第25話:チェリー②「これで足りぬならば」

「ちょ、ちょっと!待ってよ!」


 私は、気づけば家を後にした、彼を追いかけていた。なぜ、私がこんなことをしているのかは自分でもわかっていない。それは、きっと自分のしたことに負い目を感じているのと同時にさっきの言葉がなぜか嬉しかったからかもしれない。




 土曜の夕方。今日は部活もなく一日ごろごろと家で過ごしていた。本当は紫と遊びたかったが、まだ体調が戻ってきたところでぶり返すとよくないので我慢した。

 こうやってダラダラと過ごすのもたまには悪くないと思っていたのに、そんな平凡な一日は一つのチャイムにより崩れ去る。


 夕飯時に人が訪ねてくるなんて珍しい。そんなことを思いながら玄関を開けたその先には、あの男。時東柚月が立っていたのだ。一瞬、私は幻でも見ているかと思った。しかし、私はそんな愚かなものを見るほど、彼と親しいわけでもそう言う仲でもないのだ。当然、その場で固まってしまった。

 どうやら彼は、私の祖父に用事があって来たらしい。玄関先で固まる私を救ったのは背後からやってきた祖父だった。


 私は祖父の言う通り、食卓へ戻った。

 用事ってなんだろ......?

 少しその内容が気になったが、すぐに頭から切り離し、目の前のブリに集中した。

 私は、あの男に合わす顔がない。なぜならば、私はしてはいけないことをしてしまったからだ。

 昨日、紫の家にお見舞いにいった際に発覚した事実。それは、私が勘違いで彼を思いっきり打ってしまったということだった。


 正直今、思い出しただけでも頭が痛くなる。紫との話合いで一応、週明けの月曜日一緒に謝ってくれることとなっているのだが、気が重い。男性に対して絶対的な恐怖がある私には地獄のような時間になることは間違いなかった。それでも謝らないと言う選択肢はなかった。月曜までまだ猶予がある。だからその間に心の整理をつけよう。そう思っていたのに。


 なんでこんなに早く顔を合わせることになるの......


 しかし、幸いなことに偶然ではあったが、用事は私ではなくおじいちゃんへの用事だったようなので、今日はこれ以上のことはないだろう。そう思っていたのに......



 な ぜ 一 緒 の 食 卓 を 囲 っ て い る ! ?


 もうおじいちゃん本当に何考えてるの!?私が男にはまともに触れることすらできないことを知っているはずだよね?なのになんで!?それにこの危険な配置は何!?私の隣?冗談じゃない!!はあああああ。どうしよう、本当に。彼の顔などまともに見ることができない。無理だ。

 彼にとっても意味もわからず、罵ったあげく打ってきた私のことなど良い印象はないだろう。チラリと様子を伺うも顔を見るだけで精一杯。チラリではなく、ギロリと睨んでしまった気がする。

 今日の夕飯は地獄だ。



 私は、無言でご飯を喉へ駆け込み、食器を片付けて一目散にその場を後にした。私は2階にある自室に篭り、頭を抱えた。


「謝ったほうがいいよね......?」


 ここまで失礼な態度を取ったことに対してではない。いや、それもあるが、一番はやはり、勘違いで彼を打ったことだ。

 ああ〜。過去をやり直したい。これほどまでに強く思ったことは久しぶりだ。また、人生の汚点が増えてしまった。


「やっぱ無理だあああああ」


 私は枕に顔を埋め、叫ぶ。

 きっと彼も腹の底で私を怒っているに違いない。そりゃそうだよ。意味もわからず打って来た相手なんて私でも怒る。そんなことが分かっているのに、謝ることを踏み出せない。過去の重い鎖が私を引っ張って離してくれない。

 やっぱり無理だよ。男の人なんて。彼も他の男と同じに違いない。私の弱みを握って何かしてくるに違いない。そんな被害妄想で頭がいっぱいになる。涙が出そうになる。

 少しはマシになったと思っていたけど、そう簡単にトラウマは治らない。


「無理だよ......」



 私は不意に紫の言葉を思い出す。


「ちゃんと謝ろう?大丈夫だよ、柚月くんなら。きっと許してくれるよ。それに今まで桜ちゃんが関わって来た人とはきっと違うと思うから。ね?」


 その柚月くんが紫が祭りで出会った人と知ったときは、驚いた。でもそのことを聞いてやはりそれはそれで紫のフィルターがかかっているのではと思ってしまった。私も分かっている。みんながみんな私のトラウマを作ったあの男のようなやつではないことくらいは。でも、あの時の恐怖が、不安がいつまで経っても私の中から消え去ってくれない。


「もうやだ......」


 私はまた思い出し、しばらく頭を抱えて小さく震えていた。少しして落ち着いた。


「はあ」


 いつまでもウジウジしていても仕方ない。下がやけに静かだが、彼はもう帰ったのだろうか。


 私は静かに階段を降りて、居間の前まで来た。まだ、夏の暑さが残っているため引き戸は開け放たれている。

 そしてその向こうには、まだ、彼が座っていた。おじいちゃんと何か話をしているようだった。私は咄嗟に柱の影に隠れてその会話を聞いた。


「まあ、お役に立てるかは分かりませんが、できるだけのことはしてみます......」


 ん?何の話だろうか。おじいちゃんが彼に何かをお願いしているのか。何をお願いしたんだろう。


「ごめんね。こんなこと頼んでしまって。迷惑をかけることはわかっているんだけど。あの子は男嫌いではあるけど根は良い子なんだ」


 はいい?

 おじいちゃん何言ってるの!?やめてやめて!恥ずかしいから!!


