第19話 「外敵《バフィゴイター》」

井出はコーヒーをき出した姿勢のまま固まっていた。先に立ち直った真由美がハンカチで彼の口の周りをぬぐってくれる。その横で七海は目を見開いてラヴィニアと井出を交互に見ていた。


井出は硬直した思考を再起動リ・ブートしようと必死だった。何故だろう。目の前に居る女性ラヴィニアの言うことは時々何を言っているのか判らない時がある。今も凄く衝撃的ショッキングなことを言ったような気がするのだが・・・。かく、一度確認してみよう。


「は、ははは。今、何か冗談みたいなものが聞えたような気がするのですが・・・?」


「ヒドイ! 冗談なんかじゃないわよ! 私は絶対に浩一クンの赤ちゃんを産みたいの!」


もう一回言った! これは夢だ。多分、悪い夢なんだ。やっと再起動リ・ブートしかけた井出の思考が再び硬直を始める。いけない、このままでは行動不能になってしまう。彼は本能的に駐在所に帰ろうとした。そうだ、もう暗くなる。そろそろ帰ろう。暗くなる前に早く・・・。


「そ、それでは今日のところは一旦、駐在所に戻ろうと・・・。」


井出と真由美、七海が席を立つ。挨拶あいさつをしようと顔を上げた瞬間。ラヴィニアが井出のすぐ目の前まで駆け寄って彼を見上げた。


「ねえ、浩一クンはどう思ってるの? お返事して頂戴ちょうだい!」


彼女が井出を見上げながら問いかけて来る。近い、近~い! 決して大きくはないが綺麗な形の胸が彼のお腹に当たりそうだ。大きく開いたドレスの胸元から透き通るような白い胸の谷間がすぐそこに見える。なんだか凄く良い匂いもして来た。


「あ、あの、ボ、ボクたち、もっとお互いを良く知り合うべきだと・・・。」


「ちょっと井出さん? しっかりして! 何かわけわかんないこと言ってますよ?」


ガクガクと硬直して譫言うわごとにうなされる井出に七海が突っ込みを入れる。真由美も真っ赤な顔をして両手で彼の左腕をグイグイ引っ張っていた。その時だった。応接室のドアが勢いよく開かれて少年が入って来たのは。


「母さん、いい加減にしなよ! その人、困ってるじゃないか!」


短めに切り揃えられた銀髪プラチナブロンド、目にかかる程度の前髪、その下に利発りはつそうな琥珀色アンバーの瞳。引き締まったキリリとした表情。耳はラビィニアの半分くらいの長さだ。細身で背が高い。少年だが井出と身長はそう変わらない。


良く見ると銀髪の少年の後ろからラビィニアにそっくりの少女が頬を少し赤くしてこっちを見ている。好奇心の強そうな瞳、耳の長さもそっくりだ。


「あら! 二人とも、丁度良いわ。こちら、井出 浩一巡査長じゅんさちょうと三宅 真由美さん、若林 七海さんよ。ご挨拶しなさい。」


ラヴィニアが何事も無かったように二人に挨拶をうながす。


よろしく、井出 巡査長。マーク・アンダーソンです。母の相手は疲れるでしょう? お疲れ様です。嫌なことはハッキリ嫌と言って良いんですよ? ですから。」


少年はそう言って片目をつむりながら握手を求めて来た。そのまま真由美と七海とも握手する。ラビィニアが心外だと言わんばかりに口を開く。


「なあに? マー君たら引っ掛かる言い方して。もう! 反抗期なの~?」


「それとも『言っても判らない人』の方が良かったですか? それと僕はもう42歳と1季節地球年齢80歳です。反抗期の心配はないですよ、お母さん。」


80年も一緒に居れば、この女性ラヴィニアをこんなにも軽くあしらえるようになるのか! 環境ってスゴイ! 井出は素直にそう思った。しかし、マークの見た目は中学生くらい、地球人でいうと14歳くらいの見た目だ。


「リーニァ・アンダーソンです。34歳と1季節地球年齢65歳です。 これからよろしくね! 井出様、真由美さん、七海さん。」


銀髪プラチナブロンドの少女はそう言って三人に挨拶した。少し恥ずかしそうにうやうやしくスカートをまんで頭を下げる。リーニァが申告した年齢に軽い眩暈めまいを覚えながら井出は彼女に敬礼を返した。こちらは小学校の高学年くらいの少女に見える。


しかし本当にそろそろ駐在所に向かわないと日が暮れる前に帰れない。そう思って井出が切り出そうとした時だった。保安官補アシスタントジェフが血相を変えて応接室に飛び込んで来た。同時に七海のスマホの呼び出し音が鳴り響く。


