第70話:文化祭での出来事④

 私、東雲桜は中庭から出て教室に向かっていた。先ほど言おうとしていて言えなかった私の本当の気持ち。


「柚月……」


 その名前を呼ぶだけで心が暖かくなるのがわかった。先ほど握った彼の冷えた手。それでも繋いだ彼から伝わってくる暖かいこの感情は私の冷えた心を温めてくれる。


 私は、きっと彼を好きになっている。だけど、自分の中でまだ男を信用しきれないという気持ちも残っており、相反するその感情で自分がどうすればいいのか分からなくなっていた。


 それにもう一つ。負い目もある。

 私は彼を利用している。だって本当のことだ。私は男の人がどうしようもなく恐い。だけど、柚月といるなぜか安心する。男なのに。男に触れることさえできない私が柚月と一緒にいると勇気をもらえる。何でもできるような気になれるのだ。この前だって、普段だったら話すこともできない同じ部の男子──篠宮や八坂くんとも話すことができた。それは柚月が隣にいてくれたから。


 私は紫ほど真っ直ぐじゃない。だからこの気持ちを言葉にしていいのか分からない。先ほど、紫から電話がきた時、酷く安心してしまった。覚悟を決めたはずなのに。伝えたい。だけど、怖い。


「はぁ……ウジウジしてても仕方ないよね……」


 それでもこの気持ちを自分の中で押さえておくのも苦しい。だから、もう少しだけ待って欲しい。自分で自分に言い訳をする。


「次に会ったら必ず言おう」


 それまではもう少しだけ、待たせて。

 私はそう心に決めて、教室へ向かう階段への曲がり角を曲がった。


「っ! すみません」


 そこで私は誰かとぶつかってしまう。

 危うく尻餅をつきそうになったが、どうにか踏みとどまった。

 そして私は、ぶつかった人物を見上げた。


「!」


 ◆


「あれ? 紫どうしたの?」

「あ、柚月さん。桜ちゃん見ませんでしたか?」

「桜? 桜ならさっき紫が電話してなかったか? 俺より先に教室に戻ってったと思うけど」

「そうなんですけど……おかしいですね。桜ちゃんどこかに寄り道してるんでしょうか?」


 先ほどの桜との会話を思い出す。何かおかしなところはあっただろうか。しかし、思い出してから手を繋いだこと、肩に寄り掛かられたこと。告白されそうになったことを思い出して、赤面してしまう。いや、最後のは予想だけど、自意識過剰だったらごめん。


「柚月さん……桜ちゃんと何かありましたか?」


 そんな俺の様子に気づいた紫が俺の顔を訝しげに覗き込んでくる。それにまた面食らってより、顔に熱さが灯るのを実感した。


「い、いや、何でもないよ」

「本当ですか? 怪しいですね……」


 なんて言い訳しようか。そう考えていたら、紫がスマホを取り出していじり始めた。助かった。桜から連絡でもあったのだろうか。


「あ、桜ちゃん。先生からどうやら頼み事をされたようですね。仕方ありません。シフトの方は、まあ大丈夫でしょう。少し待っていてくださいね。クラスの子に話してきます」


 紫は俺の返事も聞かずに、教室へ入っていった。

 というか、この流れ紫と一緒に回る流れか? いいんだけども。


 そうしてしばらくして、紫が戻ってくる。


「お待たせしました。それではいきましょう」


 あ、やっぱり一緒に回る流れだったのね。


「じゃあ、せっかくだから紫のクラスのお化け屋敷見せてよ。どんなのか気になるし」

「所詮、子供騙しのレベルですよ。ではいきましょう!」

「それ、入る前に言って良いの?」


 俺は紫に連れられて二年三組に足を踏み入れた。



「キャアアアアアアアア!! ダメです! あっちに行ってください!! む、虫はダメなんです!! あああ、柚月さん……もうダメですぅ……歩けないですぅ……ぐす……」


 めちゃくちゃビビってた。むしろ俺も紫の過剰な反応にビビってた。仕掛けなんて暗い通路で上からおもちゃの虫とかそんなのが落ちてくるレベルなのに。自分のクラスのことでネタもわかっているはずなのに紫はビビリまくっていた。


 幽霊的な怖さよりも虫の怖さが勝るのってお化け屋敷的にどうよ。所詮学生が作るレベルって言ったらこんなもん……


「柚月さぁん……」


 紫が涙目と甘えた声で抱きついてくる。

 おかげで、たわわな感触がさっきから俺の腕に当たりまくってますけどね。やっぱり、お化け屋敷サイコー!!!



