第45話:コンサートと......「そこの君ですよ!君!」
大ホールと呼べるその会場は広く、入り口は多くの人で混み合っていた。開演30分前。俺と綾瀬さんはこれから始まる若葉さんのスペシャルコンサートに心躍らせていた。
大ホールにはそれぞれ席の番号分けがされている。前列からA、B、C。その後ろ中央にD、E、F。そして後方にG、H、I、Jとそのような構成になっている。俺たちの席はB列。しかも最前列で丁度真ん中にあたる位置だ。
席に着いたときの綾瀬さんの興奮と言ったらもう、いつもクールな振る舞いとは無縁のものだった。新鮮ではある。無邪気に楽しむ彼女を見ていると落ち着かないのも確かだ。
「それでね、彼女は音楽を始めることとなったの!」
始まるまでの時間、俺はまた綾瀬さんから若葉さんについての歴史を聞いている。よっぽど好きなんだね。
そしてまもなく、始まるようだ。場内にアナウンスが流れた。照明の明るさがゆっくり絞られていき、会場が薄暗くなっていく。それとは逆にステージ上に控えめなスポットライトが当てられる。
シンとした空気が会場に流れる。そこからコツコツコツと耳障りのいい音が流れてきた。
「おお......」
「わぁ......」
小さく感嘆の声が溢れた。隣の綾瀬さんの感動しているようだ。目線の先には優美な黄緑のドレスに身を包んだ若葉さんが舞台袖から出てきて、真っ直ぐにピアノへと向かっていった。
そして椅子に座り、軽く一息。柔らかなタッチで鍵盤をゆっくりと撫でていく。だが、ゆっくりなのは初めだけ。そこから柔らかくも激しく、繊細な指遣いで音を奏でていく。
息を飲む。まさにそういった状態で若葉さんの演奏に見入っていた。それは俺だけでなく、隣の綾瀬さんもそして会場の全ての人がまさに同じ状態だったのではないだろうか。
曲名は分からなかった。素人感想で申し訳ないが、ただただ圧巻。すごいという拙い表現しかできん。
そして1曲目の演奏が終わり、若葉さんが立ち上がり、一礼をした。その瞬間に会場が一体になったようにけたたましい拍手の喝采が若葉さんに贈られた。
いやー、あれが先々週我が家にきて、少し拗らせていたお姉さんと同一人物とは思えまい。まさに別人であり超人であった。まだ1曲しか聞いてないが、世界を代表するピアニストであることは一瞬で理解した。
隣の様子をチラリと見るとその目にはすでに涙が浮かんでいる。感動したようだ。確かにこの演奏を聞いて心動かないものはいないだろう。ファンであるなら尚更だ。
若葉さんは一礼すると、マイクを手に持ち話し始めた。初めは曲の説明。今の曲は「鬼火」という曲らしい。綾瀬さん曰く、最高難易度に数えられる曲の一つだそうだ。
そして普通のクラシックコンサートであれば、曲の説明や作者の心情などを語るそうなのだが、この人のコンサートは少し違うらしい。なんか、一般的なアーティストのライブよろしく、かなりお客さんとの距離感の近いトークをするらしいのだ。それが彼女の人気の一つでもあるとのこと。こんな厳かな雰囲気でこんなトークをする人、世界を探しても彼女しかいないとか。なにやってんだ、この人。
そして軽い紹介などを挟みながら何曲か弾いていく。そのどれも最高級と呼べる演奏であった。また、間にはいくつか軽快なトークを入れて会場を盛り上げていった。
トークの内容によっては会場には笑い声なども聞こえる。
「やっぱり、これが宮野さんの魅力でもあるよね!」
と隣でも大好評。
そして演目も後半に入っていくところであった。
「ということで、今日はですね!お世話になった大先輩の息子さんも聞きにきてくれてるんですよ〜」
......はい?
「それでですね、偶然この前、その方のお家に遊びに行った時にその息子さんもいて。私って自分で言うのも何ですが、かなり有名なピアニストじゃないですか〜?」
笑いが会場を包む。
「そう自負してたんですけど、その息子さんなんと私のこと知らなかったんです!なんかショックでしたね〜。それに加えて、私にピアノを教えて欲しいって!贅沢ですよね〜」
更に笑いが巻き起こる。
やめて!!俺のこと話すのはやめて!恥ずかしい!!
ここでトークをする若葉さんと目が合う。そしてウィンク。この人確信犯である。本来の意味とは誤用であるが、あえて使わせていただこう。
「あ、あれ?今こっちにウィンクしなかった!?ねえ!?き、気のせいかな??」
隣の綾瀬さんはまるでアイドルと出会ったかのようなはしゃぎようであった。まあ、こちらにしたのは間違い無いだろう。
「それにしても全く、図々しくて無礼な人もいたものね!あの世界の宮野さんを知らない所か教えを乞うなんて!!この会場にいるのかしら?会ったら説教の一つでもしてやりたいくらいだわ!」
図々しくて無礼ですみません......それにその人、あなたの隣にいます。これ知られたら説教食らうのかな......
壇上の若葉さんはまだ俺の話を続ける。いい加減、次の曲行ってくれませんかね......顔から火が出そう。
「あ、でもね!その子初めてなのにめちゃくちゃ上手なんです!ある程度弾けるようになったんで1週間前に課題与えたらそれも難なく弾けるようになっちゃって!」
はい。実は球技大会の練習の合間、息抜きに家ではピアノを弾きまくってました。そして若葉さんから連絡が来て、成長を見たいと。無理難題を押し付けられて、練習していた訳ですよ。俺、始めて2週間だぞ!?誰がこれ弾けるんだって曲渡されてしまった。まあ、弾けるようになったんですけど。おかげでピアノのスキルレベルは6である。
「まあ、俗にいう天才ってやつかもしれませんね〜もっと早くに始めていたらと思うと惜しい人材です!と言うわけで、今からその子と一緒にその課題曲で連弾を弾きたいと思いますっ!!!」
......は?......は?
