流星に捧げた願い


「そんな…嘘だろッ…!」


 焦りがにじみ、冷や汗が額から零れ落ちる。

 慢心…とまではいかないが、そこはかとない自信があったのは否定しない。雑踏におずおずと顔をのぞかせるような小さなプライドが、今無情にも踏みつぶされようとしていた。

 着実に近づいてくる非常なる現実は、決して目をそらすのを許さない。


『MERIEL WIN!!』


「ハーッハッハッハ!! いやーたやすい! たやすいわぁ~」


「俺の狼さんが…」


 時刻は午後の14時。俺とアネシィは自宅で某対戦アクションゲームに興じていた。俺が幼いころから続いている歴史あるこのシリーズは、様々なゲームのキャラクタ-が一堂に集結し戦う国民的な作品で、友人が集う際には『とりあえずビール』と同じ感覚で遊ばれる。そう、ス〇ブラである


 もっとも、自分が友人と顔を合わせてこのゲームを遊んだのは小学生までさかのぼることになるが。

 一応毎作買ってそれなりに遊ぶ程度なので、ネットの荒くれものに太刀打ちできるほどの実力は俺にはない。だが小学生時代は友達の中でもナンバーワンの実力者で、そのジャンプ捌きを称えられ足軽の十ちゃんなどと呼ばれていた。


 それでも、いや、だからこそ。幼いころから触れてきたこの世界…いや、アースの人間として、どこからともなくやってきた異世界人にこのゲームで負けるわけにはいかなかった。



(それが、こんな小娘にッ…!)


「まさか狼が羊に食べられちゃうとわね~…んふふっ」


「な、なかなか煽るじゃあないか?」


 アネシィはそれはもう恍惚な表情を浮かべていた。三日月状に妖しく細められた目に、吊り上がった口角。福笑いしたら鼻以外区別がつかないんじゃなかろうか。


「ふふふ…そうねぇ…じゃあ、肩でも揉んでもらおうかな♪」


「はあ!? いつから罰ゲーム付きになったんだよ!?」


「ほら早く、ワンちゃん♡」


 俺の悔しそうな態度が彼女の嗜虐心に火をつけてしまったのか、彼女の声に艶がでていた。

 渋々とアネシィの肩もみをしながら画面に目をやると、アネシィの操作していた二頭身の羊が愛嬌のある勝利ポーズを決めている。


 というかそもそも何だこのキャラは。

 ゲーム界を代表するキャラクター達が集う名誉ある場になんかよくわからん羊が紛れ込んでいる。糸目で人のよさそうな表情が今は憎たらしい。


「…ま、まあまあね。次勝ったら何してもらおっかな~」


「…なに次も勝つ前提でいるんだ?」


「ふふっ、どうしてもっていうなら他のキャラ使ってあげてもいいわよ?」


(……こ、こいつ完全に調子に乗ってやがる…ッ)


 内から闘志が燃え上がった。それは決してアネシィの挑発に乗せられたからではない。断じてない。俺は今使命に燃えているのだ。

 自分の肩にはアース人すべてのプライドがかかっているといっても過言ではない。正しき食物連鎖の構図をこの少女に理解わからせてやる必要があるッ…!








 金剛渦水域の攻略後の生活は、なんとも穏やかなものだった。


 ローブの屍体を倒し残りの魔物を片付けると、フィールは金剛渦水域に結界を張った。金剛の滝一帯はここ最近魔物の数が増えていたようだが、これで新たに魔物が生まれることはない。


 この結界というのは相当の手練れでないと作るのが難しいらしく、クエスト達成の報酬はなかなかの額だった。

 が、フィールはその大半をそのまま公共団体や養護施設等に寄付。世のため人のため、なんとも気高く聖者様らしい行いを称えると、


『私はそんな、高尚な存在じゃありません。人並みの欲や浅ましさも持っていますし、救えなかった命もたくさんある…。本当は、聖者なんて肩書きに似つかわしくないちっぽけな人間です』


