ワスレナグサを摘んできて 2
「えっ!? ワスレナグサの在り処を知ってる!?」
思わず大きな声を出してしまった。隣のテーブルに座るカップルが驚きこちらに目線を向けたので、慌てて謝罪の会釈を返す。
「おわっいきなりどうした」
「ああ…すみません、つい」
金髪モヒカンにゴリゴリマッチョ。この二人組、昼間から酒をあおり、いかつい見た目と含みのある言い回しが不穏な空気を醸し出していただけで、その実ただの親切さんだった。
「いやぁ~それでそのダンジョンに二人で挑んだんだけどよお…そこにいる魔物が手強くてなぁ? 諦めて逃げ帰ってきたわけよ」
「そんでベスのあにぃと反省会っつーことで飲んでたらワスレナグサを探してる子がいる、なんて噂が流れてきやしてね」
「ああ、俺はベスティーダでこっちはグリル。堅苦しいのは嫌いなんでベスでヨロシク」
ベスティーダと握手を交わす。…怖気づいて逃げ出していたら、この情報にたどり着けなかった。見ためで判断してはいけないと反省せねば。
「よろしくお願いします。…わざわざありがとうございます。こっちも煮詰まっていたもので助かりました」
「堅いのナシナシ。まあ琥珀色のワスレナグサなんてめったに聞かねえからなあ。俺も初めて知ったし」
「二人はどうしてワスレナグサを?」
「いやぁな? うちは五人兄弟で我儘盛りの弟たちばっかなんだけどよぉ。末の妹がそのワスレナグサが欲しいって聞かなくてな」
「もしかして、贈り物?」
「あぁ、妹の親友が海外に引っ越すらしくてな。どうしても特別なものを渡したいって言ってよ」
「そこで相談なんですがね? その在り処を教える代わりに、あっしらの分まで摘んできてもらえねえでしょうか」
なるほど、冒険者らしい持ちつ持たれつの関係というところだな。別に大量に欲してるわけでもなし、ついでに彼らの分まで摘んでくるなどなんてことはない。
「わかった」
「交渉成立だぁな。 琥珀色のワスレナグサが確認されたって場所は榛名森麗道。ここからは4時間くらいの場所だからよ」
「ま、待ってください! 諦めて帰ってくるぐらい強い魔物がいるんですよね!? そんな危険なところ…頼めません!」
話が進んでいたところを彼女が制止する。危険を冒してまでは頼めないなんて、彼女の優しさが胸を温かくさせる。
「大丈夫だよ。いざとなったらちゃんと逃げてくるし」
なんとも健気なこの少女に、いいところを見せたかったのだろうと自分で思う。それに、花に思いを乗せて伝えたいなんて素敵な話だ。こんな純粋で清らかな願いはちゃんと成就させてやりたい。
「おう、まあ命あっての物種だからなぁ。こっちは手にはいりゃ儲けもんってぐらいだから気張らずやってくれや」
………
……
…
「そんでその榛名森麗道には昆虫系の魔物が多くいるんだけどなぁ? 中でもやばいのが2メートルくらいあるカマキリでよ」
「凍気を操り身動きを止めて捕食するなんて言われてる奴でしてねぇ…」
無事目的地が定まり、ベスとグリルから詳細な話を伺う。榛名森麗道は、群馬県にある上毛三山の一つ・榛名山の一部がダンジョン化した区域らしい。
内部はジャングルのようになっており、魔物の住処としては理想的な環境。強大な昆虫系モンスターや人食の植物モンスターなんかもいるようだ。
そして肝心のワスレナグサは、ベスたちの耳にした話によると、御伽話と同じように川の近くに咲いていたらしい。榛名森麗道にも川があるらしいのだが、ベスたちは辿り着く前に引き返してきたらしいので具体的なことはわからずじまい。
他に特に注意すべきことなんかを聞いていると、聞き覚えのある呼び声が届いた。
「あっ、十くん」
「おお、フィール」
「…っ!?」
「初めまして。フィール=オークレースと申します」
フィールだ。彼女は俺たちの方に近づいてくると、一切物怖じもせずにベスたちに話しかける。さすがというべきか、自分が情けないというべきか…。
「えぇ? フィールってもしかしてあの神授の聖者さん!?」
「はい。周りの方からはそのようにも呼ばれています」
「ってえ、もしかして十はあのサルヴァーティーの一員なんですかい…?」
「まあ、一応」
「はーっ! こりゃすげえ! サルヴァーティーっつったら多くの逸話を持つSランクパーティーだろ!? ユニコルド討伐だったり、湘南海岸防衛戦だったり!」
