2 関西弁とコゼルのビール


 0-3で横浜の攻撃が終わり、選手たちが守備に位置に就く。応援団を中心に褒め称える声や拍手が一斉に湧き起こる。砲流はまんざらでもない様子で脱帽して声援を受けていた。


「コラ――ッ、砲流!! 男だったら満塁ホームランをドカンと打たんかーい! ヒットでランナー返して満足するなん、4番として2流やぞ!」


 関西弁の手厳しい声が飛ぶ。先ほど一挙に3点も稼いだ砲流のポジションはくしくもライトだった。砲流の顔が一瞬、ムッとなりかけたが、すぐにほかの声援に応えるように笑みを振りまいた。


「姉ちゃん、言うねー。外人なのに関西弁ペラペラだし」


 立ち見席のすぐ下の席に中年オヤジが、半身を斜め後ろ向けて手を叩きながら笑っている。

 関西弁の女――津田(つだ)沙蘭(さら)は碧い目を細め、手に持った紙コップのビールをあおりつつ、手すりに身を預けた。風で肩まで伸ばした金髪が顔の前面にかかる。それを手でどけながら、


「当然やろ! 4番の仕事はホームランでランナーを返すこと! 野球が発足して以来の決まりごとや!」

「おもしろいなー、見た目はもろアメリカ人でしかも関西弁だし。ジャガーズのファンじゃないの?」


 関西弁だからといって沙蘭は大阪ジャガーズのファンではない。……いや、元はファンだったのだが、横浜に就職したときにファンを辞めて横浜ベイギャラクシーズのファンになったのだ。その土地にある球団を応援する――これが彼女の持論である。

 今の沙蘭は、イケメンで人気急上昇中の渡久山(とくやま)のユニフォームをまとい、デニムのホットパンツを身につけている。そこから伸びる足は長く、ムチムチとしていて男心を射止めるには充分だ。


「ウチは――」


 沙蘭が何かを言いかけたとき、階段をヒイコラ上ってきた小太りのおばちゃんが、中年オヤジを叱りつけた。


「アンタ、また若い娘(こ)に声かけて!」 

「ヒイイィィイ、ごめんよカアちゃん」

「まったくしようがない人なんだから……ごめんね、宅の旦那は若い娘に目がなくて。お詫びにこのからあげでも食べて」


 手首に提げたビニール袋から球団のキャラクターがデザインされた箱を取り出すと、腕を伸ばして沙蘭に手渡した。


「ホンマに、ホンマにエエんですか!?」

「いいのよ。隣の綺麗な娘(こ)と食べて食べて」

「ベッピンさん、おおきに!」

「あらやだ、ありがとう♡」


 おばちゃんが中年オヤジの隣に腰かける。軽い説教を始めたのを見物しつつ、沙蘭は隣の目の覚めるような美人に向けられた。


『ほな、ありがたくいただこうか』 


 小さい顔をベースに、濃い目で長い眉毛に魔女のような高い鼻。ウェーブロングの茶髪にブラウンの目、まばゆいばかりの白い肌。各パーツがハッキリと際立ったエキゾチックな顔立ちだ。

 特にアイメイクもバッチリ施されている目は、心をざわつかせる。沙蘭に負けず劣らず手足が長いのだがモデルのように細く、こちらはこちらで同性にも受けそうな体格だ。

 そんな女がしゃがみ込み、ビールを仕方ないと言わんばかりにちびちび飲んでいる。ブルーのラップミニワンピースを着ているから、下の席から下着が見えてしまいそうなものだ。が、本人はそれさえも些細なことであり、暑さと湿気にやられて観戦どころではなさそうである。


『ヤナ、どないしたん? 野球はおもろくない?』


 そもそもヤナ・クメントは、野球を観たいとはひと言も言っていない。スポーツは観るのもやるのも好きのほうだが、野球は興味の範疇(はんちゅう)から外れていた。


『チェコじゃサッカーとアイスホッケーが盛り上がってるわね。野球はそんなでもないかな』


 チェコ出身の彼女が日本の野球場にいる理由は、平たく言えば沙蘭とのオフ会だった。ふたりはネットゲームを通して知り合って親交を深め、やがてヤナが「行ってみたい」と言ったのだ。

 連日行きたい観光地も連れて行ってもらい、宿も沙蘭が住んでいるマンションに泊まっているためか、文句を言って帰る手段も取れないでいた。


『なんで日本は夜になっても暑いの? しかもジメジメしてるし……人も多いし……』


 ヤナは浅草で購入した扇子を広げ、パタパタ扇(あお)いでみるも、ジメッとした空気が己の体にまとわりつくだけである。思わず顔をしかめて扇子を閉じた。


『温度はこんなんやで』


 沙蘭がスマホを見せてくる。温度計のアプリが起動されているらしく、温度30℃、湿度90%と表示されていた。


『チェコの昼間よりも暑いじゃない。イカレてる』


 ヤナは天を仰ぐ。喉の渇きが一層増した気がした。


『それに、ビールが口に合わないわ……』

『アのつくところが合わへん? ウチはおいしいと思うんやけどなぁ。ま、結構独特な味やからしゃーないか』

『黒ビールって売ってないの?』

『ベイスタで黒ビールの売り子なんて見たことあらへんよ』

『ハア……コゼルのビールが恋しいわ……』


 そこへ折りしもエールビールを担いだ売り子がやってきた。


『ヤナ、エールビールなら飲めるやろ!?』

『多分、大丈夫……』

「よっしゃ。おーい、ネーちゃん!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る