「はぁ……怖かったです……」

「大丈夫か?」

「やっぱり柚月さんは頼りになりますね。流石男の子です」


 あの程度でいいのか。


「それじゃあ、次はどこに行く?」


 とここで「ぐぅ〜」と可愛らしいとは程遠い、大きな音が鳴る。音の発生源を探し、横を見ると紫が顔を真っ赤に染め上げていた。


「お昼ご飯いこうか」


 紫は恥ずかしかったのか、そのまま無言でコクリとうなずいた。




「なあ、本当にここでよかったのか?」

「はい、少し寒いですが、柚月さんと二人きりになれますしね」


 俺たちがやってきた場所は屋上。他クラスがやっている屋台風のテイクアウトできる店で焼きそばやたこ焼き、後は自販機で温かい飲みものを買ってやってきたのだ。


 寒くなってきたこの頃では屋上でご飯を食べている人も少なくなってきた。ましてや今日は学園祭。お祭り騒ぎでいる中、わざわざこんな場所でご飯を食べている人なんていなかった。


 それに二人きりなんて紫が言うもんだから妙に意識してしまう。ダメだな。さっきから俺こんなんばっかりだ。


「美味しいですね。中までフワッフワです。はふはふ」


 そんな紫の何気ない一言で俺の心中が乱されていることなんてまるで知らんそぶりで呑気にたこ焼きを口に頬張っている。無邪気なその姿に思わず、笑顔が溢れる。


「? どうしましたか?」

「いや、何でもないよ」


 なぜ俺が笑っているか分からないといった様子の紫に俺は苦笑してそう答える。

 なんだか、こういう落ち着いた雰囲気ってのも結構好きだな。


「あ、そういえばですね。柚月さんに食べてもらいたいものがあるんです! お昼の後で申し訳ないですけど……」


 たこ焼きと焼きそばを食べた後、紫はそう言って先ほどからもっていた小さな紙袋を渡してきた。

 受け取ってから中身を確認してみると可愛いラッピングがされた袋が入っていた。


「これ、俺に?」

「はい! 柚月さんにです。いつか食べてもらおうと思ってたんですが、なかなかお渡しできる機会がなかったので……」

「ありがとう。今食べてみても良い?」


 紫が直ぐに笑顔で「どうぞ」と答えたので、俺はリボンをゆっくりと解いていく。中から現れたのは、クッキーだった。ハート型の。

 少し、そのハートにぎょっとしたがよくよく考えてみたらハート型のクッキーなどさして珍しくもない。ここで意味深に考えてしまうのも馬鹿らしいと思った。


「じゃあ、いただきます」


 俺はそう言って一つ手にとって口に運んだ。その様子を紫が少し、心配そうに、だけど楽しそうにみている。

 口の中に滑らかな甘味が広がっていくのがわかった。


「美味しい」

「よかったです」


 また一つ、二つと摘んで口に運んでいく。そう言えば、料理は結構するけどお菓子作りはあまりしたことなかったな。この機会に紫に教えてもらうのも悪くないかもしれない。

 嬉しそうな笑顔を咲かせる紫の横でそう思った。そして不意に真剣な表情になる紫。


「ん? どうした?」


 心配になり、聞いてみた。


「柚月さん、どうでしたか、クッキー」

「え? 美味しかったけど……」


 今一度、クッキーについての感想を聞かれた。





 あ、これは、まさか? 何か一手間加えているのに俺が気づかないから怒ってるのか? ど、どうしよう。何が違うんだ?


「味じゃなくて形です」

「かたち?」


 かたちって形? このクッキーの? ハート型だけど……


「そ、それが私の気持ちなんです」

「紫の気持ち?」


 ハートが……? ……ん? 

 思考が停止した。

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