第30話:オレンジ②「なにゆえ!?」
俺は綾瀬さんを追いかけて、勢いよく廊下に飛び出した。
綾瀬さんはどこにいる?もう直ぐに玄関に直行したかな?
俺はそのまま廊下から玄関に向かおうとしたところで声をかけられ、止められてしまった。
「柚月さん!」
んん?何やら聞いたことのある声。振り返るとそこにいたのは身長が低い、おっとりした美少女。一ノ瀬さんであった。まともに話すのは夏祭り以来だ。
「あ、えっと?久しぶり、一ノ瀬さん」
「お久しぶりです。この間はごめんなさい......それとあの夏祭りの時はありがとうございました。また会えて嬉しいです」
「ああ、俺も嬉しいよ。それで何か用かな?」
なんとなく、嫌な言い方をしてしまった自覚はある。でも俺は急いでいた。別に時間がないと言うわけではないが、あの状態の綾瀬さんを放っておくのは危険だからだ。
「あ、あの。えっと、噂のことで......」
ああ、噂か。俺が酷いことしたことなってる件ね。ぜひ、お話ししたい。しかし、今はごめん!
「ごめん、また今度でもいいかな?ちょっと急いでて!ごめんね!また話そう、一ノ瀬さん!」
「あ......」
俺はそう言うと急いで玄関に向かった。
ごめんね、本当に。心が痛いよ、畜生。でも俺の噂のことであればまた今度でいい。俺自身のことは二の次だ。今は、とりあえず綾瀬さんを探そう。
そうして急いで玄関に到着したが、そこには綾瀬さんの姿はなかった。
◆
「はあ......」
私は深いため息をつきながら、学校から離れ、ブラブラと歩いていた。私がため息を吐いているのには訳がある。それは昼間の出来事。隣の席の男子生徒と口喧嘩をしたからだ。
私には大ファンのプロピアニストがいる。その人は私にとって恩人でもある。これは私が勝手に思っていることでもあるけど。
私が親からさせられる習い事にはピアノも含まれている。ピアノの他に華道に茶道。上流階級の者であれば、さも当然とばかりに習わされた。息が詰まってばかりだった。
そんな息の詰まってばかりの日々で出会ったのが彼女の奏でる音楽であった。親がお金持ちである私は、親の知り合いの息子の誕生会に出席していた。その知り合いというのも大企業の御曹司だ。そして彼女は現れる。その誕生会の主催者である、親の知り合いはサプライズゲストで彼女を呼んでいたのだ。用意されたピアノから鳴り響く優美な旋律。私はもう、虜であった。
終わってから声をかけようと思っていたのだが、彼女は多忙なスケジュールの合間を縫って登場したらしく、演奏が終わると直ぐに帰ってしまった。これが彼女と出会った、中学1年の時の話である。
そこから、私は彼女のことを調べ、CDを買い、日本公演のコンサートにも足を運ぼうとした。こういう時ばかりは、親がお金持ちでよかったと思った。偶然チケットを入手することができた私はその日を待ち遠しくしていた。しかし、悲劇は訪れるもの。私は当日風邪を引いてしまい、行くことができなかったのである。
それからも少ない日本公演のチケットを何度か親に頼んで入手しようとした。しかし、それからは一切手に入れられる気配がなかった。よって私は未だ、夢のコンサートへ行くことは叶っていないのである
しかし、私にチャンスが巡ってくる。そんな幻のチケットを隣の男子生徒が持っていたのである。だけどそのチャンスも私は棒に振ってしまった。
私の心が曇っているのは何もチケットが入手できなかったからだけではない。それもあるが、本当のところ、メインは他にあった。私は一人、歩きながら昼のことを思い出していた。
私が時東をバカにするような発言をしてしまったことだ。
あれは、私が悪い。どう考えても出てくる答えはそれしかなかった。私もチケットのことに頭がいっぱいだったとは言え、彼をバカにしたような発言はするべきではなかったのではないかと思う。
彼には妙な噂が立て続けに流れていた。曰く、女子のパンツを覗いた。曰く、女子を泣かせた。曰く、女子を抱きしめようとした。
そのどれもが本当だとすれば、救いようのない変態の所業だ。
夏休みに入る前の彼であれば、その噂自体も納得できたものだったかもしれない。だけど、夏休みを明けてからの彼は......変わった。
夏休み中、バイト先で私が出会っても分からないくらいに。少し、その人のことを考えてしまうくらいに。
夏休みが明けて彼と再会した時、本気で驚いたのを覚えている。でもなんとなく、認めたくなかった私は彼に八つ当たりをしてしまった。
こんなにも変われるということが羨ましかったのだ。私はどれだけ頑張っても変わることはできなかった。いつも親の言いなり。家でも学校でもいい子ちゃんを演じていなければいけなかった。それゆえ、心に気のおける友達もできたことはない。それなのに、変わってから友達ができた時東が羨ましかったのだ。
そんなまともな友達もいない私が何言ってんだって感じだ。自分のことを棚に上げて人のことを馬鹿にするなんて最低だと思った。キレられても仕方ないと思った。
そこからはすぐに謝りたかったが、言葉が出てこなかった。私は授業が終わるとこうして逃げるように学校から去ってしまった。
