第15話:青い花「お言葉に甘えましょうか」


「これあなたの本だったのね?貸し出しの本かと思って勝手に読んでしまったわ。ごめんなさい」


 その西洋人形のような綺麗な肌をした女性はくすりと笑い、謝るとすぐに俺の小説を席の前に置いて一礼した。長いダークブルーの髪を一つにまとめ、右側に流している。


 その微笑みに少しドキリとはした。


 一体誰なの?この人。こんな綺麗な人がいるんだなあ。小説面白かっただろうか。よかったら貸そうか。しかし、見ず知らずの女性にそこまでできるほど、まだ俺の精神力は上がっていなかった。

 それにしてもいつの間にここにいたんだろう。俺が昼ごはんを食べている間に来たのかな。小説読んでる時は、居なかったしな。


 俺は不審に思いながらも女性の隣に座り、小説をカバンに戻した。そして今度は英語を勉強することにした。しかし、やはり隣の彼女の様子も気になって仕方がない。見た目だけで言えば完全に年上に見える。どうやら隣の彼女も勉強しているようだった。彼女にバレないようにこっそりと横目で見る。そしてがっつりと目が合う。綺麗なブルーの瞳だった。


 ハーフ?いや、それよりなんで?なんであなたもこっちを思いっきり見ているのですか?

 その大きな瞳で見つめられるとすぐに目をそらした。目を逸らす瞬間、口元が動き、先ほどと同じくくすりと笑ったことはわかった。そして彼女も視線を元の方向に戻した。

 一体何者だろう、この人は。ミステリアスな人だな。大人のお姉さんって感じだ。


 少し居心地の悪さを感じつつも勉強に集中しようと思い、英語のテキストを開いて並べられた長文を読み解いて行くことにした。



 英語は昔から苦手だった。なぜ日本人なのに?という使い古された言い訳では通用しないほど、近年では国際的な教育に力を入れている。それは、英語だけでなく、プログラミングなどの情報工学の分野にだって同じことが言えるだろう。だけどなんて言おうが苦手なものは苦手だ。単語一つ一つを覚えるならまだしも、過去形だとか、〜完了形だとかよくわからなかった。だけど、それも知識の値が伸びた今だからこそ、なぜ分らなかったのかが分かった。まあとりあえずは今は、長文を読むくらいならなんてことのないくらいにまで英語はできるようになった。喋れるかどうかは別だけど。

 あれ?数学も苦手って言っていた気がする。まあ基本的に勉強全般が苦手。


 そして時折、横にいる彼女を盗み見る。まるで彼女はこちらに気づいたかのようなタイミングで髪を耳にかける。その仕草。卑怯だ。男はその仕草に弱いと思う。そのせいで一旦集中が途切れてしまった。軽く一呼吸し、頭の中の煩悩を打ち払いもう一度集中状態に入る。


 そうして、英語も過集中とも呼べるくらいの勢いでその勉強時間を消費していった。

 そろそろ夕方だ。今日は家で夕ご飯を作ることになっている。今から帰れば十分に間に合うことだろう。


 そう思い、机の上のテキストやノート類をまとめ、カバンに放り込んだ。もちろん、勉強した後に発生する消しカスも忘れずに集めてゴミ箱に捨てた。

 あまりに集中し過ぎたか、隣にいた女性はいつ間にか、席からいなくなっていた。


 不思議な雰囲気を持つ人だったな。そんな感想を後にして図書館の入り口の自動扉を出ようとしたその時。


「あら、もう帰るのかしら?」


 その変わった女性が俺の背後から声をかけて来たのだった。先ほどまでいなかったように思ったけど、背後に急に現れるとは、忍者?

 振り返った時、彼女は手にハンカチを持って手を拭っていた。なるほど、お手洗いに行っていたか。偶然にも帰るタイミングが同じになったようだ。

 先ほどまで座っていた姿しか見ていなかったが、その立ち姿は優雅さを醸し出している。青のフレアスカート。彼女によく似合っていると思う。


「ええと、はい......。あなたも今お帰りですか?」


 彼女とまるで面識のない俺は、どう答えるかに迷った。よそよそしく、返事を返すのも仕方のないことだった。


 そしてその女性は俺の返事に対し、予想外の答えを返すのだった。


「ええ、私も今帰るところよ。よかったらご一緒に帰らないかしら?」


 え?一緒に?

 女子と一緒に帰る。それは一部の者に許された特権。できれば学校の帰りというのがベストなシチュエーションではあるが、そんな贅沢は言っていられない。そもそも高校生には見えないが。二つ返事で返そうかと思った。しかし、この目の前の女性の素性が全く不明である。

 どうする、俺!?


「ふふ、そんなに悩まなくてもいいと思うわ。私もあなたと同じ、高校の生徒みたいだし」


 え?高校生なの?しかも俺と同じ高校?ということは俺のことを知っているのか?でも俺が高校で女子とまともに話したことなんて数えるほどしかないぞ?消しゴム拾った時と......あれ?それくらいしか思いつかない!?なんで!?


 なんでもくそも、学校では全く人と関わってこなかったから当然ではある。

 俺が知らないと言うことは、彼女が一方的に知っている?そんな俺注目を集めるタイプの人間ではないのだがな......


「ええと、なんで俺のこと知ってるの?」


 俺は思い切って聞いてみた。もしかしたらこの子は密かに俺に想いを寄せてた一途な女の子なのかもしれない!そう淡い期待を込めて。ドキドキしながらその女の子の答えを待った。


「まあ、とりあえずは帰りながらにしましょう」


 ええ......そこ引っ張るの?そして結局一緒に帰るのね。いいんですけども。だけど先ほどの俺を知っている理由が期待通りのものか否かによって大きく意味が変わってくる。いかん、ドキドキして来た。


 しばらくお互いが無言で歩く。俺の心臓はさっきからバクバクと激しい音を立ててうるさい。精神力はあがってるはずなんだけど、それでも緊張はするものなんだと分かった。


「そ、それでなんで知ってたの?」


 無言は気まずいものであったが、それを打破するために気になっていることを問うた。


「そうね。あなたがいつ聞いてくるか待ってたのだけれども......案外遅かったわね。それであなたを知っていた理由だけど......」


 もしかして試されていた?いや、それよりも理由は......?ごくり......


