第46話:予感「も、もう一回!」
「少々お待ちください」
スタッフはそういうと目の前の部屋の扉を軽く2回ノックした。するとすぐに中から「は〜い」という声が聞こえてきた。
この声は......
「ではこちらへどうぞ」
そして案内されるままに部屋に通された。
「ええ!?宮野さん!?」
今日は1日驚きっぱなしの綾瀬さんもまた驚いていた。
やっぱり......
中に入ると若葉さんが先ほどのドレス姿でソファにダラリと寛いでいるところだった。
「あ、柚月くんお疲れ様〜」
「若葉。お客さんが来たんだからしっかりしなさい!」
「ええ?いいじゃない別に〜今終わったとこなんだから〜」
ギロリ。そんな効果音が出そうな目で若葉さんを睨みつけたスタッフ。
というかこの人ただの会場スタッフじゃないっぽいな。
「ひっ!す、すぐ起きますっ!」
若葉さんはだらしない格好から慌てて体を起こした。
「全く。そういうとこですよ?あなたが世界的なピアニストでありながら、一部の界隈で尊敬が得られないのは」
「だってぇ〜」
「それに彼にちゃんと言う事があるでしょう?あれは悪ふざけの度を超えています。いいですか?必ずですよ。またお時間になりましたら戻りますから」
会場スタッフ、もとい、恐らくマネージャーはこちらに向かって軽く会釈し、部屋を出て行った。
「っと言うわけで!えっと、霜月マネージャーにも怒られちゃったんでここで謝っておきます!柚月くん、ごめんなさいっ!てへっ!」
若葉さんは自分の手を軽く頭に当てて、ウィンクした状態で舌を出して謝罪の言葉を口にした。
なるほど。この人反省してないな。
「......」
「......てへっ!」
「......」
「ご、ご、ごめん!!」
若葉さんは俺が全く喋らないことに焦り、大慌てて飛び退いてその場で滑らかな動作で正座し、土下座した。なんだこの絵面。大丈夫かこれ?本当に世界的ピアニストなのだろうか。
「ちなみになぜあんなことをしたのか、聞いても?」
「あ〜いや〜、ノリで?」
「......」
「か、顔が恐いよ、柚月くん......?」
「この件は、母さんに報告させていただきます」
「ままま、待って!それだけは!?」
「離してください」
「ご勘弁を〜後生のお願いですだ〜」
この人がわからん。というかこんなにフランクだったっけ?あの日一度うちに遊びに来てピアノ教えてもらっただけのはずなんだが?まあ、たまにピアノのことで連絡は取ってたりしたが。
「まあ、それは置いておいて。若葉さん、俺に何か用があったから呼んだんですよね?なんですか?」
まだ、先ほどの怒りは忘れていない。そのため、少しぶっきらぼうな言い方になってしまったのは重々承知している。
「うっ......その前に、えっと、そちらのお嬢さんを紹介してもらえない?」
「あ、えっと、綾瀬橙火って言いますっ!あ、あの!先ほどの演奏素敵でした!私、昔から大ファンで......!!」
突然のフリに焦りながらも自己紹介する綾瀬さん。おかしいな?さっきの醜態を見てるはずなんだが、一向に尊敬の眼差しを止める気配がないぞ?この人、結構残念な人なのに。
「ええ、よろしくね、橙火ちゃん?感想ありがとう。私もファンって言ってくれて嬉しいわ」
先ほどの醜態をなかったことにしている二人。若葉さんもどこかお姉さん風を吹かせている。そして若葉さんは右手を差し出した。
綾瀬さんはその差し出された右手を見て「わぁ〜」と声を小さく挙げ、慌てて服で自分の右手を拭って握手をした。
「それにしても、柚月くんにこんな可愛い彼女がいたなんてねぇ〜?やるじゃない!彼女とはどこまで進んだの?チュー?チューはした?」
「か、かの......!!?ちゅう!?」
「やめてください、母さんに言いますよ」
「あ、いや〜冗談はこの辺にしておこうか......それで別に用ってわけでもないんだけど、無茶振りの謝罪と後それとプラスちょっとね。そっちの彼女も私のファンみたいだし、よかったら少しだけお話ししていかない?時間があればだけど」
「あー、分かりました。綾瀬さんもいい?」
俺が横で何やらぶつぶつ呟いている綾瀬さんに声をかけるとはっとして無言で強く何度も頷いた。
────
「ああ〜楽しかったっ!あっという間だったわ!」
「まあ、そうだな」
「お土産のサイン入りニューアルバムも貰っちゃったし、本当によかった!」
俺たちはあれから若葉さんと30分ほど話をしたところで時間となり、マネージャーさんに案内される形で会場を後にした。お別れの際に綾瀬さんの要望で写真を撮ってもらったり、せっかくだからということで今度発売される若葉さんのオリジナルアルバムをその場でサインを書いて渡してくれたりもした。
その後も綾瀬さんは興奮冷めやらぬ様子で駅まで向かっていたのだが......
