2─動物園で

 3月14日、夜8時。私はベッドの前で唸っていた。原因は目の前に散らかった衣服にある。私はお前らが悪いと言わんばかりに服を睨み付けてみるが何の解決策にもならないことは明白だった。

 さて、今私の頭を悩ませているのは何であるか。答えは単純明快。スカート/パンツ問題である。デートで着る服をどうするか。決まらずに今日まで来てしまった。

 最終選考に残ったのは、大きめのパーカーにジーンズの機動性重視のシンプルな組み合わせ、ふんわりとした白シャツにどこか菜の花を彷彿とさせる黄色いスカートのお嬢様然とした組み合わせ、肩から肘にかけて黒いリボンがあしらわれた白いブラウスに黒のワイドパンツの組み合わせの計3つ。

 それらをじっと見つめ、私は頭の中に優先順位を組み立てた。邪魔にならないこと、自分に似合うこと、可愛いことといった順番で。──それだと菜の花スカートは真っ先に除外だ。動きにくいし、何より私に似合わない。は私の柄じゃない。

 躊躇いつつも、私は候補2つを見比べる。動きやすさだけだったらジーンズの独り勝ちだろう。だが、明日はデートだ。写生会はあくまでオマケ。

 悩んだ末、私は菜の花スカートと白シャツ、パーカー、ジーンズをしまった。




 最寄り駅、待ち合わせの10分前。

 駅前のターミナルに藤堂が立っていた。灰色のパーカーに黒のコーチジャケット、黒いスキニー。服装に無頓着な性格だが、しっかりとおしゃれしている。それにいつもは良くて五分前、悪くて少し遅刻なのに珍しい。

 だが、それと同時に嬉しい。

 藤堂はこちらに気づいたようで、イヤホンを抜きながらこちらに手を振った。


「おはよ」


「おはよう。寒いね」


 私は見上げるような姿勢になりながら藤堂と話している。私だって平均よりは高いけど、藤堂は180cm弱ある。わざわざ底が厚いショートブーツを選んだのに。


「じゃあ行こっか」


 藤堂はふんわりと笑った。

 私はそれにイラつきと、あたたかい何かを感じた気がした。




「わっ、ちょっと。舐めないでよ」


「おわっ!!」


 ざらざらとした舌が、私の腕を舐める。

 写生会開始前、時間に余裕があるのでふれあいコーナーに来ていた。山羊やウサギなど可愛らしい動物たちがいる中、やけに人がいない場所があった。そこがここ、いぬコーナーである。可愛らしいと言えばそうなのだが珍しさが欠けていたのだろう。人気の差が明らかだった。

 それをかわいそうだとついつい入ってしまったら、犬が寄ってくるわ寄ってくるわ。

 そして押し倒され、舐め回されているのが今である。


「可愛い……」


 そして私の隣では藤堂が犬たちに絆されていた。ゴールデンレトリバーを撫で回している。そして、


「俺、あっちで犬の餌買ってくる!」


 そう言うやいなや餌やりコーナーの売店に走り出した。俊足。しかし犬たちはそれにわらわらと追いかけている。恐るべし、犬。速いな、犬。

 周りの犬が捌けたのをいいことに、私は立ち上がって藤堂とその親衛犬たちを目で追いかける。

 藤堂はクッキー10枚組を2つ買って、またこちらに走ってきた。親衛犬たちも一緒である。犬が嫌いなわけではないが、犬の大群が迫ってくる様に私は畏怖に近いものを覚えた。

 ──もし、これを絵に描けたならどれほど気持ちいいだろうか。

 少しだけ寂しくなる。

 全て絵に描けたなら、それはきっととても素敵なことだろうに。

 そのとき、私の脚を湿ったものが拭った。


「ひゃっ!?」


 急なことに変な声が出る。犬たちが戻ってきていた。隣を見ると、藤堂もいる。クッキーの袋を掲げて嬉しそうに笑っていた。


「餌やりしよう」


 屈託のない笑顔でそう言うと、しゃがみこんでクッキーを砕いて手のひらにのせた。すぐに犬たちが群がってきて、クッキーはすぐになくなった。

 尻尾を振った犬たちが次を待ち遠しそうにしている。

 藤堂はそれを確認しつつ、私を見上げた。


「ほら、立花も」


「ありがとう」


 私はクッキーを受け取って、藤堂に倣って餌をやった。少しこそばゆい。


「こういうの見てるとさ、犬飼いたくならない?」


 犬から目線を外さずに藤堂が言う。まるでこちらからの目線に気づいてないみたいだ。


「そうだね。鳴きさえしなければなー」


 空になった手のひらにクッキーを補充しながら答える。


「それは大事かも。じゃあ大型犬かな……」


 やけに真面目な顔つきで藤堂は言う。

 下を向いているから長い睫が目立つ。もし、描けたなら……。

 ダメだ。せっかくのデート。楽しいことを考えていたい。

 そう思うと藤堂が犬ばかり見ていることに腹が立ってきた。少し意地悪なことでも言ってやろうか。


「ってか藤堂、犬に浮気かよ」


 藤堂が、こちらを向いた。始めはきょとんとした顔。次に目を輝かせて、ニヤつき出した。


「なんだよ、弥生ちゃんヤキモチかよー」


 名前に"ちゃん"付け。藤堂が私をからかう時の癖。

 ニヤニヤ顔のまま、藤堂はわしゃわしゃと私の頭を撫でた。……恥ずかしい。


「藤堂、クッキーの欠片が髪に付く」


「でもー、ヤキモチだしなー。

 犬になー。ヤキモチかー。立花が」


 まさに水を得た魚。実に生き生きとした顔で私をからかう。

 私も負けじと藤堂の頭に手を伸ばそうとして、クッキーを落としてしまった。


「「あっ」」


 犬が一斉に飛びかかってきた。

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