ワスレナグサを摘んできて 3


 七美丘の空はすっかり紺色に染まり、公園の街灯が明かりを灯す。安心を求めるかのように集う蛾たち。そんな虫たちとは反対に、後ろめたさを隠すように、光を避けた場所に人の気配があった。


「十さん」


 白の髪留めをした女の子が緊張した面持ちで暗がりから現れた。彼女の表情はよく見えないが、全身から漂わせる雰囲気が不安と後悔に塗れている。


「やあ」


 最大限に優しい声色で応じる。君のこと、決して怒っていやしないよと、そう伝えるために。

 優男ボイスなんてめったに出すものでもないな、と自分の声を耳にして思う。柄に合わない…というのは見栄で、本当は自分なんかに慰められるか不安だった。

 ここにフィールの姿はない。瑞葉からの電話で再会することになったのを聞き、気を利かせてくれた。


「とりあえず、座ろうか?」





 


「あの…さっきは、ごめんなさい」


「大丈夫だよ。緊張してどうしたらいいからわからなくなることってあるからね。あのお姉ちゃんも納得してたよ」


 足りない頭を何とか回転させて彼女のフォローを試みる。こんなとき、父や母ならもっとうまく振舞えるのだろうか。

 取り繕うような長文は、逆に必死さを醸し出して失敗だった。だが、短い言葉で安心させられる自信はない。これが自分の精一杯だった。


「いえ…」


 沈黙…。だがこれは、話すことがなくなったのではない。きっと彼女の中で、葛藤が渦巻いてるのだ。


「………十さん。少し、話を聞いてもらってもいいですか…?」


「うん」



 そうして、彼女は白峰瑞葉の人生についてぽつぽつと語り始めた。


「私、生まれつき体が弱くて、あまりお外に出られなかったんです」

「学校とかも休みがちで、だから馴染むこともなかなかできなくって」

「お父さんもお母さんも、私のために一杯頑張ってくれました。私のためにお仕事を休んだり、色々なお医者さんのもとを訪ねて、たくさん勉強して」

「…そんな中、神授の聖者様のお話を耳にして、お母さんたちに連れられて聖者様を訪ねたんです」


「ただ、聖者様にも、私の病を治すことはできなかった」


「…うん」


 彼女の歴史は、否定してほしかった想像の通りだった。



「ふと思ってしまうんです」

「やりたいことも見たいものもたくさんあるし、お父さんとお母さんにたくさんお返ししたいけど」

「でも結局、私は、何も為せず、何も残せず死んでいくのかなって」

「砂浜の文字みたいに、波にかき消されて世界から忘れられちゃうのかなって」


 これが、まだ初等教育も修めていない少女の考えることなのかと思った。もっと未来に夢を咲かせ、友と無二の瞬間を過ごし、ひたすらに今を生きるものではないのか。

 境遇が人をつくる。彼女の感性は、常に自分の死を通じて育まれたものだった。


「私が依頼した理由。本当は、何か証を残したかったのかもしれません」

「私が、生きていた証を」



 幸か不幸か、自分が産まれてから、自分の身の周りで亡くなった者はいなかった。

 それ故に、人の死というのは思いを馳せることはあれど、どこか遠く、現実的なを伴ったものではなかった。


「白峰ちゃん、君の…」

 聞けなかった。

 『君に残された時間は』なんて、そんな残酷なことは。


「…君のこと、俺は尊敬してるよ。すくなくとも、俺がその歳の頃なんて白峰ちゃんほどちゃんとしていなかったし、その深い優しさも、踏み出す勇気も、持っていなかった」

「いや、今だって。君は気高くて綺麗な心を持ってるし、それは人が長年生きても手に入らないものでもある」

「断言できることがある。俺の中で、君との出会いはとても大切なものだ。君の理想とは違うかもしれないけど、それでも、それだけで、君が何も残せないなんてことはありえない」


