第29話:意地「......え......」

 あまりの綾瀬さんの豹変ぶりに若干身を引く俺。興奮状態の彼女に何を言おうか迷ったが、まずは質問の答えを述べた。


「それ、知り合いからもらったんだ」


「し、知り合い!?誰?誰!?誰!!私の家でも手に入らなかったのに......」


 綾瀬さんはその興奮状態のまま、俺の襟元を掴み前後に揺らしながら詰め寄った。

 く、苦しい。恐いよ、綾瀬さん。それにデジャブ。始業式の時もこんなことがあったな。なんだかかなり昔のように感じる。


「と、とりあえず離して......綾瀬さん!」


 苦しみながらもなんとか綾瀬さんに手を離してもらった。落ち着いてもらわなければまともに話もできやしない。


 しかし、この興奮状態を見るに若葉さんはやはり本当に有名なんだなと思い知らされた。家に来た時は、少し拗らせた人だった気がしたけど。

 そして俺はついつい、綾瀬さんに若葉さんの知名度が如何なものか聞いてしまった。聞いた後、後悔することも知らずに。


「そ、そのやっぱり宮野さんって人、有名なんだ?」


「はあ!?アンタそんなことも知らないのにチケット持ってるわけ!?」


 まだまだ興奮状態を維持する綾瀬さん。どうしよう。


「いい?まずね。クラシック......もとい、ピアノを嗜む人なら知らない人はいない、超が付くほど有名人よ!彼女は日本のピアニストの在り方を変えた近代クラシックにおける天才よ。まずは彼女の生い立ちから紹介するわね。彼女は1歳の時に......」


 なんか始まってしまった。これは聞くしかないのか?興奮状態の彼女を止めることはできなさそうだ。ま、まあ少しくらいなら大丈夫か。購買にもまだパンは残っているだろう。


 ◆


「それで彼女は留学を決意したわけ!それでも彼女が19の時にこちらの大学へ戻ってきたのには訳があるのよ!」


 あれ?終わらない。やっと若葉さん青春の高校編が終わったところのようだ。なんでそんな詳しい生い立ちを知っているのか。それは彼女の話によれば自叙伝を出しているかららしい。


 教室の中央にある時計は、既に1時を回っている。昼休みが12時半から50分間あるので残りは、20分程度である。

 お腹が空きました。もう購買には何も残ってないだろうな......運が良ければ一つくらい何か残っているか?くそ、でも言わねば!!


「あ、あの綾瀬さん?俺そろそろ、お昼ご飯を買いに......」


「うっさい!黙って聞きなさい!!それで、どこからだったけ?ああ、そうよ。彼女が国際コンクールで......」


 これは......無理そうだ。俺は白目を向きながら引き続き、若葉さん激動の大人編を聞くことにした。



 ◆


「っていう訳。分かった?大分端折ったけど、彼女の凄さを端的に言えばこんなところね。ああ、もう!彼女の魅力を説明するのには、昼休みだけじゃ足りないわ!!」


 終わってしまった。昼休みが。正確には、予鈴が鳴ったので後5分で終わる。グッバイ俺の昼休み、お昼ご飯。先ほど白斗と桃太も教室に戻ってきていた。戻ってくるなり、俺の元へ来ようとした。おそらくなぜ昼休み来なかったかを聞くつもりだったのだろう。しかし、隣で話す綾瀬さんの様子を見てスーっと何事もなかったかのように目の前を通り過ぎて行き、綾瀬さんとは反対側の俺の隣に座った。


 その時の通り過ぎる白斗の顔を横目で見ると、なぜ俺が来れなかったのかを察したような顔をしていた。助けてくれよ......


「あ、あの綾瀬さん。それでそのチケット返してもらえませんか?お昼休みも終わっちゃったんですけど......」


 綾瀬さんは、俺のチケットを手に持ちながら若葉さんの素晴らしさを力説していたのだ。


「......分かってるわ。悪かったわね、昼休み付き合わせて」


 綾瀬さんはそう言いチケットの入った封筒をこちらに差し出す。


「は、はは。どういたしまして。拾ってくれてありがとう......んっ!?」


 俺は差し出された封筒を手に取ったが、何か不思議な力が働いているのかピクリとも動かない。

 何だコレは!?一体何が起きてるんだ!?

 ガッチリと指先に捕らえられている、若葉さんからもらったチケットは互いの力が加わることによりシワが寄っている。


「あの?綾瀬さん?」


「どうしたの?」


 綾瀬さんは至って平然な顔をしている。

 ダメだ。勝てない。こんな細い腕のどこにそんな力があるというんだ!?俺の今の筋力パラメータを優に超えているというのか!?くそ!もうチャイムなっちゃうんですけど!?


「その......離してもらえないかな?」


「......」


 未だ彼女はこちらを優しく見つめる。


「......綾瀬さん?」


「それ、譲ってくれないかな?お金はいくらでも払うから」


 何そのブルジョワジー発言。綾瀬さんの家ってそんなにお金持ちだったの?実はお嬢様だったり?いや、今は置いておこう。ダメなものはダメ。


「ご、ごめん。知り合いの人から必ずくるように言われてるから!!だから譲るのはちょっと......それに.....まあ(女)友達と行くように言われてるから......」


 女という部分を小さな声で言う。やっぱり少し恥ずかしかったので......


「くっ......」


 そんな憎悪に満ちた目で見ないでくれよ。恐いってば。それに俺悪くないよね?


