではなく――ある程度まで現実的なレベルで。

 お陰であらゆる読者は、タレスやピタゴラスに対するそれと比べても遥かに容易く、また堅固に、己の信じるニーチェ像を造形する。そして、それを崩すことなく文章に耽り、一寸の迷いもなく自身の思想を補強することができる。

 単なるアンチノミーと言うのではなく、テキストの安易な流用、聞き齧りの借用、気に食わない節をそう決め付けて、好き勝手な取捨選択ができる。従ってそれらは無理な止揚の必然を待たず、また理想の歪曲も求めず、徹底した分析と批判すら放棄して、自在に別センテンスの下位へ隷属させられる。


 万葉の時代より「短歌」というジャンルは、常にそれを解した「歌評」と対になる。語弊を恐れず言えば「解釈を以て完成する詩形」と呼んでも良い。『人は右、車は左』という連作短歌にも、発表以来多くの歌評が添えられてきた。その解釈は評者によって様々で何れが正しいということもない。

 作者が何らかの意図を込めていたとして、その意図が読者、評者に伝わらないのであれば、それは作者の側の不足だ。作者には曲解を恨む権利も、咎める権利もない。


 私がこれから綴る歌評の解釈は、かつて物された全ての歌評のそれよりも厳密であり、正確であり、稿と言える。しかし、ではない。

 少なくとも、私はそのつもりで本稿を著す。

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