「でもそんなら納得納得。いくら強力な魔物といえどサルヴァーティーなら」
これだけ驚かれる逸話…身に覚えのない功績に興味が湧く。特に湘南海岸防衛戦なんか何が起こったのか全く分からない。なにかが海の向こうから攻めてでも来たのか。
ベスに丁寧に返事をしたフィールは、なぜかさっきからずっと顔を俯かせている瑞葉の前で屈み高さを合わせる。
…フィールのような高貴な精神を持つ人間が自分と同じことをしていると、自身の行いも正しかったのだと肯定されたような気がしてくる。
「あなたがワスレナグサを探しているというお嬢さんでしょうか? 初めまして、フィールと申します」
瑞葉はなかなか顔を上げない。神授の聖者という肩書はよほど権威のあるもののようで、どこに行っても敬意を表される。瑞葉もそんな聖者様を目の前にして緊張しているのだろうか。
優しい笑みを浮かべたフィールが少しの間待つと、意を決したように瑞葉がようやく顔を上げる。
「……! あなたは…」
「ご、ごめんなさい! 私はこれでっ…!」
フィールと顔を合わせると、瑞葉は逃げるようにこの場を去ってしまった。
「白峰ちゃん…?」
「……」
怯えるように立ち去った瑞葉の行動は、シャイな性格だからと片付けるには明らかな不可解さを残していた。
◇
瑞葉が去った後、フィールから彼女について話がしたいと申し入れられて近くの丘にある公園に場所を移した。二人の様子から察するに、何か関わりがあったみたいだが…。
丘の上にできた小さな公園。徐々に沈みゆく夕日が情緒的で、少しだけセンチな気持ちにさせる。
陽が落ち行く光景を眺めながら、フィールは遠い過去を見つめるような瞳で語り始めた。
「十くん…私には、特別な力がありました」
「白雷…神の奇跡。伝承にしか存在しなかったはずのアニマナは、見たこともない魔術を引き起こすこともできました」
「次第に大きくなる力と人からの扱い…それにつれて、私の噂なんかも遠い町にまで伝わるようになりました」
「町に居つく悪霊を追い払った、穢れた泉を浄化した、不治の病を治した…。私には、そんな力なかったのに」
「多くの人が私を訪ねてきました。藁にも縋る思いで、神授の聖者の奇跡を頼って」
「…そんなことが」
「そんな人たちに出会うたび、自分の無力さに打ちひしがれます。特別な力であれば、人々の希望でなければいけないのに…。病も、致命傷も、災厄も…肝心なところでは、何の役にも立てません」
「今だって、転生術の反動を完全に回復できていない…本当に、私は…」
彼女の過去は、決して栄光の日々ではなかった。
神授の聖者というトクベツに生まれたゆえの責務。周囲からの途方もない期待。彼女はそれらを背負い、ときに裏切りながら生きてきたのだろう。
彼女の世界は、最後の賭けにより転生を果たした。非情な人はそれを敗走というかもしれない。実質的に、彼女の世界は滅んだのだ。
『私はそんな、高尚な存在じゃないです。人並みの欲や浅ましさも持っていますし、救えなかった命もたくさんある…。本当は、聖者なんて肩書きに似つかわしくないちっぽけな人間です』
多くの人々が彼女を讃えている。だがそんな評価とは裏腹に、彼女は今この世界でだれよりも、自身を信用していないのかもしれない。
「……そしてあの子も、そんな奇跡を頼り私を訪ねてきた人の一人でした」
「え……?」
「私の捏造された記憶の中で、私は彼女と会っています。…両親に連れられて、彼女の病を治してほしいと」
人はどんなとき、神の奇跡に縋るのだろう。
必死に勉強した大学受験の当日? 好きなあの子に告白するとき? 銀行帰りに財布を落としたとき?
いや、そんな事態に陥った時、まずは今打てる手を試すはずだ。必死になって記憶した頭の中、これまで共に過ごした日々の積み重ねのアピール、速やかな捜索に警察への届け出。
…きっと、人の手ではどうしようもなくなったとき、初めて神に心の底から祈るのだ。
いやな想像が脳裏にちらつく。
「それって…」
「誰にも治すことのできない…病であり、呪い。私には、彼女を縛る鎖を解くことはできなかった」
公園を静寂が包み冷たくなった風が頬を撫でると、スマホからコール音が響く。
瑞葉からだ。
『…十さん。さっきはごめんなさい』
『今から、会えますか?』
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