「ラビィー・マム、『外敵バフィゴイター』です! 駐在所に向かっているそうです。」


ラヴィニアと保安官テッドが緊張した面持ちで目を見合わす。銀髪の少女が身を竦める。マークだけはニヤリと不敵に笑うのに井出は気付いた。


「そんな! 予想だと、あと二週間は掛かると思ったのに!」


ラヴィニアがつぶやく。彼女に七海がスマホを渡す。電話の相手はエマのようだ。


「エマ? 状況を知らせて?」


「ラビィー・マム、規模は『はぐれ者セポー』程度です。しかし1体だけ毛色が違うのが居ます。二足歩行で細長い腕と太くてゴツい腕が二本ずつ計四本、あの細長い腕が無ければ例のヤツに似てます。」


「アレに似ている? まさか・・・。」


ラヴィニアの表情が強張こわばる。ここまで聞いてマークは保安官テッドに何か言ってから何処どこかへ走って行ってしまった。ラビィニアがリーニァに部屋に戻るようにうながしながら指示を出し始めた。周囲の人間があわただしく動き出す。


「駐在所に行くわよ! テッド君、人を集めて頂戴ちょうだい! 浩一クン、パトカーに乗せて!」



井出たちがパトカースターレットめてある場所にやって来ると車体のそば褐色かっしょくの肌をした女性が立っていた。


「リンネ中尉、あなたが護衛に就いてくれるのね? 心強いわ。」


ラビィニアが彼女に声を掛けるとリンネ中尉が敬礼をしながら三人に挨拶する。


平原サーナ派軍 駐在連絡員のリンネ・トゥーリ中尉であります。本日は皆さんの護衛の任にきます。よろしく!」


ほっそりとした体形だが胸と腰にボリュームがあり全体に丸みが有る。山葵わさび色の軍服は詰襟だが、ノースリーブのワンピース型だ。赤銅色の髪を頭の上でお団子にして纏めている。制服より少し濃い同系色のベレー帽、皮手袋、皮ブーツ。厚いニットの膝丈ソックスは芥子からし色だ。


「リンネ中尉、宜しくお願いします。井出 浩一巡査長です。」


彼は中尉の藍色コバルトブルーの眼だけを見て敬礼を返した。他に目のやり場が無かったからだ。井出がパトカーに乗り込もうとすると何時いつの間にか助手席には真由美が座っていた。顔を真っ赤にしてうつむいて黙っている。梃子てこでもここを動かないという強い意思オーラが周囲にただよう。


仕方なく残りの三人には後部座席に乗って貰った。ラヴィニアは七海のスマホで駐在所のエマと連絡を取り続けている。全員が乗り込んだのを確認した井出はパトカーを発進させた。徐行で西門の前まで進む。すぐ側を「馬」に乗ったジェフが西門に先行するために駆けてゆく。



「マークは出られそう? 場合によっては、あの子の力が必要だわ。」


「出来るだけ急がせます。この白い車の方が速い。先行して下さい。私とジェフは後からライフル隊を連れて合流します。」


西門が開くのを待つ間も保安官テッドとラヴィニアはあわただしく打合せをしていた。


「急いで、浩一クン。『外敵バフィゴイター』の先頭が駐在所の『防御結界』に取り付き始めたらしいわ。」


「了解しました。皆さん、飛ばしますので舌をまない様に注意して下さい。」


ラヴィニアの要請オーダーに井出が答える。目の前でゆっくりと門のとびらが開いて行く。扉が完全に開くと物見櫓ものみやぐらの上の見張りが丘の頂上を指差した。「行け」と言う合図らしい。彼はクラッチを当てるとアクセルを踏み込む。後輪リヤタイアを少し滑らせてパトカースターレットが発進する。


1速、2速、3速と全開まで引っ張る。丘の頂上に差し掛かる頃には速度計の針が時速80Kmに達した。軽くジャンプしながら丘の頂上の台地に着地する。ギヤを4速に入れアクセルをしぼる。下りに移る直前に井出は叫ぶ。


「ラヴィニアさんとリンネ中尉の入場を許可します!」


丘の西側、ふもと付近に直径200mの淡い緑色の光のが浮かび上がる。あとは下りのみだ。速度計の針は時速90Kmを超えようとしていた。振動がひどいので体感的には時速120kmくらいにも感じる。井出は起伏きふくにハンドルを取られて横転しないよう、慎重に運転した。



「さあ、やるわよ。リンネ中尉!」「了解ラジャー! ラヴィー・マム。」


丘を駆け下りたパトカースターレットは駐在所の前に停車した。「保安官の町」から掛かった時間は3分足らずだった。停車すると即座にラヴィニアとリンネ中尉が車外に飛び出していく。


「うへぇっ、何だこりゃ! 気色悪いな。」


パトカーから降りた井出は眼前の光景に思わず叫ぶ。駐在所の南、100m以上先に赤黒い体長1.5mくらいのムカデのような生物の群れが居た。「防御結界」にはばまれたソイツ等は後ろから押されて上にい上がろうとしてウネウネとのたうつ。まるで大きなガラス瓶に赤いムカデを大量に放り込んだところを見物しているようだ。


