第12話:ナルシズムの代償「筋肉バカではない」

「え、えっと、どうかされましたか......?」


 固まってしまった俺は綾瀬さんの一言で我に返った。そして何か言葉を掛けようとしたその時。


「ちょっと、あなた何やってるの!!」


 後ろから、妙齢の女性がこちらに怒気をはらんでやってきた。

 スーツ姿のその女性は店長という感じではない。誰だろうか。


「あ......」


「あなた、何を突っ立ってるの!お客様を汚しておいて、グラスの片付けまでさせて何してるの!その手に持ってるタオルを貸しなさい!」


「す、すみません......あっ」


 その女性は綾瀬さんの手に持つタオルを奪い取るとこちらに向かって差し出してきた。名札にはエリアマネージャーと役職が書いてある。なるほど、結構なお偉いさんみたいだ。

 それにしても勝手にグラスまで片付けたのはやりすぎだったか。悪いことをしたな......。綾瀬さんごめん。


「申し訳ございません。こちらお使いください。ほら!あなたも謝って!」


「本当に申し訳ございません......」


 いやー。周りの目が痛い。いわゆる針のむしろってやつだ。なんだかこれでは、俺が店の人をいじめているみたいではないか。マネージャーさんも真面目なお方なのだろうが、俺の目の前で怒鳴り散らさなくてもよいのでは?非常に気まずいのです。


 拭くものを受け取った俺は、それでTシャツに広がる濡れた部分をポンポン叩くように拭いていった。


「この度は、うちの従業員がご迷惑をお掛けいたしました。クリーニング代は支払わせていただきますので、後日お手数ですがお店に寄っていただけますでしょうか?」


 そしてマネージャーさんは続ける。

 ただのお水をぶち撒けただけにも関わらず、クリーニング代まで払おうと言うのだ。そしてその横の綾瀬さんはというと半泣きになっている。確かにあの剣幕で怒鳴られたら俺も泣いちゃうかもしれない。エリアマネージャーなどよく店に顔を出しているとは思えない。そういう時に限ってミスしちゃうし、そういう人に限って恐い。


 いつもの学校のクールな印象とは違い、その様子になんだか居た堪れない気持ちになった。


 しかしながら、俺はここでオラつくような人間ではない。不遜な態度を取られたならまだしもここまで必死に謝ってくれている。許さないという道理はない。


「いえいえ、お気になさらないでください。ただのお水ですから!」


「ですが......」


「本当に大丈夫ですよ。ちょうど買った服もありますので着替えれますから。それに......」


「は、はい?」


「それに彼女すごいお仕事頑張ってましたよ。お水持って来るのも早かったですし、偶然床の木目が浮き上がっていなければ、躓くこともなかったと思います。だからそこまで怒らないであげてください。それに他のお客さんが躓いて怪我をする前に気付けてよかったですね」


 俺はそうして綾瀬さんに微笑みかけると彼女は驚いたような顔をした。

 そしてマネージャーさんは振り返る。先ほど綾瀬さんが躓いた場所を見ているようだ。

 確かにそこの床は、木目が剥がれ、少し浮いていた。


「ッ!!申し訳ございません!すぐに床の修繕をいたします。これは当店の管理不行き届きでした」


 少し嫌味っぽい言い方にはなってしまったが、仕方ない。

 マネージャーさんは綾瀬さんのミスでなく、店舗の管理不行き届きにより発生した事故だということを理解してくれたようだ。これで綾瀬さんもこれ以上怒られることはないだろう。


 あれ?そういえば、何か忘れている?あ、水月だ。水月がトイレから戻ってきていない。そう思い、店の入り口方向を見るとずっとこちらを呆れたような目で見ていた。なぜ?



 それから結局、俺はオムライスと和風ハンバーグセットを頼んでマネージャーさんと綾瀬さんには下がってもらった。ちなみにお水は新しいのをもらいました。


「もう、やっと席につけたよ。お兄ちゃんがお店に迷惑かけるから中々戻れなかった!」


 おい、待て。何で俺が迷惑かけたことになってるんだ。


「そんなの決まってるじゃない!どうせ店内でも腹筋だの何だのやってたんでしょ!」


 俺の心をナチュラルに読んで来る水月。そして明らかに揶揄っている。俺をなんだと思ってやがる。さすがにそこまで非常識ではない。緊急ミッションが来て、店内で腹筋やれって言われたら考えるけど、そんなものは特に来ていない。