あれ?聞き間違いかな?あの人何て言った?連弾?誰がよ?
「えええ!?そんなことってあるの!?誰よ、そいつ!羨ましい!!いくらなんでも素人と一緒にそれは......でも宮野さんだし、そういうのもあるのかな......」
どうやら聞き間違いではなかったらしい。横の綾瀬さんも激しく動揺している。いや、普通に考えて無理だろ。ここの人たち金払って聞きに来てるんだぞ!?なにが悲しくて素人の演奏を聞かねばならん!?予想通り会場の大部分の人はざわざわとし始めた。
「はい!聞こえていますか?そこの君ですよ!君!時東柚月くん!!」
「......えっ!?」
声を挙げた綾瀬さんは隣で驚きの表情をしていることだろう。見なくてもわかる。俺だって驚いているもの。
あ〜終わった。なんだ、このコンサート。なんで世界的ピアニストのコンサートでこんなわけわからんことなるんだ?俺を殺す気か?
「はい、立って!壇上に上がってきて!!」
「......」
隣で綾瀬さんが口を開けてぽかーんとしている。綾瀬さんもそんな顔するんだな。写真に収めたい表情だ。はあ......覚悟を決めるしかないようだ。
そして俺はそのまま無言で立ち上がるとスタッフに誘導され、若葉さんの隣へ向かう。
「はーい、今から引く曲はベートーヴェンで4手のためのピアノソナタ ニ長調 Op. 6です!拍手で聞いてあげてくださいっ!」
ここで先にパラパラとまばらに拍手が起こる。どーすんのこれ?というかお客さんも困惑してるよね。未だ、ざわざわとしている。当然だ。超有名なピアニストと一緒に素人が一緒に弾くんだから。馬鹿じゃねーの!?こんなことはありえない。もう一度、言おう。こんなことはありえない。
俺はそのまま若葉さんと一緒に隣り合ってピアノの前に座る。あー、ステータスのメッセージがポップアップされる。緊急ミッションが発生している。どうせ、弾き切れとかそんなんだろ。くそ。こうなったらやけくそだ。
「大丈夫、大丈夫!落ち着いて!私がいくらでも合わせてあげるから自由に弾いてみて!きっとみんな驚くよ〜」
隣から耳元で若葉さんがそう言ってくれた。
発表会かっ!!
「はあ......」
ため息とともに小さく深呼吸し、鍵盤に触れる。音が鳴った。
────
そこからは覚えてない。何もだ。真っ白に燃え尽きた。今の俺はジョーより、真っ白な自信がある。まるで自分の意識がこの世から隔絶されてしまったかのようなこんな感覚は初めてであった。
次に気がついた時には、会場は割れんばかりの拍手だった。そして俺は自席に戻ってきたことすら記憶にない。無になった俺は、隣の綾瀬さんの様子をみた。すると綾瀬さんは涙を流していた。分からん、なぜ泣いているのだ。
そしてそのまま4曲ほど若葉さんが曲を弾いて、大盛況のうちコンサートは幕を閉じた。
「......」
「......」
今、綾瀬さんと俺は無言である。なんぞこれ?なんで無言?
「......綾瀬さん?」
俺は無言に耐えきれなくなって綾瀬さんを呼んだ。
「ぅぅぅ......感動したぁ......」
どうやら泣いていたようだ。
「ぐす......ありがと、今日は誘ってくれて......あんたの演奏もすごかったぁ......」
なんだかキャラ崩壊しているようであるが、彼女は綾瀬さんである。それにしてもよかった。素人の演奏にも感動してくれるなんて若葉さんのファンたちはとてつもなく優しい心の持ち主であるらしい。喜んでくれたならよかった。二度としたくはないけど。
そして俺は感動の涙を流す綾瀬さんとともにホールを出ようとした。するとここで大量の人に囲まれる。特におばちゃんが多い。
「君ね、さっきの宮野さんと弾いてた子は?」
「よかったわ〜」
「顔も男前ね〜」
「君今度よかったらうちの娘にピアノ教えてくれないかしら」
「ダメダメ!この子はうちに来るんですから!」
人生の絶頂期。つまりモテキである。いつ何時くるか分からんもんだな。っじゃなくて!!
「ど、どうするの、これ!?」
「えっと、すみません!!」
「え!?」
俺はそのまま、綾瀬さんの手を握り人混みをかき分けてその場から走り去った。
「はあはあはあ」
「ふぅ、ここまでくれば大丈夫か。ごめん綾瀬さん、巻き込んでしまって」
「......」
俺は人混みを外れ、会場内廊下で一息をついた。綾瀬さんの返事はない。綾瀬さんを見ると、肩で息をしながらある一点を見つめていた。そこにはしっかりと握られた綾瀬さんの左手と俺の右手があった。
「あ、ご、ごめん!!綾瀬さん!」
焦りに焦った俺は、勢いよく、手を離した。
「あっ......」
綾瀬さんは自分の手をどこか名残惜しそうに見ていた。どうしたのか、尋ねようとした時。
「時東柚月様とそのお連れ様ですね?」
いつの間にか背後に会場スタッフが来ており、名前を呼ばれた。
「少し、お時間よろしいでしょうか?」
「え?あ、はい」
そして俺と綾瀬さんは言われるがままにそのスタッフについて行った。
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