第17話 保安官の町、再び

井出は「保安官の町」に向かうため駐在所の前にめてあるパトカーのそばに居た。


昨夜、あんなにボロボロになって帰還したパトカースターレットは完全に修復されていた。れていた灯火ライト類は元通り、無くなっていた右のフェンダーミラーもちゃんと着いている。ボコボコだったボンネットも新車のように綺麗だ。あちこちにベタベタ付いてた血糊ちのりも消えていて車体全体がワックスがけした直後の様にピカピカだった。


「井出さん、積み込む荷物って、これで最後だよね?」


七海が紙袋を手に聞いて来た。彼は頷いてHBハッチバックドアを開く。リアの荷室にそれを受け取って積み込んだ。真由美は資料の用意に少々手間取っているようだ。それを待っている間にエマが近付いてきた。井出は改めて留守番を頼むため、彼女に声を掛けた。


「それでは留守をよろしく頼みます。エマさん。あ、それと昨日の夕方はすいませんでした。」


「え? 何が? 昨日の夕方って何かあったかしら?」


エマは彼が何を謝っているのか判らなかった。


「いや、いきなり『呼び捨て』で呼んだりして申し訳ありませんでした。俺、ダメなんですよね。ああいう時って言葉つかいとかに気が回らなくて・・・。」


井出はホルビー族の兄妹を救出した時のことを言っているようだ。


「ああ! あの時? あんなの大丈夫よ。全然、気にしてないわ。」


もしも真由美の母の真名子まなこを呼び捨てになどしたら、旦那の三宅巡査部長に小突こづきき回されるだろう。1983年から来た彼の感覚では人様の奥さんを呼び捨てにするのはかなり罪悪感があったのだ。


「けど、何か旦那ジェフさんにも悪い気がして・・・。」


まだ、歯切れ悪く言う井出。エマが眼を真ん丸に見開いて彼を見つめる。


「ジェフが? 旦那? あはは! 違うわよ、彼は単なる従兄いとこよ。」


彼女が可笑おかしそうに笑った。


「え? それじゃあピート君は?」


「ピートは私の息子よ。血は繋がっていないけど・・・。」


エマは少し考えてから答えた。そして井出に提案する。


「それじゃあ私も貴方あなたの事、コーイチって呼ぶことにするわ。エマとコーイチなら対等でしょ? ほら、エマって呼んでみてコーイチ!」


「あ、それじゃその・・・。エ、エマ、留守をよろしく頼みます。」


「そこは『頼みます』じゃなくて『頼む』で良いのよ。かしこまらないで。これからは命を預け合う『相棒バディ』なんだから。ね、コーイチ?」


気が付くと二人のすぐ横に真由美が立っていた。両腕で資料の入った茶封筒を抱えて井出とエマを交互に見つめている。顔を少し赤くして何か不安気ふあんげだ。


「あ、真由美ちゃん。用意出来たかな? それじゃあ出発しようか。ちょっと顔が赤いけど熱あるのかな?」


「いえ、大丈夫です・・・。」


真由美は首をフルフルと振って熱があることを否定した。



駐在所をパトカースターレットが出発する。何時いつにか助手席はホルビー族の兄、オッツオに占拠されていた。仕方なく後部座席に七海、ホルビー族の妹ミィドリ、真由美が乗り込んでいる。井出は車体をゆっくりと加速させ時速40Kmで巡航クルーズに入った。


「やっぱり、生野菜と魚、鶏卵たまごの供給が一番の優先事項で良いかな? 肉は最悪、自分たちで狩りをすれば何とかなりそうだしね。」


「お魚はこの辺りではれそうにないですから。」と真由美。ミィドリと綾取あやとりをしている。


「やっぱり卵焼き、食べられないのは辛いよね。」と七海もうなずく。


井出は「真の神殿トル・マルヤクータ」と名付けた「黒い建造物」のことを思い浮かべていた。草原にはチラホラと大型の草食獣も居るのを確認している。あれだけの体格ならば1頭れば相当な食肉が手に入る筈だ。処理はあの建造物が全部やってくれる。


