第9話:兄の威厳「さあ、おいで」

 狭山さんと別れた俺は、考え事をしながら自宅に向かっていた。

 なぜあんなことを口走ってしまったのか。俺としたことがちくしょう。しかし、正直な感想だったことは否定しない。また次、学校で会う時が気まずくて仕方ないな。まあ別のクラスだし、会うことも少ないか。

 それにしてもちゃんと家帰れたかな?また、変なのに絡まれていなければいいけど。


 そうして考え事をしているとまっすぐ行ったところに家が見えてきた。電話は何回かしているが、実際に親に会うのですら1ヶ月ぶりだ。でも今日は平日だし父さんと母さんはまだ仕事で家に帰ってないだろう。まあでも、もう夕方だからもう少しすれば帰って来るとは思うが。

 ということは家にいるのは妹の水月だけだな。受験生だし、ちゃんと勉強しているといいんだけど。


 家に着くと鍵を取り出そうとしたがポケットに入っていない。


「あれ?嘘?落とした?」


 どこで落としたかは分からない。でももしかしたらキャリーバックの中に入っているかもしれない。とりあえず、暑いので中に入ろう。そう思い、妹が鍵を開けてくれることを期待して、インターホンを鳴らした。


 ピンポーン。


 出ない。留守にしているのだろうか。もう一度鳴らしてみる。


 ピンポーン。


 出ない。あ、でも上の方で少しドタドタっと聞こえた気がした。寝てるのか?それとも居留守か?


 もう一度鳴らしたところで、水月がインターホンに出た。


『はい』


「あー俺だけど、鍵開けてくれる?」


「俺?お兄ちゃん?なんで?鍵持ってないの?めんどくさ」


 水月は面倒臭いと言いながらも玄関まで来る音が聞こえた。そして鍵がガチャリ。ドアがゆっくりと開かれる。


「全く、鍵くらい自分で開けて...よ......ね?え......?誰?」


 ほう。やはりお前もか。自分のお兄ちゃんが分からないか。まあ、期待はしていなかった。自分でもこんだけ身長と体重変わったら分からんと思うしな。狭山さんが奇跡だわ。どうしようかなー。やはり身内にも気づいてもらえないのは少し寂しいものがあるな。

 よし、少しからかってやろう。


「すみません、妹さんですか?お兄さんの柚月くんに用があるんですけど、いらっしゃいますか?」


「えっと、す、すみません。家間違えてませんか!?」


 おい。なんで家間違えたことになってんだよ。お前の兄に友達がいることがそんなに不思議か?どこの柚月くんを訪ねてると思ってるんだよ。この辺にそんな名前の人、俺くらいしかいねえぞ?


 水月は慌てふためいている。

 そして小声で「お兄ちゃんに友達?そんなはずは......。しかも、こんな爽やかな人が......?」と言っているのが聞こえた。


 まだ、信じられないのかよ。お兄ちゃん悲しくなってきた。友達いないのは事実だが。


「いえ、間違えていませんよ?時東柚月くんです」


「え?本当に......あの、兄は家にいないんですけど......あ、でももうすぐ帰って来るって連絡あったのでよかったらウチで待ってますか??」


 俺は戦慄した。妹がいつもは見せない優しげな表情を見せている。なんだこいつ。いつもの暴君はどこ行った?まあ、面白いしもう少し続けるか。


「そうですか。すみません、では、上がって待たせてもらってもいいですか?」


「は、はい!汚いところですが、どうぞ!」


 俺は水月を騙したまま、家に帰ることに成功した。


「お邪魔します」




 しかしながら、全くもって遺憾の意を表明したい。まるで政治家のお決まりのようなセリフが唐突に浮かんだ。なぜなら、俺の妹である水月は、兄である俺のことを分からず、挙げ句の果てには見ず知らずの人間(現在の水月にとっては)を簡単に家に上げてしまったからである。

 お兄ちゃんは悲しい。こんなことでは碌でもない男に騙されんとも限らない。そういうことで今回は少しからかっ......お仕置きをしてやることにする。


 俺はキャリーバックを玄関に置かせてもらい、中に入った。キャリーバックが兄と同じものなのにも関わらず、それに全く反応を示さないというのは、普段どんだけ俺に興味ないんだ。

 少しくらい、「兄と同じですね」って反応してもいいだろうに。


 リビングに通された俺は、ソファに案内され、そこで座って待つように言われた。

 その間、水月はというと鼻歌を小さく歌いながら、キッチンへ向かった。一応客人ということで何か飲み物を用意してくれるようだ。


「あ、あの!温かいのか、冷たいのかどちらがいいですか??」


 このクソ暑い中、誰が温かいのを頼むのかとお思いかもしれないが、俺はコーヒーだと暑い日とかに関わらず、ホットが好きだったりする。なのでコーヒーが出て来ることを期待して、「温かいものを下さい」と頼んだ。


 ちなみ、俺はコーヒーにはこだわりがあったりする。高級な豆を取り寄せて、自分で挽いて飲んでいたりする。これは自分のお小遣いを捻出して買っている、ささやかな趣味でもある。

 いいお豆があったらつい買っちゃう。


 だけど、そんなこと妹は知らないだろう。だって俺に興味ないもん。それに普段、水月がコーヒーを飲んでいるところなど見たことがない。

 まあ、ここはインスタントコーヒーが出て来るかな。


 そう思っていたら、水月は何やら戸棚をゴソゴソしている。あれは、まさか!?