 嘘偽りない表現だ。一回りも幼い少女がこれほどの境遇を前にし、それでも人を労わり、自分を持ち、そして足掻こうとしている。

 人生の転換点ともいえるような、それほどの衝撃があった。




 彼女は目尻の下がった笑みを作る。儚げなその表情は、同年代の子供たちよりずっと大人びていた。



「ふふっ……そうですか。うれしいなあ。十さんに覚えていてもらえるなんて」


「…それじゃあ、改めてお願いがあります。この出会いの印に」


「私に、ワスレナグサを摘んできてくれますか―――」








 彼女を見送り、暗がりを独り歩く。自宅の前に、塀に背を預ける少女の姿があった。


「……聞けなかったよ」


「……はい」


「明日にでも榛名森麗道に行く。…そして必ず、ワスレナグサを持って帰る」


「ええ、付き合います。…できる限り、早い方がいいでしょうから」


 決意がみなぎる。

 これはきっと、どんなものよりも重い約束だから――――







翌日


 朝6時には支度を整え七美丘を出発した俺たちは、約4時間かけて群馬県の榛名山までやってきた。

 目的は、琥珀色のワスレナグサの採取。

 KEEPOUTの黄色いテープをまたぎ、榛名森麗道の探索を敢行する。



 青々しく生い茂る森の中は人の通った形跡もない。絶え間なく続く虫や鳥たちの鳴き声に、風に揺らぐ木々の騒めきは、自分たちの縄張りを声高に主張しているかのようだった。



「うーん…なかなか根気がいりそうね」


「花のことなんてからっきしだしなあ…」


 アネシィはプリントアウトしたワスレナグサの写真と草むらをにらめっこしている。彼女は今回の件について何も関わりがなかったが、朝早くからというのに文句ひとつ言わずついてきてくれた。やっぱり、彼女は優しい。

 噂によれば川岸に咲いているとのことだったが、実際に持って帰った人がいるわけではなかった。もしかしたらそこらにも咲いているかもしれないと、足元を軽く調べながら進む。

 



「ん! あの色……うーん、形が違う…」


 アネシィは少し遠くにそれらしい花を見かけると、跳ねるようにそのもとへ駆け寄った。ただ見当違いだったようで、残念そうにその場にうずくまる。そんなアネシィの背後に、不気味な影の揺らめきが見えた。


「! しまっ…」


 隙のあるアネシィの体を、素早い動きで絡めとるように足元から触手がまとわりつく。転倒し体が引きずり込まれる先には、大きく口を開いたマンドラゴラが待ち伏せていた。


「ヒッ!?」


 マンドラゴラ、通称人食い花。自由自在に操る複数の触手で足元から素早く拘束し、酸で溶かして獲物を食らう森のハンターだ。よだれをダラダラとたらし待ち受ける姿は、表情なんかないにもかかわらず、獰猛で飢えた野獣のように見えた。


「お姉ちゃん!」


 異変を察知したフィールが素早く魔術を発動する。杖から放たれた白雷の槍は、アネシィに纏わりつく触手を正確無比に仕留めた。

 続けて、既に駆け出していた俺が左側の触手を数本切断する。拘束が緩くなったところでアネシィを無理やり抱きかかえ、なんとか救出した。


「っ、けほっ… あ、ありがとう…」


「プラズマスコール!」


 アネシィを抱えたままマンドラゴラから距離をとると、フィールの白雷魔術がマンドラゴラに炸裂した。

 マンドラゴラの頭上に魔方陣が現れ、無数の白雷の雨が降り注ぐ。


 本来魔術は自分の体や魔力を通した武具からしか放てないが、高位の魔術師ともなると、離れた場所に魔術の噴出点を作ることができる。

 今降り注がれている白雷の雨は、彼女が卓越した魔術師であることの証明でもあった。





 一行はその後、周囲の警戒と足元の花の捜索を分担しながら森を突き進む。襲い掛かってくる魔物たちを蹴散らしながら進んでいくと、それまでと雰囲気の変わった開けた空間に辿り着いた。