「じゃ、じゃあそういうことだから......」


 あれ?よく考えたらこんなに行きたがっているなら綾瀬さんでもいいんじゃないか?よっぽどファンみたいだし。それに俺も誘うという高いハードルをわざわざ越えなくてもよさそうだ。よし、まだ誰も誘ってないから、聞いてみようか。そう思った時だった。


「よかっ......」


「......待ちなさい!!女友達って言ったわよね?じゃ、じゃあ私でもいいじゃない!!」


「はい?」


 女友達というのは聞こえていたらしい。

 こちらから誘おうかと思っていた手前、まさか向こうから言われると思っていなかったので、驚いてしまった。


「どうせアンタ友達いないんでしょ?だから......だから私があなたの友達役になってあげてもいいわ!!」


 なんだとう!?思わずカチンと来てしまった!さっきからの上から目線で俺に接したことはまだいい。しかし、友達がいないだと!?


「友達だったらいるわ!!白斗と桃太がな!!さっき昼休みも一緒にご飯食べる予定だったんだぞ!!誰かさんのせいで潰れてしまったけど?」


 まあ、先ほど助けてくれずスルーされてしまったが。しかも今も白斗は反対方向を見て知らぬふりをしている。コイツ......


「うぐっ......それは悪かったわ!でも私が言っているのは女友達よ!!あんな噂が立つくらいだし、アンタのことをまともに相手してくれる奇特な子なんていないに違いないわ!!だから、私が行ってあげるって言ってんの!!」


 もう怒った!!言わせておけば!!俺だって怒ることくらいあるんだぞ!!俺にだって、女友達の一人や二人...... すみません、見栄はりました。一人いるんだぞ!!それに折角友達になってくれた東雲さんのことを悪く言うのは許さん!!まだ、連絡先も知らない友達だけども!!


 折角、綾瀬さん凄いファンなんだろうし、誘おうかなと思ってたけどやめた!!こうなったら意地だ。俺を怒らせたことを後悔させてやる!!


「......残念だけど綾瀬さんとは行かないからな!!それにもう行く人も決まってるから!悪いけど、コレは返してもらう!」


「......え......?」


 俺はそう言い、澄ました顔で綾瀬さんの手からチケットを救出した。ふっ。驚いたか。俺だってビシッと言う時くらいあるのだ。いつも言われっぱなしだと思ったら大間違いだぜ。

 しかし、そうは言ったものの俺は綾瀬さんの様子が気になったのでチラリと横目で盗み見た。


 あかん。綾瀬さんは今にも泣きそうな顔をしている。おおおお......

 そこでようやく5限目の授業の始まりを告げるチャイムが鳴り響いた。



 それから授業中も綾瀬さんの様子が気になり、横に目をやるとこの世の終わりのような顔をしていた。授業の板書も一切取れている様子はない。魂が抜け切っている状態だ。


 うぐっ。なんだか罪悪感。いや、しかし俺は鉄の心を持つのだ。今回は綾瀬さんが悪い。謝るまで許してやんないんだからね!!


 そんな状態は6限も続いた。魂の抜け切った彼女は授業中、先生に指されても反応することなく、何度も指されてようやく立ち上がる。そしてボソボソと誰にも聞き取れない声で話し、着席する。その異様な雰囲気を感じ取ったのか先生もそこを問い詰めることはしなかった。クラスメイトもいつもクールでしっかりしている綾瀬さんの様子に騒ついていた。


 そして放課後。結局綾瀬さんの様子は戻ることなく、魂の抜けた状態でフラフラと教室を出ていった。


「なあ、柚月。綾瀬さん、あれ大丈夫か?あれじゃあ何か事故とかに巻き込まれないか心配だぞ」


 俺も帰る準備をしようとしているところで隣の白斗から声を掛けられた。


「まあ、確かに心配だけど......」


「話は聞いてたけど確かにあれは綾瀬さんの言い方が悪かった。でもな、柚月。綾瀬さんがあそこまで誰かと言い争うと言うか、感情を出してるとこは初めてみたぜ?言葉が悪くなったのも、きっとあれは一種の照れだと思うけどな」


 確かに。綾瀬さんがあそこまで感情を剥き出しにしていたのも珍しい気がする。彼女は美麗でクールで。クラスの女子からも一目置かれている。決して仲が悪いわけではないが、そこまで仲の深い友達はいないように思った。彼女は自分の気持ちを素直に出すことが苦手なのかもしれない。それゆえに言葉が若干強くなってしまったのもわかる気がする。俺もステータスを得るまで感情をうまく出すのが苦手だったからなんとなく分かる。今も得意ではないけど。


 それに俺は昼休みの楽しそうに話す、笑顔の彼女を思い出していた。あれだけ楽しそうにしていたのも見たことがなかったかもしれない。よっぽど若葉さんのこと好きなんだろうなっていうのが感じ取れた。


 俺も大人気なく意地になってしまったのは少し良くなかったかなと思う。売り言葉に買い言葉のような形になってしまったからね。まあ、確かにあんな変な噂が流れてる俺にまさか女友達がいるなんて、俺が綾瀬さんの立場でも思わないだろう。


「はあ。分かったよ。確かにあのままじゃ心配だ。ちょっと、追いかけて話してみるよ」


「おう、行ってこい!」


 俺は白斗にそう言うと、快く送り出してくれた。なんだかニヤついていたような気がしたけど、気のせいだよな?



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