 なんてことを言っていた。事実立派な行いをしているんだし、そこまで謙遜しなくてもいいのにと少し思う。


 日常でいえば、フィールやアネシィとよく夕飯を共にする。俺の両親も改竄を受けており、彼女たちの存在に何の疑念も抱かない。

 彼女らの親は十年ほど前に亡くなったらしく、それ以来家で一緒に食卓を囲むことも多いようだ。俺と両親の関係は良好なのだが、両親にとっては娘ができたみたいで彼女たちと一緒の食卓はいつも以上に楽しそうだった。

 





「…お姉ちゃんたち、何をやっているんですか?」


「ひぁっ!?!? フィ、フィー! ちがうの、これはそのあの…罰ゲーム! 罰ゲームだから!」


 つい先ほど五度目の敗北を喫し、アネシィの右手代わりとしてお菓子を食べさせていた。

 人の手で食べさせてもらうほうがむしろ面倒くさいと思うのだが、その行為というよりは人を駒のように扱っている状況に愉悦を覚えるのかもしれない。


 用事を済ませやってきたフィールのおかげで、俺はようやくアネシィから解放された。アース人の誇りを取り戻すための聖戦に臨んだものの連戦連敗。なけなしの自尊心は底なし沼に沈みゆくばかりであった。


「罰ゲーム…」


「そっ、そうだ! フィーもやりなさいよ! 勝ったら何でも言うこと聞いてくれるわよ!?」


「…フィールと?」


 …心が痛まないこともないが、仕方ない。本来はみんなで楽しむパーティーゲームなのだ。アイテムやハンデなどをつけて戦いが拮抗するようにした方が盛り上がるだろう。

 だが、自分の不甲斐なさでアース人の顔に泥を塗ってしまったのだ。少しでもその尊厳を取り戻さなくては。

 たとえ素人でも、まずは固く一勝をつかみ取る。いつの間にかつけられていた罰ゲームがなぜか絶対的な命令権に様変わりしているが、今は気に留める必要がないものだ。


 俺はコントローラーを握りフィールに催促をかける。まるで、おばあさんのベッドで無垢な少女を誘い込む、童話の狼のようだった。


「それでは…お手柔らかにお願いします」


「ああ、こちらこそ」







『…ォン・パァンチ!!!』



「なん…だと…?」


 思わずコントローラーを落とし手を床につく。やけに左右にカサカサ動くなと思ったらあっという間にコンボを決められて一ストックの差をつけられ、そのスピード感についていけないまま押し流されるように負けてしまった。


「むんっ……」


 フィールを仰ぎ見ると一仕事終えたような達成感に浸っている。


(こ、こういう子はゲーム苦手なもんだと相場が決まっているのでは…?)


 俺は忘れていた。彼女がアニソンにも反応するようなタイプの人間だということを。お嬢様っぽい雰囲気を醸し出し聖者なんて名を冠する者は、大体機械音痴だったり世間の常識には疎かったりするなんてステレオイメージのままでいたのが間違いだったのだ。

 キャラ選択場面でムキムキマッチョの仮面レーサーを選んだときに抱いた違和感をもっとよく考えるべきだったのだ。


「さて…負けたほうは何でも言うことを聞く、でしたっけ?」


「い、いや? 何でも聞くというか」


 フィールが澄んだ眼差しを向ける。気が付けば吸い込まれてしまいそうな綺麗な瞳だ。この瞳を前に、これ以上の醜態は見せられない。

 …たとえどんな要望がこようとも受け入れよう…せめて人間の体裁だけは保っていたい。


「それでは…よかったらこれ、食べてみてください」


 フィールはそういうと荷物の中から紙袋を取り出した。袋を開けるとふわっと、町中で嗅げば思わず足を運んでしまいそうなパンの香りが漂った。


「新しく作ってみたストロベリーカスタードクロワッサンです。…味見できてないので、罰ゲームということで」


「えっこれフィールが作ったのか!?」


「趣味ですから。ただ、初めて作ったのであまり期待せずに…」


 中には形の整ったクロワッサンが入っていた。

 綺麗な色に焼けた生地に艶やかなコーティングがなされ、上から軽くシナモンがかけられている。切り込みの中に苺とカスタード、そしてホイップが詰め込まれ見た目も華やか。そのまま店に出してもおかしくない出来栄えだ。


