第4話
弓道場には、弓道部とは関係のない野次馬がたくさん集まっていた。
今日は弓道部は休み。
なのにこれほどの多くの人が集まっているのには理由があった。
今日の昼休み、食堂で柚月が弓道部の工藤くんに宣戦布告されたからだ。
周りにはたくさんの生徒がいたので、その噂が広がってしまったのである。
しかも、名目は私を掛けて戦うという内容で。
間違ってはいないのだが、その当事者となると胸中は複雑だ。
別に私と柚月が付き合っている事実は誰に認められるでも変えられるでもないはずなのに。
周りが勝手にそういう風に扱ってくる。嫌になる。
ないとは思うけど、もし、柚月が負けてしまったらと思うと震えが止まらなくなる。
「大丈夫だよ」
「柚月……」
袴姿に着替えた柚月が私の頭を優しく撫でる。
初めて見たその姿は意外にも似合っており、様になっている。
柚月は一応経験者ではあるらしい。
でも大会にも出たことはなく、柚月のおじいちゃんの道場で少しだけ習っただけだとか。
相手の工藤くんは県大会でも入賞したことのあるほどの実力者。
そんな工藤くん相手に本当に勝つことができるのか不安だった。
柚月には勝ってほしい。だけど、冷静に考えて本格的な経験者とほんの少しかじったことのある人では、実力の差は明白だ。
「よぉ。逃げなかったんだな」
「逃げる必要も特になかったしな。勝敗のルールは?」
「そうだな。俺とお前が交代ずつに打っていって外した方が負け。これなら公平だろ」
工藤くんは勝負を射詰競射で決めるようだ。説明にもあった通り、交代ずつに矢を放ち、どちらかが中らなくなるまで勝負が続く。
そして今回は近的競技。的までの距離は28メートルとなる。
「ちょっとだけ練習させて欲しいんだけど」
「聞いたぜ。一応経験者らしいな。でも大会とか出たことないんだろ? 勝負吹っかけといてそんな毛の生えた素人相手に無双してもつまらんからな。一応練習はさせてやるよ」
一応、工藤くんも柚月が経験者であることは聞いているみたいだ。
その一言に柚月は頷き、弓を持って射場へゆっくりと歩いていく。
そして矢と弓を構え、打ち上げる。そして打ち起こした弓を引き分け、一呼吸。
「シッ」
その後、彼が放った弓は真っ直ぐに的の中心へと吸い込まれていった。
「おお」と野次馬たちからどよめきの声が聞こえた。
流麗。まさに彼の弓を放った後の動作や残心に至るまでがその一言に尽きた。経験者の私から見ても美しいものだった。
しかも、素人だと思っていた人物が一回目の練習で的の中心を射たものだから、そのインパクトは大きく、その事実が相手の工藤くんを動揺させた。
「ま、マグレだろ! 俺もそれくらい……一本練習させろ」
そう言って、工藤くんも射場へと歩を進める。
そして先ほど、柚月が行ったように弓を構えて、同じ動作で放った。
「シッ」
矢は放物線を描き、同じく的へと的中した。
「ッ!」
しかし、それは中心部からは僅かに外れていた。
「チッ。調子悪いな。だけど、練習はこんなもんでいいだろ。さっさと始めるぞ。悪いけど、俺から先行をさせてもらうからな」
「分かった」
工藤くんが先ほどと同じように射場へ向かう。
「シッ」
そして先ほどと同じ動作で矢を射る。
それはまた、当然のように的に当たっていた。しかし、これも中心ではない。
別にこの競技は当たりさえすればOKなので、中心でなくても問題はないのだが、彼はそれがお気に召さないようだった。
「チッ」
舌打ちが道場に響く。
そして次は柚月の番。
柚月は自身のこもった表情で私を見て微笑んだ
その笑顔を見た瞬間、安心してしまった。
なんだか、柚月なら勝てる気がする。何の根拠もないのにそう思えてしまった。
これって愛の力かな? なんてバカなことを考えるくらいには、余裕ができていた。
……自分で考えておいて顔が熱くなる。
「シッ」
柚月が放った矢はまたもや的の中心を捉えていた。
「……チッ」
その度に工藤くんが舌打ちをする。部活でも今まで男と接してこなかったのであまり気がついていなかったが、普段からこんな態度をとっていたのかと思うと例え、男性恐怖症が治っていて、柚月と付き合っていなくても絶対に彼みたいな男とは付き合わなかっただろう。
そしてしばらく交互に放っていき、十数回の交代を終えた時だった。それは急に訪れた。
「あっ!」
工藤くんが放った矢がついに的を逸れ、
「クソがっ!」
苛立ちを露わにする工藤くん。
そんな彼を気にするそぶりも見せない。
そして射場へ立ち、矢を射る動作に入る。
そこには僅かばかりの緊張が見て取れた。
これを当てれば柚月の勝ち。矢を引くその手は軽く震えている。
(大丈夫。大丈夫だから。だから頑張ってっ!!)
心の中で何度もそう願い、手を合わせ祈った。
パスッ!
