ワスレナグサを摘んできて 1


 きっと世の中には、目に見えない多くの善意が燻っている。

 

 誰かの力になりたい。そんな善意を抱えた人間は、この世にごまんといるだろう。

 だけど、それは正しい行いのはずなのに、その思いを抱えたままを実行に移せない人もまた数多くいる。


 お年寄りを見て電車の席を譲ったり、背後で自転車を倒す音が聞こえて起こすのを手伝ったり、何かを探してそうな人に声をかけてみたり。

 数々の善行の周りには、善行になりそこなった善意が身を潜めている。


 誰かの助けになりたいけど、行動に移せない。

 その原因の一つはだろう。席を譲った相手に断られ、気恥ずかしさに襲われやしないか。そんなに年老いて見えるのかと逆切れされやしないか。無関係な他人なのに手伝ったりしたら、自分が奇異の目で見られやしないか。そんな不安が善意を燻らせる。


 そんな怯えを振り払うのは、きっと自分へのなのだろう。


 自分への自己肯定感があれば、手助けした後に起こりうる、嫌な展開にも耐えることができる。だって、その行いは紛れもない善意から生まれたのだから。


 だから、人が力を得て、自分に自信を持ったとき、燻っていた善意は別の形に昇華できるのではないだろうか。


 風魔術に剣術、そして剣呑のささやき。

 それまでの生活からは想像しえない力に、年甲斐もなく浮足立った。


 だからこれはきっと、そんな変化が起こした―――






「あ、あのっ…!」


 それはある昼下がりの出来事だった。何気なく町の集会所に出かけ依頼掲示板を寝ぼけ眼で眺めていると、背後から声がかかった。

 振り返るも人影はない。


「こ、ここですっ!」


 頭に疑問符を並べていると、もう一度自分に向けられたような声がする。視線を足下にやると、黒髪の小柄な少女がすぐ近くに立っていた。


「ああ、すみません。なんでしょう」


 腰をかがめ、相手の視線に合わせて話す。大人が子供に示す態度。小さい頃、子供番組のお兄さんに憧れていた。そんな尊敬の念から、一応話すときは心掛けている。しかし、これは実際に効果があるのだろうかと疑問に思う。子供の頃、大人と話してて何を思っていたかなんて覚えてないので実感がわかないし、逆に子ども扱いされたと不機嫌になる可能性も否めない。


 視線を合わせた少女は少し顔が紅潮しわたわたしているた。いきなり顔を近づけたことで驚かせてしまったのかもしれない。

 身長は…130センチ台、小学4年生ぐらいか。白い花柄の髪留めはこだわりのオシャレポイントだろうか。


「その、お、お兄さんに依頼したいことがあるんです」


「…僕に?」



 ひとまずテーブルに席を移した。毎度のことだが、初対面の相手とはいったいどう話すべきなのだろうか。想像上の冒険者という人種は「ガハハ、よろしくな!」といった感じで非常にフランクに握手でもしそうなもので、現に集会所の周りを見てもそんな感じの人も多いのだが、じゃあ自分もそうするかとなるとなかなか尻込みしてしまう。

 コミュニケーションというのはどんな時でもかしこまっているのがベストというわけではない。もちろん礼儀は必要だが、ある程度砕けていた方が相手が話しやすかったりする場合もある。集会所で初対面の人に近い距離感で話す人が多いのもそういうことだろう。

 だから、変にかしこまった話し方をしてしまう自分はまだこの環境に適応できていないのだろう。

 なんてのを、ぶれた一人称で話し始めた自分を通して思う。


「とりあえず…はじめまして、深代十です」


「えと…はじ、めまして。白峰瑞葉です」


 黒髪の少女はうつむきがちに、時折チラチラとこちらを垣間見ながら自己紹介する。

 なかなかシャイな子だ。それにしてもこの子、その様子とどこか歯切れの悪い言動に引っ掛かりを覚える。


「もしかして、どこかであったことあります?」


「!」


 少女の体が跳ね視線がぶつかる。頬は紅潮し口元は小さく震え、その目には、期待と緊張が込められていた。

 どうやら当たりらしいが、それはそれで困った。俺は衰えた脳みそを働かせ、必死に記憶の海に潜る。


「よく、雑誌を買ってた…」


「ひゃい! そうです!」


 …そうだ、思い出した。一年ほど前にしていたアルバイト先で、たまに雑誌を買いに来ていた少女だった。

 母親のお使いか何かか、小学生ぐらいの少女にしてはやや大人びているファッションやインテリア雑誌を買っていたので印象に残っていた。

 当の少女はそれはそれは嬉しそうな笑みを浮かべている。もししっぽがついていたら引きちぎれそうなほど振りまわされていただろう。


「や、やった…。覚えられてた…!」


 小声で少女がつぶやく。


「あーやっぱり! それで、そのお嬢さんが依頼とは?」


「は、はい! その…お兄さんに、とあるものをとってきてほしくて…」


「とあるもの?」


「私に、ワスレナグサを摘んできてくれませんか?」







「ワスレナグサですか?」


 昼間受けた依頼について聞いたフィールは、きょとんとした様子で繰り返した。


「ああ。普通に花屋で売ってるんじゃないかと思ったけど、珍しい琥珀色のワスレナグサが欲しいみたいで」


「その女の子が十くんに直接頼んできたと」


「そう。わざわざ個人に依頼するより、掲示板で募ったほうが適任者が来るかもしれないって言ったけど、俺に頼みたいって」

「まあ、報酬もほとんどないようなものだからどのみち俺が受けたほうが都合いいだろうし承諾したんだけどさ。それで、その琥珀色のワスレナグサってどこにあるか知ってるかなって」