良く見るとその後ろ50mくらいのところに直径10mくらいの巨大な生物がいる。粘着質に光る紫色のイソギンチャクのような体、その上には丸く大きな口腔がありその縁にそって黄土色の触手が上に向いて一杯うごめいている。タコに似た六本の脚が胴体から放射状に生えている。あれで移動するらしい。


その紫色のタコギンチャクの周りに5~6体のウミウシみたいな生物が取り囲んでいる。体長は4mくらいか? 頭に2本の長い触手状のものが生えている。こいつらは1体ずつ違う体色をしていた。テカテカと光る体表は、青地に黄色い斑点とか、ピンクと緑のストライプ柄とか黄土色とクリーム色のまだら模様とか、やたら生理的な嫌悪感をもよおす色使いだ。


井出が隣を見ると真由美が死んだ魚のような目をしてたたずんでいた。その横では七海が「ぱねー、ぱねー」とつぶやきながらひざをガクガクさせて立っている。確かにこれは年端としはも行かない女子高生に見せて良い光景ではない。


「浩一クン、駐在所にはよろいとかたてはないの?」


「あ、盾はありますね。あと鎧は無いですが似たような装備はあります。」


ラヴィニアの問いに井出が答える。彼が言っているのは機動隊の防護装備のことだ。


「じゃあ、一応着て置いて。何が起こるか判らないから!」


「了解です。じゃあ二人とも事務所に行こう。」


彼女の指示に井出は素直に従った。あんな得体の知れない生物の相手をするのだ。経験者ベテランの指示に従っておくに限る。彼は真由美と七海の肩をくと駐在所の事務所に連れて行った。


事務所の中では床にぺたりと座り込んだアヤがピートを抱きしめて震えていた。ピートもアヤにしがみ付いて震えている。それを見た真由美と七海も近付いていくとぺたりと床に座り込む。そのまま四人はお互いに抱きつきながら丸くなった。


井出はその光景を見守りながら、そっとロッカーを開けて防護装備を着込んで行った。


精霊よ!ピフラ! 我が火の領域を顕現せよ!リトヴァ マルヒャヘル サラステ! 火炎弾!アルタポックルアット!


ラビィニアとリンネ中尉が右腕を前に突き出し魔法攻撃イルヴァルマキを詠唱する。右のてのひらから赤い火球が飛び出し、ムカデもどき共の群れに飛び込むと特撮の爆発エフェクト並みの火柱が上がった。忽ち4~5体の雑魚が吹き飛ぶ。


なるほど、ちょっとつぶやくだけでこれだけの火力だ。エルフ族が偉そうにしたがるのも無理もない。そんなことを考えながら井出が横を見るとレバーアクションライフルをかかえたエマが事の成り行きをじっと見つめている。心なしか浮かない顔をしているように見える。


「エマ、この調子じゃあ俺たちの出番は無さそうだね?」


「それはどうかしら? 油断は禁物よ。集中して。」


彼女は井出の問いかけに緊張した面持ちで答えた。彼は戦況を確認しようと前を見る。どうやらラヴィニアとリンネ中尉は仕上げに入るところのようだ。二人は手をつなぎ、それぞれ開いた手の指先で天を指した。


精霊よ!ピフラ! 我らの雷の領域を顕現せよ!リトヴァ・メル サラボイーマ サラステ! 大雷撃!スーリオコーネサラマー!


詠唱が終わると同時に二人は「外敵バフィゴイター」の群れの中心に居るタコギンチャクを指差す。すると空から幾筋もの雷光が降り注ぎ辺りを地獄に変えてしまった。激しい水蒸気爆発を起こしてタコギンチャクが吹っ飛ぶ。群れの中核を失い、生き残った数体の雑魚ざこも撤退を始める。


「案の定ね、アイツだけには魔法攻撃イルヴァルマキが通ってないわ!」


ラビィニアがうなった。その横顔はすっかり「戦う女」の顔だ。元々が整った顔立ちの美人なだけにすご恰好良かっこういい。普段のふわふわした表情が想像出来ない。この女性ひとでもこんな顔するんだなと井出は失礼なことを考えていた。


彼女の見る方向には黒い巨人が居た。体高は5m近い。全体的にカクカクした印象を受ける。角ばった胴体の上に頭のような四角い物体が固定されていて目に当たる部分だけが微かに光っていた。脚はあまり長くない。腕は太く長くて重機のような印象だ。肩に当たる部分から生えてる細長い腕だけが違和感を放っている。


ソイツは駐在所を目指して真っ直ぐ歩き出した。ゆっくりだが確実に「防御結界」に近付いてくる。ラビィニアとリンネ中尉が再度、集団魔法攻撃リィスマイルヴァルマキを詠唱するが黒い巨人には発動すらしない。


「やっぱりか・・・。こうなったら仕方が無いわ。浩一クン、貴方に戦ってもらうわよ!」


「え、俺がですか? 一人で?」


驚いて自分を指差す井出をラヴィニア、リンネ中尉、エマの三人が見つめて同時にゆっくりうなずいた。

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