 鈴の音のような川のせせらぎに、日の光を受け輝く青葉。木漏れ日差す休息所のような小川だ。


「とりあえず、水場にはたどり着けたな」


「ベスさんたちの話によれば、川上の浮島に咲いているらしいですが」


 小川に沿い、上流へ足を進める。穏やかな川辺の休息所には場違いな、電車の時刻を気にする都会人のような急ぎ足だった。


「それにしても、依頼での用以外じゃあんまこういうところ来ないけど、やっぱりリラックス効果あるものねー。川のせせらぎとか草葉のそよぐ音って、自然と心を和やかにさせてくれるもん」


「はい。それでいて穏やかな活力に満ちてていて…、とても安らぎますね」


 彼女らの会話が耳に入る。

 自分は完全なインドア派で引きこもりと評しても問題ないレベルの人間なので、こういった場所とは本当に縁がない。

 だが実際に来てみれば、たしかにこういうのも悪くない。視界に入る青々とした若葉やひんやりとしたそよ風、小川のきらめきの美しさは、俺にもそう感じさせた。


(白峰ちゃんは、こういった自然の中は好きなんだろうか)

(…いや、体が弱くて外に出ることもほとんどなかった、か…)



 彼女に思いを馳せていると、自然と拳が固く握られる。

 あんな中学生にも満たないような歳の子が、やりたいこともできずにその命を終えようとしているなんて。


(なんで、俺みたいなのじゃなくて彼女なんだ…)


 ただ怠惰に生きている人間より、もっと望みや可能性のある子に神は微笑むべきではないのか。

 運命の無常さに、やるせなさと強い怒りを覚える。



「…十も、深呼吸してみたら? きっと気持ちいいわよ」


 背後から砂利を踏む音が止む。どうやら二人は足を止め、この空間の景色と空気を楽しもうというらしい。


「でも」


「十くん、一回でいいですから」


 大きく伸びをして深呼吸をしてみせるアネシィ。脇にいるフィールも背筋を伸ばしてこの空気を堪能している。


 少々不服に思いながらも、仕方なくアネシィの提案に乗り大きく深呼吸してみた。肺に冷たく瑞々しい空気が入り込んでいく。上質な酸素が全身に運ばれ思考がクリアになっていく感覚。


「スゥーーーーー…ふぅ。ああ、確かにそうだ。こりゃ気持ちいいや」


 目を開き彼女たちが視界に再び映ると、フィールとアネシィがたおやかな笑みを浮かべていた。

 なんでそんな表情なのか一瞬疑問に思ったが、自然と拳を解き、頬を掻いていた自分の指で気付く。

 どうやら気を使わせてしまったらしい。


(いけない、頭に血が上ってたか)


 何事も感情的になり盲目になってしまうとうまくいかないものだ。気分を入れ替えるようもう一度深呼吸すると、凍てついた視線が刺さった。



『二ノ刻、捕食者の斬撃が両断する』


「ッ! 右!!」



 突如として聞こえたささやき声に導かれるまま、森の方角へ体を向けて迎撃態勢を取ろうとする。が、


「なっ!」


 姿勢を大きく崩した。地面には…氷。

 いつの間にか周囲一面が薄く凍らされていた。


 仰向けに転倒したところに巨大な影が覆いかぶさってくる。すんでのところを藍鉄の剣と足で受け止めると、巨大なカマキリの不気味な複眼が獲物を狙う目で見つめていた。


「…ッッ!!」


 ぞわりと肌が粟立つ。近づく顔に生理的な嫌悪感を覚えると、カマキリは大きくその場を飛び退いた。


 どうやらフィールが白雷の槍を放ってくれたらしい。冷や汗を拭い、10メートルほど離れたカマキリを片膝立ちで注視する。


「おそらく、ベスさんたちがおっしゃっていた魔物でしょう。凍気の捕食者・パラマンデス」

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