目を瞑り祈っていた私の耳に心地の良い音が届いた。
そしてそれと同時に歓声が響く。
恐る恐る目を開け、的場を見た。
「やった!!」
柚月の放った矢は見事ど真ん中へと刺さっていた。これまで数十本と矢を射てそのどれもがど真ん中。完璧な勝利だった。
「すごい! 柚月、すごい!!」
「ちょっ!? 桜!?」
私は堪らなくなり、柚月に飛んで抱きついた。
「み、みんな見てるから!!」
「関係ないもん!」
「ええ!?」
関係ない! みんなのことなんて気にしない!! だって私はこんなに柚月が好きなんだから!! 私と柚月の関係を疑う奴なんか知らない。見せつけてやる!!
そうしてしばらく柚月と公衆の面前で抱き合っていると、工藤くんが嘘みたいに顔を青くして言った。
「う、嘘だ! お前なんかズルしただろ!!」
「あのな、俺は──」
「負けを素直に認めて。あなたも弓道をやっている身なら分かるでしょ? 彼の動作は一朝一夕、マグレやズルなんかで得られたものじゃない。それがわからない内は絶対に柚月になんて勝てないし、大会も勝ち進められない!!」
「ぅぁ……」
「分かったら負けを認めて。そして私たちにもう関わらないで。それに何より。私は……私は柚月のことが大好きなんだからぁ────────ッ!!!!」
言ってやった。心の底から思っていることを全て目の前の恐怖の対象でしかなかった男子に。言ってやったのだ。その瞬間、私の中で何かがぷつんと弾けて消えた。
工藤くんはそのまま力なくうなだれた。
すっきりした。もう何も怖くない。私を縛るものは何もない。
「ああー、こほん。桜?」
「え?」
「盛大な告白ありがとう」
「え? え? ええ!?」
間違えた!! 完全に間違えた!! こんなみんなの前で告白なんて……ッ!?
ってよく考えたら文化祭の時も同じようなこと……いやいやでも、あれはみんながいたからできたのだ。
それなのに臆病な私が一人でこんな大勢の前で!? ヤバイ。あつぅ……。
顔は沸騰しそうなくらい真っ赤で湯気が出ていたと思う。
周りからは今度こそ、憎しみのこもった視線などはなく、生暖かい優しい視線とともに「ひゅ〜〜〜〜」と囃立てる声が聞こえる。
そしてそれとともにされる「キス」コール。
う、うそでしょ!? そんなのって!?
「「「「「キース! キース! キース!!」」」」」」
「や、ダメっ! こんなところで」
「桜。諦めろ」
柚月はそう言って私に近づいて、その端正な顔をこちらに向ける。
「────ッ!!!」
「「「「おお〜〜〜〜」」」」
外野、うるさいっ!!
こうなったら腹を括るしかない。みんなの前でなんて公開処刑だけど柚月はなぜかやる気のようだ。うぅ……恥ずかしいっ……。
私は覚悟を決め、目を瞑った。
そして鳴り止まぬ歓声と黄色い声を前に。
ちゅっと優しくそれは私のデコに触れた。
「ふぇ?」
そして何もわからない、私の耳元で小さく一言。
「(続きは二人きりで)」
「〜〜〜〜っ!!」
その瞬間、ボンと爆発した。
顔が真っ赤に。
ああ、もうずるい。最高に格好いい。
もう絶対に誰にも邪魔なんてさせないから。
これからもずっと一緒にいてよね。
大好き、柚月。
「あ、え!?」
油断した柚月の頬に私は今度はお返しとばかりに唇を押し当てた。
──────
後書き
これにてIF桜編終了です。
次回からは別のIFを書きます。かなり時間かかっちゃいましたね。すみません。
もうメインヒロイン、桜でいいか。
そんな気分になってしまいました。桜でいいっすか?
それと前回の話の最後の方を一部内容を修正しています。
柚月が勝負を吹っかけるように仕向けた部分ですが、桜について悪く言ったので謝らせるという内容が追加されています。ほんの少しですが、よろしければ再度お読みください。
また、弓道について。
私全く知識がなく調べながら書いたので間違えてることいっぱいあると思います。ご容赦くださいませ。
後、昨日も後書きに書かせていただきました、すてーたすVer2につきまして。
こちら社会人版のすてーたすと書きました。いくつか感想で社会人編と書かれていた方がいたのでお間違い無く。
柚月の社会人になってからの話ではなく、完全に別物で別の人の話です。
実は五話くらいならもう何ヶ月も前に書いてるんですけどねー。中々、先を書く気になれず。
というのも社会人としてのお仕事をしている描写が自分の現在の仕事以外にわからないからなんですよね。まぁ、間違っててもテキトーに書いてしまえばいいんですが、経験則がないと中々進まず……と言った具合です。
もう一つ社会人向けの女上司の話も書いてたんですけど、これも同じ理由で行き詰まって途中までしか書いていません。
社会人版すてーたすもぼちぼち書いていこうかなと思います。
それでは、引き続き、IFをお楽しみください。
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