 まあ、とりあえず。


「俺服着替えて来たいからここで待っててもらってもいいか?」


「はいはい、すぐ戻って来てね!」


 そうして俺は先ほど買った服を手に取り、席を立った。丁度インナーとしてシャツを買っていたのでよかった。


 そして服の紙袋を手に持って店を出ようとしたその時、誰かに呼び止められた。


「すみません、もしかしてどこかでお着替えですか?」


 それは先ほどのマネージャーさんだった。


「は、はい。丁度服買ってたのでトイレででも着替えようかなと?」


「申し訳ございません、よろしかったら当店のスタッフ用の休憩ルームでお着替えください」


「いや、でも悪いですし......」


「いえいえ、ご迷惑をお掛けしたのは当店であることに変わりはありませんから、ささ、こちらへ」


 マネージャーさんはそう言うと俺に有無も言わさずにスタッフ用の出入り口から休憩ルームに案内してくれた。


 休憩ルームは8畳くらいのスペースにロッカーや姿鏡などが置かれている。どうやら更衣室としても使われているようだ。


 というかこれってまずくない?女子店員しかいなかったよね?そんなとこに部外者のしかも男を入れるって非常によろしくないと思う。貴重品とかもあるしね。しかも俺以外の誰か着替え中だったらどうしたんだろう。まあ、さすがにそこはマネージャーさんも分かって連れて来てくれたよな?いや、本当に。


 まあ、考えていても仕方ない。さっさと着替えてここから出ることにしよう。

 夏なので、店の中はクーラーがよく効いている。ずっと濡れている服を着ていたら風邪をひいてしまいそうだ。


 俺は、濡れた服をそのまま脱いだ。鍛え上げられたその肉体が露わになる。思わず、自分でもその体を鏡で見てしまう。

 決して、ナルシストではないぞ!やっぱり、ヒョロヒョロのガリガリだったからここまで筋肉がついたと思うと見るだけで嬉しくなると言うものだ。


 自分の体を見ていた俺は、何を思ったか少しだけポージングをとっていた。その隆起した胸筋に綺麗なシックスパック。これも常に筋トレしなければ衰えていくことだろう。それだけは避けねばならない。朝は腹筋やったし、帰ったら腕立てとりあえずやっておこ。あ、なんか器具も欲しいな。ネットで探しとこ。言っておくが、別に筋肉バカではない。自分磨きへの余念がないだけだ。何やら身体方面へ鍛えがちだが、勉強とかも頑張らないとな。やっぱどうしても見た目に出る方に頑張ってしまうな。


 そうして暫くの間、俺は不用意にも休憩室で上半身裸で居てしまった。本当に不用意だった。


 ガチャ。


 休憩室のドアが何者かによって開けられる。


「はあ、ついてない......私があんなミスするなんて......今日に限ってあのマネージャーいるし......最悪だ......でもさっきの人優しい人でよかった。ああ、いい人すぎてまた泣きそう......え?」


 ぎこぎこぎことブリキの人形の首が回るように俺は自身の首を回した。そして目が合ってしまった。


「きゃああああああ!すすす、すみません!」


 目が合った瞬間、部屋に入って来た人、綾瀬さんの瞳孔はこれでもかというほど開いた。そして、顔を紅潮させ、そのまま悲鳴を上げて部屋を出て行った。


 やってしまったああああああ。何悠長にこんなところでポージング決めてんだよ......。これでは本当に変態ではないか......。

 俺は慌てて新しい服を出し、タグを気合いで引きちぎって着た。服のタグって硬くて素手じゃ普通切れないけど、こんなところで火事場の馬鹿力を発揮してしまったようだ。


「すみません、俺。マネージャーさんにここ通されて......」


 部屋出て行った、綾瀬さんがまだ、外の扉の前にいることを祈って言い訳がましく言った。

 するとドアの向こうでゴソゴソという音が聞こえた。


「こ、こちらこそ、すみません。ノックもせずに入ってしまって.....」


「いえ、さっさと着替えなかった俺が悪いので......もう着替えましたので出ますね」


 俺は脱いだ服を紙袋に詰め、部屋を出た。扉を開けるとそこには綾瀬さんが恥ずかしそうに俯いて立って居た。

 俺も上半身だけとはいえ、裸を見られたのが恥ずかしかったので「すみません」と一声かけてその場から去ろうとした。

 しかし。


「あ、あの!」


 まさか声をかけられるとは思っていなかった。


「さっきは、庇って頂いて嬉しかったでしゅ......では!」


 言いたいことを言い終えた彼女は再び顔を朱に染めて、休憩室へと消えていった。思いっきり噛んでたな。

 なにか学校での冷たい印象が180度変わってしまった。というより完全に知っている人に対する接し方ではなかったな。

 やっぱり、俺だと気づいていなかったか。


 そんなことを考えながらスタッフルームを出た俺は、水月の待つ、テーブルへ戻った。和風ハンバーグは既に到着しており、少し冷めていた。悲しい。

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