「ってあんた、若葉さんと知り合いなら早く言いなさいよ〜っ!!めっちゃ緊張したんだからね!!」
その割にはめちゃくちゃ熱くクラシック談義に花を咲かせていたけどな。という野暮なツッコミはしなかった。
今日は明るくよく喋るなって思っていたが、最後に我に帰ったのかいつもの綾瀬さんに戻った。なんか今日はコンサートもだけど、いろんな綾瀬さんの一面が見れてすごく楽しかったな。まあ、俺は精神がとてつもなく疲弊した気もするけど。
そして今日の話をずっと電車の中で話していた。帰りの電車は行きの電車よりも混んでおらず、座ることができた。
電車で揺られながら3駅。最寄り駅に近づくことに別れの時間も近づくと思うと少し寂しく感じてしまった。
遂に、最寄り駅についてしまった。俺と綾瀬さんは改札を抜け、それぞれの家の方向へ分かれるまで歩く。そして。
「今日はありがと!すっごく楽しかった!若葉さんの演奏もそうだったけど、あんたの演奏も凄かったわよ?なんだか惚れ......っあ、んん。あんたがあんなにピアノできるなんてびっくりしちゃった。若葉さんも言ってたけど、あんただったら本当にプロになれるんじゃない?」
ん?なんだ、途中で咳払い。何を言いかけたんだ?まあ、いいか。
そう若葉さんとの話で、俺は若葉さんに「プロを本気で目指してみないか」というお誘いを受けたのだ。
始めて2週間であのレベルは異常だと。そのレベルなら今からでも十分間に合うから、学校をやめてこっちにこないかというお誘いであった。おそらくこれが一番の用件だったのだろう。
いつになく真剣な眼差しで話す、若葉さんに初めは困ったもののその場はお断りした。そんなすぐに結論を出す事が出来なかったからだ。それでも若葉さんには押し切られる形で「考えておいて」と言われてしまった。
「いや、俺の方こそすっごく楽しかったよ。でも俺はもう、あんな舞台での演奏は懲り懲りだ」
プロ云々は置いておいて、これは俺の正直な感想である。
「そう、もったいないわね!でもあんたって意外と何でもできるしね。他に何かやりたいことでもあるの?」
「いや......」
そういえば、俺のやりたいことってなんだろう。ステータスを手に入れてから並々ならぬ努力をしてきたつもりだ。それは、武術でも勉強でも球技でも料理でもピアノでも。やろうと思えば何だってできる。じゃあ、俺のやりたいことはなんだ?
「......まだ、それは探してる途中かな?」
今はまだ分からない。だからいつかまたやりたいこと探しをするっていうのもいいかもな。
「そうなんだ。じゃあ、やりたいこと、見つかったら一番に教えて?応援してあげるわ!」
「ああ、ありがとう」
「じゃ、私こっちだから......」
彼女は少し名残惜しそうにそう言って背を向けた。1歩、2歩、3歩。そして立ち止まる。
「?」
くるりと振り返った。
「......で」
「え?」
綾瀬さんが頬を染めながら下を向いて何かを言った。
「最後に私の名前、下の名前で呼んで......?」
「うぇ!?」
変な声が出てしまった。まさかの言葉に少なからず動揺する。
「......呼んで?」
綾瀬さんが上目遣いでお願いする。逃げられない。
「え?あ、えーと......と、とうか......」
声が震えて小さくなる。
「も、もう一回!」
「とうか!」
「う、うん。ゆずき......またね!」
「っ!!」
そういうと彼女は自分の家のある方向へ、小走りで去って行った。
なんだあれは......?
ガツンと強烈な一発を顎に喰らったような衝撃だった。脳が揺れる。心臓が口から飛び出るかと思った。あんな強烈なカウンターは卑怯だと思った。
今すぐにでも叫び出したい気持ちを抑え、俺はくるり振り返った。
「はあ.....少し、歩くか」
時刻は既に7時前。
俺は駅前の喧騒の中、少し熱を帯びた自分の頬を冷やすために歩くことにした。
「さっきの......綾瀬さんなんだったんだ......」
未だ、熱い頬で駅の周辺繁華街をブラブラと歩いて探検する。
さっきの帰り際の顔は中々忘れられそうにない。
「ん?あれ......?」
そんな時だった。路地裏の向こう側の通りだ。止まっているバンに複数人の少女が男たちに担ぎ込まれて、入れられているところが目に入った。
そしてその内の一人がクラスメイトである水原さんだったと気がついたのは、バンが走り去った後であった。
嫌な予感がした。
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