「な!?」


 そうそれはまさに俺が自分のために購入している高級豆だったのだ。なんであの場所に置いてあることを知っている!?それに、なぜそんな手慣れた様子で準備をしているんだ!!


 そうして遠くからその様子を見つめていた俺は、静かに怒りを滾らせていた。

 昔の自分だったら妹にも強く言えなかった気がするが、今の自分はなんだか感情を出すのに躊躇がなくなってしまった気もする。衝動的にならないようにだけ気をつけよう。


「お、お待たせしました!どうぞ!」


 結構なことで。お客さんにはちゃんと対応するのね。兄としては安心だわ。


「ありがとうございます。いただきますね?」


「は、はいっ!」


 ダメだ、堪えろ。笑ってはいけない。平常心......平常心......平常心。先ほどの怒りは既に鎮火。意外に緊張してあわあわとしている妹の対応に笑いを耐えていた。


 水月は俺にコーヒーを出すとお盆を手に持って俺がコーヒーを飲むのをじっと見つめている。よせやい。見つめられると何だか飲みづらいじゃないか。

 俺はそんな水月の視線をよそにコーヒーカップを手に取り、そのまま口に運んだ。


「おいしい......」


 ずずずという音でコーヒーすすった後、カップから口を離した俺は、本心で感想を口にした。

 本当においしい。やはりいい豆を使っているだけある。しかし、なぜ俺が自分で入れた時よりうまいんだ......?ショックだ......


 水月はその感想を聞いて、小さく「よっし」とガッツポーズをしていた。


「そのコーヒー豆、すごくいいのを使ってるんですよ!!200gで1万円くらいするんです!!私も好きでよく飲んでるんですよ!!」


 急に饒舌になったな......いや、おい待て。お前なんと言った?よく飲んでいる?なんかたまに減りが早いと思ったらやっぱりお前か!!しかも何で値段まで知ってやがる!!ゆ、許さん......


 また怒りが静かに燃え上がり出す。怒ったり、笑ったり忙しい心だ。以前よりも感情が豊かになったのかもしれない。それでも俺は怒りを隠して努めて冷静に、水月に話しかける。


「へ、へえ〜。コーヒーが好きなんだね?」


 いかん。怒りでコーヒーカップを持つ手が震える。それをどうしたんだろうという表情で見て来る水月。


 ずずず。

 はあ、おいしい。

 いいコーヒーは怒りまで収めてくれる万能な飲み物だ。


 とそこへ、玄関がガチャと開く音がした。そしてそれと同時に「ただいまー」という声が聞こえた。


「あ、すみません。お母さんが帰ってきたみたいです。ちょっと行ってきますね」


 そういうと水月は俺のこと説明するためか玄関の方へ向かって行った。玄関からはそんな水月と母さんの声が聞こえて来る。


「え?お客さん?」


「そう、お兄ちゃんのお客さんみたい!私知らなかったよ、あんな冴えないお兄ちゃんにあんな友達がいたなんて!!」


 謝れ!今すぐ俺に謝れ!

 そして水月は母さんを伴って、リビングへ入ってきた。


「あら、いらっしゃ......ってゆずちゃんじゃない!随分、カッコよくなって!」


「へ......?」


 身内とはいえ、褒められたらやはり嬉しいものだ。母さんの場合、前から身贔屓が入っていた訳ではないけど。


「......ただいま、母さん」


「え!?ちょっと待って!?え......!?」


「もう!帰ってきたならキャリーバック、玄関に置いてないでちゃんと片付けとくのよ?」


「ごめん、母さん。後でちゃんと片付けとくから!」


「ふふ、おかえり!今日はゆずちゃんの大好きなグラタン作ってあげる!」


「......ワタシハイッタイ?」


 どうやら、水月が壊れてしまったようだ。目の前の現実を受け入れられない。そんな顔をしている。


「お、おおおお兄ちゃんなの......?」


 未だ信じられない様子でこちらを見て、尋ねて来る。まだ俺が兄だと信じられないようだ。......なんだかこの言い方だと生き別れみたいだな。


「ああ、そうだよ。俺がお前の大好きなお兄ちゃんの柚月だよ。さあ、おいで俺の可愛い妹よ」


 俺はそう言って笑顔で両手を広げ、水月を抱きしめるような形を取る。

 それに対し、水月はというと......あれ?なんか瞳孔開いてない?それに黒目があちこち忙しそうに動いている。大丈夫か?


「い、い、いやあああああああああああああ」


 顔を真っ赤にし、悲鳴を上げて2階にある自分の部屋に逃げていった。

 何も悲鳴をあげることはないだろ。これは、やりすぎたか。まあ、ちょうどいい罰になっただろ。


 その後、水月はご飯が出来上がっても一向に降りて来ることはなかった。

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