「うーん…。すみません、私は耳にしたことないですね」


「そっか」


 フィールも知らいとのことなので、俺は改めてスマホで検索をかける。

 ワスレナグサは薄青や紫色が主な種で、園芸用にピンクや白も存在する。野生化して各地で見かけることもでき、湿性地を好む。花言葉は真実の愛と…。

 元のアースで生活していたころに聞き覚えがあった、一般的にも知れ渡っている勿忘草わすれなぐさに間違いないようだった。しかし、やはり琥珀色の種に関しては調べてもなかなか出てこない。


「もしかしたら、文化の統合が起こっているかもしれません」


「文化の統合?」


「はい。アースとハライア、双方の世界に似たような背景を持っていた二つの文化が、一つに統合されているんです。今回で言えば、ワスレナグサの持つ生態や文化的特徴に似たハライアの種が、ワスレナグサの中に取り込まれているのかも…」

「リグレシア…。ハライアに存在していた、とても珍しい琥珀色の花の名前です。この花も湿性地を好み、そして似たような伝説を持っていました」

「死にゆく青年が願いとともに川に投げ入れ、彼の愛した女性がそれを拾うとどこからか声が聞こえてきた」

「私を忘れないで…そんな祈りの声が届いたという伝説です」


 ウィ〇ペディアによれば、ワスレナグサにも似たような逸話が残されている。

 人のいるところに思いあり、思いあるところに無念あり。とでもいうべきか。

 国や宗教が違っても似たような伝説が残ってたりするように、世界が違っても人の考えるところは近いのかもしれない。


「リグレシアは魔物が暮らす奥深い森の川沿いにあるとされる琥珀色の花でした。ハライアの要素が色濃く出ているのなら、インターネットより冒険者から直に情報を集めるほうが有効かもしれませんね」







 翌日、俺は再び街中に繰り出していた。


 あの後ネットで調べてみてもいまいち情報にありつけなかったので、フィールの案に従い街での情報収集を行うことにする。

 いつも通り集会所に寄り、だれから話しかけるかと考えていると、視界に黒髪の少女が映った。


「白峰ちゃん、どうもどうも」


 話しかけるとこちらに気づき、顔まで上げた右の手をぶんぶんと振り返してくる。小動物のようで愛くるしい。


「よかった! 今日も会えるかと思って待ってたんです」


「ん? 用があるんなら電話かけてくれればよかったのに」


 腰をかがめて話す。地味に負担がかかるこの姿勢は、歳を重ねるにつれどんどん辛くなるだろう。面倒になって普通の姿勢で話したくなるのも納得である。


「えっ、あー…そうでしたね、あはは…」


 自分では思いつかなかったのか、瑞葉は指摘されると羞恥からか頬を赤く染めた。コロコロと変わる表情は、子供っぽくて見ているだけで楽しくさせる。


「それで、俺に何かあるの?」


「いえ、用があるというか…。依頼しておきながら全然情報とか持ってなかったので、何とかしないとと思って町に来てみたんです」


「そっか。それじゃ、一緒に情報収集しようか」



………

……



「…十さん。もう、大丈夫です」


 アップルティーが入ったコップを両手で包み、意気消沈した面持ちで彼女は言った。

 あれから集会所の受付や冒険者などに話しかけ、琥珀色のワスレナグサについて聞いて回ったものの大きな手掛かりは掴めなかった。どうやら、地域に根付く習わしみたいなローカルだけど知る人は知っているという感じではなく、御伽噺に近いものらしい。


「大丈夫って」


「元々、まともな情報もなく思い付きで頼んだのが間違いだったんです…。無駄な時間につき合わせちゃって、ごめんなさい」


 正直な話、ネットでもヒットせず、人の出入りが激しい場所で聞きに回っても収穫がないとなると、なかなか厳しいところだ。山中を手当たり次第に探すなんてのも土台無理な話である。

 だが、


「本当にいいの? 諦めちゃって。大切な人に贈りたいんだよね」


 彼女はきっと、とても内気な子だった。そんな子が勇気を振り絞って一人で年上の青年に話しかけるには、何か強い動機がなければできやしない。

 ワスレナグサを摘んでくることは、彼女にとってとても大きな意味を持つのだろう。


 きっといるのだ。真実の愛、あるいは、私を忘れないで…あの花に込められた思いを、伝えたい相手が。



「おおぉお~ん? お嬢ちゃんたちか? ワスレナグサを探してるって奴らはよぉ~?」


 少女を励ましていると、ガラの悪い二人組の男が話しかけてきた。

 金髪のソフトモヒカンで腕に赤いバンダナを巻き付けたシーフ風味の目つきが悪い男と、ボディービルダーレベルの筋肉量が存在感を放つ髭の生えた男。



(…いや、完全にその手の輩じゃねえかッ…!)


 あまりにもガラが悪すぎた。額からダラダラと脂汗が零れる。今までの人生まともにこのような奴らと関わることもなかったため、上手な受け流し方もわからなかった。


 だが、彼女を励ましていた手前、ここで尻尾巻いて立ち去るのはいかがなものか。


「ナッ↑、…んんっ、何の用でしょう」


 少女を背に隠すように立つ。明らかにビビっている声が出たせいでどうにも締まらない。


「ングッフッフ…そのワスレナグサの件で用がありやしてねぇ…ちょっと面ぁ貸してくれますかい?」


 髭の男に勢いよく肩を組まれる。顔を覆いつくさんばかりの剛腕で身動きを封じられてしまった。

 漂うアルコールの匂いが、俺の怯えをより掻き立てようとしていた。

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