こんなことしか言えない、惨めな自分が、何もかも言いなりで偽りばかりの自分が嫌になってしまった気がした。
「あれ?ここどこだろ?」
考え事をしながら歩いているといつもこない、繁華街の方へ来てしまっていた。この辺は、治安が悪いとよく聞く。親からも一人では決して行かないようにと注意されていた。
私は周りを見渡し、来た方向へ戻ろうとしたところ、誰かとぶつかってしまった。
「キャッ」
「あいたたたた、おい姉ちゃん。どこ見て歩いてるんや?」
「兄貴!?大丈夫ですかい!?こりゃあきませんわ。骨が折れてやがります」
そこには如何にも漫画に出てきそうな小悪党二人組がいた。しかもベタベタな関西弁。私は嫌な予感がして、すぐに無視して反対側に走り出した。
「あ!?コラ、またんかい!!」
男達は折れた骨のことも気にしないで全力で追いかけてくる。私は、うまく曲がり角を使いながら男達の追跡を逃れようとする。
「はあ、はあ、はあ。もうやだ......」
気づけば走り続けて10分が経っていた。体力ももう限界であり、恐怖からか足が震え始めた。
私は路地の間から、男達がいないか様子を伺った。その時だった。
「んぐぅ!?」
何者かが私の口を塞いのだ。私は恐怖のあまり、ジタバタと体を必死に動かした。
「痛たたたたたた!綾瀬さんストップ、ストップ!俺だって!!」
そこに居たのは昼間に怒らせてしまったにも関わらず、優しい顔をした時東柚月の姿であった。
◆
今、私は繁華街から離れた公園のベンチに腰掛けている。
「はい、これ」
「......ありがと」
私は差し出された、缶のミルクティーを受け取り、プルタブに手をかけた。時東が公園の自販機で買ってきてくれたものらしい。
時東はそのまま、私の隣に腰掛ける。そこで、なんであそこに居たのかまるで言い訳でもするように話し始めた。
話の内容としては、なぜか私を探していたらしい。私が学校を出た後、急いで探したそうなのだが、見つからず、繁華街まで足を運んだ時に私がチンピラ二人に追いかけられているのを偶然目撃したとのことだ。
そこで二人に見つからないようにこっそりと私に忍び寄ったとのことだった。しかし、腑に落ちない。
「な、なんであそこであんな紛らわしいことするのよ!?」
「ご、ごめんって。近くにあの二人がウロついてるのが見えたから。俺と会ったら多分、騒がしくなって見つかっちゃうと思って」
どうやら私のため、してくれたことらしい。けど、あのタイミングには悪意があると思う。
とここで気づいた。昼間の件を謝るチャンスなのでは?
えっと、どうしよう。どうやって切り出そう。あああ、ダメだ。意識したら緊張してきた......
ごめん、ごめん、ごめん、ごめん、ごめん......
ああ、もう!なんでこんな簡単な一言が言えないのよ!私のバカ......
「そ、その!」
「えっと、綾瀬さん?」
私と時東の声が重なる。
「え?あ、何?」
「ごめん、先にいいかな?」
なんでこう、タイミングが悪いのよ!せっかく謝ろうと思ってたのに......
「ごめん!!」
「......え?」
なんで?なんでそっちが謝るのよ......?
「ごめん、俺、綾瀬さんが若葉さんの大ファンだって昼休みに話した時に分かってたのに、意地張って、意地悪するようなことしちゃった。だから、ごめん......」
「な、なんでぇ。なんで、時東が謝るのよ......」
あれ?なんでだ?なんで涙が出てくるんだ......?分からない.......なんでか分からなかった。
「ひぐ、ひぐぅ......私こそ、ごべんなざぁい......」
「え!?綾瀬さん!?え!?なんで!?なにゆえ!?」
ああ、酷い顔だ。こんな泣き顔誰にも見せたことないのに。目の前の時東はそれはもう焦っていた。
「ぐす......」
それから10分程度。時東は私が泣き止むのを黙って待っていてくれた。いや、かなり慌てふためていたけど。
「そ、その綾瀬さん」
「......何よ?」
私は泣き顔を見られてしまった恥ずかしさから、至って平静にいつも通り、ぶっきら棒に返事した。
「ごめん、泣かせちゃって!」
「っ!もういいから!!」
ああ、もうなんでそういうこと言うのよ!?今泣き止んだとこ!早く忘れて!!
「それでお詫びなんだけど......よかったらこのコンサート一緒に行かない?」
「へ?」
我ながら間抜けな声が出たと思う。
一緒に?宮野若葉のコンサートに行けるの?
「どうかな?」
「い、いく!!!」
「あ......」
私は思わず、彼の手を握ってしまう。彼は驚嘆の声を上げる。それに気づいた私は顔が赤くなるのが分かり、急いで手を離した。その時は時東も赤くなっていた気がする。
その後、私は危ないからという理由でそのまま時東に家の近くまで送ってもらった。気まずくてお互いずっと無言のままだった。
だけど、なんとなく。彼の前でなら、少し素の自分を出せるような気がした。
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