1─個室の中

「あなたは、ある女子高生のストーカーです。その子の通う学校の女子トイレを盗撮しますか?それとも盗聴しますか?」


 こんな質問があったなら、私は迷わず盗聴を選ぶ。女子トイレは情報の宝庫だ。いるだけで彼氏について、嫌いな子の話、通っている塾、好みのタイプ、クラスでの立ち位置。なんでも分かってしまう。

 今私は、クラスメイトの話を個室の中から盗み聞きしている。いや、そうせざるを得ないという方が近いだろうか。

 トイレの洗面台の前で、三島さんたちがメイクをしている。化粧品特有の匂いが薄く充満する。そして笑い声が響いてくる。──鬱陶しい。

 新しい彼氏さんの好きなところ、元カレたちの嫌いだったところ。どこに笑う箇所があるのかはいまいち分からないけど、主に元カレの下りで笑いが起きている。

 女の恋は上書き保存だとか言うけれど、大抵の女子は『元カレフォルダ』に適当にぶちこんでいる。名前が個別に付けてあったり、ナンバリングされてたりしたらまだいい方だ。三島さんたちは、メンヘラとかアホとかでファイルを分けている気がする。


 どうでもいいことだけど。


 早く終わらないかな。そうでないと出にくい。なぜ女子はあんなに群がって駄弁る習性を持っているのか。そもそも、メイクは校則で禁止されているだろう。

 これだけのことを言う勇気が私にあればいいのだが、残念なことにそれはない。それに言ったところでどうなるか、たかが知れてる。

 よく高校の民度は偏差値によって変わると聞く。なら偏差値50とちょっとのここはどうなのだろうか。最低でも、いじめがクラスに1つ2つ程度蔓延るだけの民度の低さは誇っている。

 もし私の頭の出来が少しでもマシだったなら、幾分か偏差値が上のところに行きたかったなと思う。今となってはただのタラレバ論だけど。

 そんなことを考えているうちに騒音はドアの外に出ていったようだった。つい安堵感からため息を漏らす。だがそのため息は、すぐに嫌悪のため息に変わった。

 洗面台には無数の髪の毛がこべりついていた。短いもの、長いもの、中には根本だけ色が暗いものもある。校則なんてあっても生徒の個性を殺すだけだと言う人もいるけれど、校則がなければここはもっと汚れていただろう。個性とやらを殺したくない奴らは、校則があってもなくてもを捨てやしない。

 私は髪の毛を見ないように顔を前に向けて無心で手を洗う。鏡には、ショートカットの地味な顔が映った。でも私は、校則を破ってまでメイクをした顔よりもこっちの方が好き。

 私は、あの人たちが苦手だ。




 放課後、鉛筆を仕舞いながら窓の外を眺める。冬の空はもう暗くなっていた。目の前のキャンパスでは犬が野原を駆け回っている。そんな2つの景色が正反対なのがおかしくて、つい笑みがこぼれる。

 瞬間、約束を思い出して掛け時計に目を向ける。18時45分ちょっと前。少し急がないと遅れてしまう。部活動を続ける生徒が私しかいなくなった時点で時間を気にするべきだった。

 わざとらしいくらいにテキパキと道具を片付けて、私は美術室を後にした。


 学校近くの公園のベンチ。そこが私たちの待ち合わせ場所だ。小走りでそこに行くと、すでに先客がいた。彼は私に気づくと、柔和な笑みを浮かべて手を振る。

 私は手を振り返して隣に座った。


「ごめん。待たせちゃった」


「いいよ。俺もさっき部活終わったところだから」


 こんな取り留めのないやりとりを交わすだけで、私の頬がほんのりと赤くなったように感じた。

 彼は同じクラスの藤堂。バレー部所属。小学校から同じ学校で、所謂腐れ縁。そして私の彼氏。

 付き合い始めたのは1年ほど前。受験が終わって、卒業式を迎えようとしている頃。彼からの告白は、とてもじゃないが信じ難かった。明るい彼がよりによってこの私である。藤堂が推していた清純派のモデルの影も形もない。そんな私である。彼には申し訳ないけど、質の悪いドッキリではないかと疑ってしまった。

 でも、こうして2人で一緒に帰れるようになったのは純粋に嬉しい。

 そんな気持ちでいるのを知ってか知らずか、藤堂は私の右手に左手を重ねてきた。心臓が跳ねる。首が熱くなる。

 チラリと横を見ると、藤堂は恥ずかしそうにはにかんだ。


「えっと、立花は今何描いてるんだっけ」


 そして目を伏せながら私に話題を振る。藤堂の耳は、真っ赤だった。それはきっと、寒さのせいではないと私は確信する。

 私はかじかんだ指を藤堂の指に絡めながら、


「犬の絵かな。鉛筆画」


 恥ずかしさを隠すように、素っ気なく言った。




 あのあと2人で手を繋いで帰った。まだ照れ臭くって慣れないけど、これからもこうして帰れたら良いと思ってしまった。

 その日のお風呂上がり。机のスマホが着信音を鳴らして小さく振動した。

 ──藤堂

   来月、一緒に写生会行かない?

 ロック画面のメッセージを見て私は驚いた。来月。3月。そして私はバレンタインにチョコを渡している。恐らくこれはホワイトデー。所謂デートのお誘い。

 だが、なぜ写生会?

 疑念が頭に浮かぶ。寒いだろうに。それに、藤堂は絵に興味なんてあったろうか?考えれば考えるだけ怪しい気がしてくる。

 いや、きっと私の興味のあるものを考えてくれたのだろう。私はそう思い直す。これは彼なりの気遣いだ。少しズレてるけど。

 それに何はともあれデート。喜ばずにいられるだろうか。

 気を取り直して私は暗証番号を解除し、メッセージアプリを起動させる。トークのページの1番上には青と黄色のバレーボールのアイコンがある。藤堂のものだ。

 ──うん!

 それだけ打ち込んでからこれが味気ないことに気づき、急いでスタンプを送る。だがすぐに私は後悔した。可愛いタッチで描かれたウサギがヘンテコな躍り喜びの舞を踊っていた。神よ、私に女子力を。アーメン。

 祈り空しく、既読マークがつく。

 ──よかった

   空いてる日いつ?

 こんな文言の後にリスのスタンプが続く。リスは手をパタパタと動かしながら喜びを全面に打ち出していた。変顔で。

 私は思わず吹き出した。さっきのスタンプに合わせてくれたのだ。それに気づいて頬が緩む。

 ──春休み前の土日は全部空いてるよ

   春休みはおばあちゃんの家に行くけど

 送ってからノータイムで既読が付く。そしてすぐに、

 ──OK

   じゃあ15日はどうかな?

 ホワイトデーに1番近い日曜日だ。土曜日は部活があると言っていたのを思い出す。

 ──いいね

   場所ってどこ?

 すると、URLが送られてきた。5駅乗ったところにある動物園だ。それなりの数の動物がいてふれあいコーナーもあるが、夏でない限り混雑はしない。なるほど、軽めのデートにはうってつけなわけだ。

 ──懐かしー

 ──それな

   小学校の校外学習で行ったよね

 ──迷子になった記憶がある(笑)

 他愛のない会話をし、待ち合わせの取り決めをして私たちは寝落ちした。

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