「あなたが使っていた参考書、学校が貸し出しているものでしょう?学校名が書いてあったわ。でも夏休み期間は貸し出しが禁止されてたと思うのだけれど。返さないとダメじゃない」


 ガッテム!!俺の期待は一瞬で塵へと化し、消えて行った。先ほどのドキドキ感返して欲しい。

 ええ。ええ。分かってましたとも。そのくらい分かってました。でもね?いいじゃない。少しくらい期待したって。男の子だもん。

 それと参考書の件はすみません。普段勉強のしない俺がステータス成長のためにとりあえず借りたものでした。


「そういえば、あなたが読んでいた本、勝手に読んでごめんなさい。でも中々面白かったわ。恋愛小説なんて久しぶりに読んだのだけれど、続きが気になってしまったわ」


 期待をへし折られて落ち込んでいる俺に、先ほどの本についての感想を言ってくれた。

 あら。さっきも謝ってくれたけど、律儀な人だな。あれ?続きが気になるって言った?


「えっと、よかったら貸しましょうか?俺もう読んでしまったので」


 決して下心があるわけではない。面白いと思った小説の感想ってなんだか共有したくならない?小説に限らず、漫画とか映画とかも。なんだか、同士みたいな感じ。


「あら、いいのかしら?それではお言葉に甘えましょうか」


「はい、どうぞ」


 俺は、自分のカバンからごそごそと小説を取り出して、そのまま彼女に渡した。

 同じ学校なのでどこかで返してもらうタイミングもあるだろう。あ、名前まだ聞いてない。


「ありがとう。あなた中々目立ちそうな不思議なタイプの人だけど、残念なことに私はあなたを見たことがないわ。学年は何年かしら?」


 俺が不思議?それはあなたなのでは?


「えっと、2年です?」


 今更ながら、俺はその女性が先輩か後輩か、はたまた同級生かわからなかったので敬語ともなんとも言えない話し方になってしまった。こんな綺麗な子同じ学年ではあまり見たことないが、もしかしたら先輩か?それとも、後輩......いや、後輩ではないだろう。大人びすぎている。やはり先輩かな。


「あなた2年生なの?私も2年生だけど......おかしいわね」


 同級生だった。というか、そんなにおかしいかね?俺と同級生というのは。まあ見たことないとは思ったが、普段からそこまで人に気を配っていなかったからか、派手で騒いでいる人たち以外はあまり覚えていないのも確かである。しかし、目の前の彼女は、そんな派手からは遠く離れてはいたが、これほどの美少女が学校で話題にならないことの方がおかしい気もした。


 彼女は口に手を当てて考え事をしている。


「あなた、名前を聞いてもいいかしら?」


 あ、やっと聞かれるのね。聞かれたんだから俺も聞いていいよね?


「時東柚月って言います。えっと、あなたは?」


「そう。では柚月と呼ばせてもらうわ。私のことはそうね。クロエって呼んでくれるかしら」


 クロエ。やっぱりハーフか何かだなこの人。ますますわからん。同じ学年にこんな綺麗なハーフいないだろ。いくら隠キャの俺でもそんな人いたら絶対に知ってるよ。気になるな。何組だ?


「えっと、なんく......」


「ごめんなさい、私ここを曲がるの。あなたとお話しできて楽しかったわ。小説ありがとう。読み終わったら返しに行くわ。また学校で会いましょう」


 まるで話を逸らされたように感じた。違うよね?別にそういうわけじゃないよね?たまたま、いいタイミングで道が分かれただけだ。自分にそう言い聞かし、残された俺は、一人歩いて帰った。



 家に帰ると水月がソファでくつろいでいる。朝、彼女も受験生なので図書館で一緒に勉強どうだ?と誘ったのだが、水月はそれを断った。なんでか、理由は教えてくれなかった。


 俺は、荷物を置いた後、早速、夕ご飯の準備をすることにした。凝った料理をするのもいいが偶には、カレーなんていう極一般的な料理でもしてみようと思った。一般的と言っても今回作るのは、市販のルーを使用するのではなく、スパイスから自分で作る本格的なものではあったが。


 予想通りと言うべきか、期待通りと言うべきか、水月は美味しそうな顔でカレーを頬張っていた。仕事から帰ってきた父さんも母さんも粉から作ったカレーを珍しそうに眺め、舌鼓を打った。

 絶賛ではあったが、まだまだ、改良の余地はあると思えた。



 そして早めの風呂に入り、明日の準備を終えた俺は、ベッドに寝転がっている。


「明日から学校か〜」


 休みの終わりに誰しもが思うであろうことを口に出して呟く。この夏で変わった俺は、明日から学校でやっていけるだろうか。今更ながらではあるが、やはり友達だって欲しい。それにできるなら彼女だって。


 だけどそれは欲張りすぎだな。せっかくいろんなことができるようになったんだ。いや、出来るようになるかどうかは自分次第か。ゆっくり残りの高校生活で考えながら目標を見つけて明日からの学校を過ごそう。まあ当分は、自分自身を磨くことが一番かな。


 俺はそう決めて、ゆっくりと瞳を閉じ、今日出会った不思議な女性、クロエのことを思い出しながら眠った。スカートと瞳のせいか青という印象が強く残った。

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