「迷惑は......まぁ既にかけられちゃってますけど......」


 うぅ......その反応は......昨日のことだな......


 小さな声でボソリと呟いたそれは、耳の良い私には分かってしまった。


「ん?何か言ったかい?」


 おじいちゃんには聞こえてなかったようだ。


「いえ!こちらの話です......それに友達思いの良い子なのはわかってますから」


 っ!!

 私は少し息が止まってしまった。なんで勘違いで打った私のことをそんな風に思えるのだろう。私は初めて男の人に少しだけ興味が湧いてしまったのがわかった。


 そうして、彼はまた一言、二言、おじいちゃんと言葉を交わすと帰って行った。最後まで私が隠れているのは気づかなかったようだ。


 言わなくちゃ。

 私は、しばらくその場で蹲り、時間を無駄にしてから決意を胸にようやく重い腰を上げ、彼のことを追いかけた。



 そして今、目の前には彼がいる。少し声が震えているのがわかる。

 気まずい沈黙が流れている中、彼の方から切り出してくれた。


「どうしたのかな、東雲さん?」


「べ、別に......」


 自分から呼び止めといて、どこのエリカ様だ!と自分でもツッコミたくなる反応をしてしまう。

 違う違う。こんなことが言いたいんじゃない......


「......その、さっきはごめん。二度と近寄るなって言われてたのにあんなことになっちゃって......」


 さ、先に謝られた!?なんでそっちが謝るの!?そりゃ、さっきのは本当に不意打ちだったけど......謝らなくちゃいけないのは私の方なのに。


「ち、違う!そうじゃない!」


 私は精一杯声を張り上げる。これでは私が怒っているみたいではないか。そんなことがしたいんじゃなくて......


「わ、たしもごめん......」


「え......!?」


 まさか、私が謝ると思っていなかったのか彼は驚きの顔を作って見せた。


「その......勘違いでビンタしちゃったこと。紫を泣かせたのあんたじゃなかったんでしょ?」


「くふっ。ははははは」


 笑われた!?なんで!?一生懸命謝ったのに!!

 私は顔を少し赤らめながらも条件反射的に笑った彼のことを睨んでしまった。


「いや、ごめん。なんか意外で。てっきり俺また何かしちゃったのかと思ったよ」


 どうやら彼は自己評価がかなり低いらしい。


「その、私のこと責めないの?ひどいこともいっちゃったし......」


 私は、不安な面持ちで彼に問うた。


「責めるって?東雲さんを?そんなことしないよ。だって勘違いだったんでしょ?それなら仕方ないよ。それに東雲さんが一ノ瀬さんのことを思っての行動だったんなら、それは正当な行動だと思うよ。ごめんって一言もらっただけで十分」


 勘違いとは言え、暴力を振るったことを正当な行動だとは思えない。それでも彼は私を慰めるための方便としてそういったのだろうと思った。


「それでも!私がしたことは間違いだから......その......何か罰が欲しいって言うか......」


 ああああ。私は何を言ってるんだ。罰って......

 こんなこと言ってしまえば思春期の男子にとって、都合の良い解釈をされかねない。どんなことをされるかわからない。私は自分の言ったことに後悔をして、またトラウマが想起された。


 彼は少しの間、うーんと考えると口を開いた。


「じゃあ、そうだね。罰として......」


 ごくりと私の喉の音が鳴った。そして体が震えだす。


「俺と友達になってよ!!」


「......は?」


 一気に先ほどまでの緊張感が冷めた。


「いやー、俺友達少なくってさ!この前もやっと初めてできたばっかりなんだよね!!だからもっと友達欲しくってさ!!」


 私が?男子と友達?


「これも俺を助けるためだと思ってさ!お願い!!」


 彼は手を合わせてこちらに祈る。


 なんで?なんで罰をもらう方の私がお願いされる立場になっているんだろう。なんだこの状況?


「これで足りぬならば」


 彼はそう言うと片膝を折り、その場に正座をしようとしている。これは......土下座だ!!彼はこんなとこで土下座をしようとしているのだ。

 待って!?おかしくない!?


「ちょ、ちょっとやめてよ!!分かった!分かったから!!」


「いやーよかった。友達増えた!」


 彼はその場から立ち上がるとすぐに切り替えて嬉しそうに笑った。


 何この人......思ってた感じと全然違う。こんなに変な人だったの?

 なんだか、そんな人にムカついて、怯えてた私が馬鹿みたいだ......


「これからもよろしく!あっ......」


 彼はそう言って握手の手を差し伸ばそうとしたが途中でやめてしまった。

 どうやら私が男に触れられないことを知っているらしい。別に。少しくらいだったら我慢すれば大丈夫なんだから!


 私は無言でそっぽを向きながら手を差し伸ばした。


「おお!」


 彼はそのまま私の手を取って軽く腕を上下に振った。そして私のことを気遣ってかすぐにその手を離した。


「じゃあ、俺、そろそろ帰るよ!友達になってくれてありがとう!また学校で!」


 なんで謝ったはずの私がお礼を言われているのか分からなかったが、何も言わなかった。

 そして彼は駅の方面へ歩き出した。


「あ!」


 でも彼は数歩進んで立ち止まり、こちらに振り返った。


「でもあのビンタは結構痛かった!今度する時はもうちょっと優しくしてね!」


「なっ!?」


 彼は爽やかな笑顔を浮かべながら、そう言い放った。きっと彼なりの冗談なのだろう。

 今度ってなんだ!!やっぱり変なやつ!!


 でも、なぜか彼が去った後の私の心はスッキリしていた。それに。こんなに普通に喋れた男子は初めてだったかもしれない。握手をした手は、やはり少しだけ痒かった。

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