真夏の野球観戦とふたりの日々

ふり

1 ベイスタの元気印

「♪よーこはまーのそーらたかーく、ホームランかっ飛ばせ、ほーおーりゅー♪」


 横浜ベイスタジアムのナイターが行われていた。横浜ベイギャラクシーズの対戦相手は大阪ジャガーズ。試合は1回の裏。横浜の上位打線の連打で、ノーアウト満塁の大チャンスを迎えていた。

 ここで迎えるのは4番の砲流(ほうりゅう)。リーグ屈指のパワーヒッターである。チャンスにも強く、初回で一挙に4点取れるだろう、と、両手を前に突き出し、応援歌を歌うファンたちは信じて疑わない。


「ほら、先輩も歌って歌って!」


 ロングヘアーを左右に茶と金に染めた褐色のギャルが急に立ち上がる。その際ズレたわざとらしいほど大きな丸眼鏡――本人曰くオシャレ――を直しつつ、隣席の女の服を引っ張った。

 横浜のチームカラーの青と、散りばめられた星屑をイメージしたキャップを被ってはいる。が、隣のユニフォーム――しかも砲流――をまとったギャルほど別に熱心なファンではない。女は不快指数に耐えられない表情を隠そうともせず、首を振った。


「私はいいよ~……暑くて蒸してて、本当もう誇張なく融けそう……」

「シャコさーんダメダメ! ハナっからマジパないチャンスなんだから、ちゃんと立ってくださいよ!」

「ぅえぇえぇ……」


 シャコ――紗綾子は渋々立ち上がる。両手にメガホンを握らされた。褐色のギャル――橘樹(たちばな)乃慧美(のえみ)は野球のことになると、熱くなってしまう。しかも良くも悪くも人を巻き込んでしまうものだから、おとなしく観戦したい人間には少々迷惑な存在だった。


 ――仕方ない、合わせよう。疲れてぐてーっとしてれば、ノエちゃんもわかってくれる……かな?


 連休中のベイスタは超満員だ。ファンクラブにでも入っていないと、チケットを取るのは厳しい。それでも、こうして座って観戦できているのは、ビールの売り子をしている同居人の理央から以前もらっていたのだ。

 それを紗綾子は観に行かないし、誰かと行けばいいんじゃない、と、乃慧美に2枚渡したら、そのまま1枚帰ってきたというわけである。

 タダで観れるとはいえ、外野席に座っているだけというのももったいない。現地観戦は応援してこそとも思う。ただ、やっぱり後悔のほうが先に立って頭をチラつかせる。


 ――来るんじゃなかった……。家でゴロゴロしながら、理央ちゃんの帰りをおとなしく待っとけばよかった……。


 周りの人間の距離感が近いからか物理的にも熱く、主砲のチャンスでボルテージが内から漏れてマックスに達しそうだ。クオーターとはいえ、ロシアの血が入っている紗綾子は暑さに非常に弱いのだ。


 ――暑さを払うには……ビール!


 メガホンを叩きながら覚えたての応援歌を歌いつつ、今日はホーム外野席を練り歩いている理央を探す。


 ――えーっと、ギャラクシーズ――エール――ビールの担当だから、臙脂(えんじ)色のユニフォーム担当のはずよね。あと、赤紫色のアジサイの髪飾りをつけてるって言ってたわ。


 目に力を込めてカメラのパノラマ機能のように探す。少し離れた通路に理央はいた。ちょうどお客さんにビールを渡し終え、お金を受け取っている。


 ――応援歌の最中だから、下手したらノエちゃんに怒られる。お願いっ。視線の圧だけで気づいてっ……。私に潤いをください……!


 紗綾子は打席の砲流よりも理央の一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)に精一杯の視線を浴びせ続ける。

 それが通じたのか、理央がまっすぐ見返してきた。顔に笑みを浮かべながら、コンクリの急角度の階段を上がってくる。紗綾子の表情も自然と緩んだ。


「お姉さん。熱い視線であたしを見てましたね♪」


 理央が紗綾子に声をかけた瞬間、砲流が白球をファンの待つライトへかっ飛ばした。打球は中弾道の弾丸ライナーで伸びていき、そのままスタンドに飛び込むと思われた。

 が、惜しくもフェンスにぶち当たり、大阪のライトはクッション処理に追われた。結果は走者一掃のタイムリーツーベースとなり、0-3と横浜が先制点を挙げたのだ。


「どうしても喉が渇いてたの。3杯ください」

「はーい。ありがとうございます♪」

 ――理央ちゃん、すごい汗……。首のタオルで拭いても全然噴き出てくるわ。こんな大変な思いをして働いてるのね。


 拭いてあげたい気持ちを全力で抑え込む。こちらから触れるのはご法度といってもいい。


「オネーさん、ノエミにもひとつくーださいな♪」

「はーい。少々お待ちくださいね」


 乃慧美には目の前にいる理央と同居しているとはひと言も言っていない。なぜならこのギャルの口はおそろしいほど軽いからだ。何を口走るかわからない小娘に、いらない所でハラハラもドキドキもしたくはなかった。


「この娘(こ)の分も払うわ。はい、3000円。おつりはいらないから」

「あれ、いいんですかー? 嬉しいです!」

「シャコさん、チョー太っ腹ッスねー!」

「後輩を連れてきて1杯ぐらいは奢らないとね」

「ガチのマジでリスペクトッス! あざまし!!」

「いい先輩さんでよかったですね。それじゃ、あたしはこれで」


 理央は軽快な足取りで階段を下りていく。その間にも何人かの客に呼び止められ、テキパキとビールを売る様子を、紗綾子は感心しながら観察していた。


 ――初めて生で働いてるところを見たけど、すごいわね。精神的にも肉体的にもだいぶハードな仕事ってよくわかった。家に帰って来てしばらくノビてるのも仕方ないわね。今日ももてなしてあげなくちゃ♡


 紗綾子が頭の中でもてなしの算段をし始めた途端、


「コラ――ッ、砲流!!」


 後方にあるスポンサーの看板がひとつ分離れた所から誰かが叫ぶ声がした。

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