「じゃあ、いただきます……んっ! うまっ!」


 サクッとした生地に鼻孔をくすぐるシナモンの香り、苺にカスタード、ホイップの甘みとバターの塩気もよくマッチしている。


「ほっ…おいしかったようで何よりです…! お姉ちゃんもどうぞ?」


「本当!? じゃあ私新しくお茶入れてくるわね!」


 アネシィが機嫌よさそうに下に降りて行った。

 それにしても本当にうまい。勢いよくかぶりついたせいで持ち手にあふれ出したカスタードを舐めとる。


「ふふっ、まだありますからね? そんなに喜んでもらえると少し浮かれてしまいます」


「いや、本当にうまいよ。これならパン屋とかできるんじゃないか?」


「パン屋さん、ですか…いいですね…」



 彼女は元々、どんな人だったのだろう。類稀な力を持ち、それ故に神授の聖者と祭り上げられて世界の滅亡に立ち向かった…。世界の転生という方法でその滅亡を免れたというならば、彼女の使命は果たされたともいえる。

 だが、彼女は人のために働き続けている。自分に力があるから手を伸ばすというのなら、彼女の使命に終わりはない。

 力や使命なんてものに振り回される前の彼女は、一体どんな人だったのだろう。




「あ、そういえば…ひとつ聞こうとしてたんだ」


 俺はふと、フィールに尋ねようとしていたことを思い出した。火・水・風・土の属性とはどうにも結び付かなく、そもそもなぜ発動しているかもわからない。ありがたい能力ではあるが、出所不明のあの力について。


「俺には、ささやき声が聞こえるんだ。未来に命の危機が起こると、そのささやき声が教えてくれる。この力は一体…?」



 それを聞いた彼女は、どこか懐かしそうに目を細めた。それはまるで、昔のアルバムをめくっていたら、かつて飼っていた愛犬との写真を見つけて思い出に浸るように。



「私にもわかりません。少なくとも、そのような魔術があるわけではない」

「ただ一つ言えるのは…それは、昔から十くんにあった力。…やはりあなたは、十くんです」




「お茶入れてきたわよー。さ、食べましょ!」


 絶妙なタイミングで、うきうき顔のアネシィが紅茶を入れて戻ってきた。


「ありがとう。……うん、うまい。それにしてもこれ、なかなか欲張りな中身だな。とりあえず全部入れたって感じで」


 ダージリンのすっきりとした渋みが甘いクロワッサンとよく合う。食べ応えもあるしなによりおいしい、とても贅沢なスイーツタイムだ。


「あっ、こら! 余計なこと言わないの! この子妙なところで繊細なんだから!」


「……浅ましい女で、すみません…」


「あーほら! 自虐モードはいっちゃったじゃない! フィーもほら、全然普通だって!」


 大きな口でかぶりつく様を見せたり、フィールや俺の口に押し付けて食べさせたり…なんだかとても愉快で、気付けばみんな自然と笑みが零れていた。


 口についたクリームを拭き、紅茶を啜っているとフィールの視線に気づく。

 彼女はとても優しい目で俺とアネシィを眺めていた。まだどこかにクリームがついているのかと頬をペタペタと触ってみる。


「あぁ、いえ…。……幸せ、ですね」


 穏やかな日差しが差す中、緩やかな時間が流れる。平穏な日常がそこにはあった。





 その後、フィールとアネシィがタイマンで戦いフィールが勝利を収めたことで、この一室の食物連鎖のピラミッドが完成した。

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