「出会い」

「いらっしゃいませ~!」

 明るいコンビニの店内に、店員の声が響く。濡れた傘を閉じた付き人が私のものまで奪おうとした。

「自分で持つわ」

 と断って、和傘を持ちながら私はそれほど広くない店内をふらふらと歩き回る。付き人が慌てて後に付いてくる。付き人の風貌に、他の客がちらちらと視線を寄こす。一緒にいる私まで被害が及んでいる。

 それぞれお菓子のコーナー、おつまみ、インスタントもの、生活用品などに細かく分かれているが、もちろんすべて日本語で表記されていた。これが日本のコンビニか、と店の雰囲気を観察しながら、どうにかチャンスを作れないかと私は考えた。

 逃げ出すチャンスを。

 ぐるりと一周してもなかなか訪れない機会に、私は焦れていた。だんだん付き人の顔つきが険しくなってくる。何も買わないのか、買わないなら早くここを出るぞ、と顔に書いてある。

「……じゃあ、これとこれと」

 もうこうするしかない。そう思って、私は店に置いてあった買い物用のカゴに大量の商品を投げ入れる。

「あ、これも。こっちも捨てがたい」

 付き人が呆れたような表情で、どんどん増えていくカゴの中身を見ている。止めようという気も起きないようだ。

「はい、会計お願い」

 付き人に笑顔を作ってそう告げる。私が選んだ商品たちは、勢いよくカゴをはみ出して積まれていた。数はあるが、一つ一つが重たいものではない。

「……承知しました」

 付き人は商品を崩さないようカゴを持ち上げ、レジに並んだ。私も付き添う。出入り口は、私の側にある。

「商品、お預かり……します」

 レジに立つ店員が、そのカゴを見て驚愕した。笑顔が引きつっている。後ろに並んだ客がざわめき出す。焦っているせいか、バーコードを読み取る店員の手元が狂う。

 付き人は目の前の店員の手際の悪さに気を取られて、こちらを見ていない。そのとき、コンビニに近付く人影が目に留まった。

 ――今だ。

 私はそーっと後退し、おそるおそる付き人の背後に移動していく。

「あああーっ!」

 あろうことか店員が、バーコードを読み取り終わった商品を付き人の足元にぶちまけた。店員は「すみません! すみません!」と謝りながらカウンターを出て商品を拾いに行っているが、この状況で付き人が手伝わないわけにはいかないだろう。私にとっては非常に嬉しい誤算だった。今しかない。

 私は極力音を立てず、出口に向かう。付き人は店員と一緒に商品を拾っていて、こちらを気にしていない。心臓が破れそうなくらいうるさい。新しい客が入ってくる。

「いらっしゃいませ~……!」

 大量の商品と格闘している店員が、泣きそうになりながら声を張り上げる。私は入店した客と入れ違いに、ざあざあと雨の降る中コンビニを飛び出した。


 後ろは振り返らなかった。今ごろ私が消えたことに気づいたところだろうか。商品を放り出して、私を追って来ているかもしれない。走るのを諦めた途端に後ろから捕まえられるような気がして、足が止まってくれない。もう、どこをどう通ったかなんてよく覚えていない。

 髪も服も靴も、ぐしょぐしょで気持ち悪かった。

「はっ……はあ……」

 無我夢中だった。足がもつれそうになった私はようやく膝に手を付き、胸を押さえ、息を整えた。そういえば、走っているときもずっと和傘を握っていた。額にびっしり浮かんだ汗が地面へ流れ落ちる。

 私は、人々がごった返す駅前から少し外れた、人気のない小道に佇んでいた。辺りは暗闇に包まれている。思った以上に夜が深くなっているのかもしれない。

 雨の音が耳障りだった。すでに全身濡れているけれど、構わず私は傘を差した。


 ぱしゃっ。水たまりを蹴る音がした。足元に冷たい飛沫がかかる。目線の先には、棒立ちの青年がいた。私に気づいていないのか、微動だにせず虚ろな目をしている。

 そのまま、一切光の差さない夜の奥へ、溶けていきそうだと思った。

 男のすぐ近くにはスーツ姿のおじさんが倒れている。

「ねえ、おにーさん。なにしてるの?」

 つい、そんな声が出た。異国の地で、少しばかり非日常的なこの状況にただ単純に興味が湧いていた。男は、ゆっくりとした動作でこちらを振り返る。

雨に混じって、男の目から小さな雫がこぼれ落ちた。


 胸の辺りまである天然の金髪をなびかせ、小柄な少女が絨毯の上を軽快に歩く。昼下がりの柔らかな日差しが、廊下に並んだ窓ガラスを淡く照らしている。

 少女は重々しくそびえ立つ扉の前で止まり、二回、ノックする。どうぞと中からかけられた、低く落ち着きのある声を聞いて、ドアノブを押す。

「キオカです。大統領、お話がございます」

 開口一番、心地よさそうなチェアーにもたれた恰幅のいい背中に向かって、少女がそう笑顔で告げる。外の景色を眺めていた白髪交じりの男は、椅子を回転させて少女の方を向く。

「どうした」

「伯父様……いえ、ミラー=フランシス大統領」

 少女は改めて居住まいを正して、目の前に座る国の長をまっすぐに見据える。

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