ライフルが欲しいなと彼は思った。大型の獣を狩るには腰の拳銃M1917では威力いりょく不足だ。弾を無駄にするだけでなく獲物にも不要な苦痛を与える。手負ておいで逃がしてしまう確率も高い。そんな下手へたばかり打っていたらこの世界アルヴァノールの「神」に「火薬を使える資格」を取り上げられる可能性もある。


井出たちが食料の備蓄に関する会話をしているうちにパトカースターレットは丘の頂上の台地に差し掛かった。「保安官の町」が丘の東のふもとに見えて来る。草原には少し冷たいが心地よい風が吹いていた。


ふと助手席に目をやるとオッツオが何かソワソワしている。ほお上気じょうきさせて、やたらとキョロキョロし出した。井出は嫌な予感がした。まさかトイレか? 冗談じゃない。こんなところで立ち小便でもしたら、たちまハイコヨーテハイエナもどき共が寄って来てしまう。


「なあ、井出巡査長じゅんさちょう。今日はアレはやらないのか?」


口調は大人だが、声は子供のように可愛らしい。井出はオッツオの言葉の意味をはかりかねた。「アレ」ってなんだ?


「ほら、あの赤い光をピカピカさせて『ウー!ウー!』と音を出すアレだよ。是非ぜひやってくれたまえ!」


「ああ、アレですか。本日は緊急時ではありませんからやりません。」


なんだ、赤灯パトランプとサイレンの事かと井出は胸をで下ろした。やんわりと断ったつもりだったが、オッツオは食い下がって来る。


「なあ、良いじゃないか。私はアレをあの町に居る同僚たちにも見せてやりたいんだ。」


「なおさらダメです。『保安官の町』の皆さんが緊急時だと勘違いしてしまいます。」


キッパリと断る井出。オッツオは下を向いて黙り込んでしまった。ヤバイ泣くか?


井出は元居た世界で保護した迷子のことを思い出していた。彼はその子をパトカーで家まで送ることになった。その子供は家族に自慢したいからと赤灯パトランプを点け、サイレンを鳴らすことを要求して来た。井出がやんわり断ると迷子は号泣ごうきゅうするという強硬きょうこう手段に出たのだ。


結局、その子供をなだめるためにコンビニに寄って駄菓子とアイスを買い与える羽目ハメになってしまった。まだあれから数日しか経っていないはずだが、とても昔のような気がする。次の瞬間だった。


「む! コレか? いや違う。コレだ! やったぞ、『ウー!ウー!』言い出したぞ! コレは何だ?」


オッツオが手当たり次第にスイッチを入れ始めた。警察無線や警告灯ハザードランプ、手の届く範囲のものを次々パチパチとONにしてゆく。井出は必死にスイッチをOFFにするが運転しながらなので追いつかない。


「わ~、アンタ一体何やってんだ! 止めて下さい、オッツオさんって大人なんですよね?」


「まあ、お兄様! ご駐在様ちゅうざいさまが困って居られますの! おイタしちゃメッ!ですの。」


後部座席からミィドリが兄のオッツオをたしなめるが、綾取あやとりをしながらなので全然威厳いげんが無い。彼が妹に反論する。


「うるさい! 妹が兄のすることに口を出すものではない! 私は今『呼ばれた人ヒウム』の科学技術の調査をしているのだ!」


絶対にウソだ! 井出は左手でスイッチを切りながら思った。くしてパトカースターレットは「保安官の町」へ向けて進む。赤灯パトランプやサイレン、警告灯ハザードランプけては消しながら・・・。



巡査長じゅんさちょう、世話になった。また乗せてくれたまえ!」


「保安官の町」に着き、パトカーを降りたオッツオが嬉々とした表情でこちらに手を振る。声が小学校低学年の男の子だから口調と全く合っていない。ミィドリが恭しく挨拶をしてから彼に続いて歩いてゆく。


その後姿うしろすがたを見ながら「妹さんはかく、アンタはもう絶対に乗せないから!」と心に誓う井出であった。後部座席を見ると真由美と七海がまだおなかかかえて笑っている。彼は車をラヴィニアの屋敷へと進めた。


「あら、いらっしゃい、駐在さん♪ 昨日は良く眠れたかしら?」


ラヴィニアがにこやかに出迎える。奥の部屋に通される途中、彼女と一緒に出迎えていた保安官テッドが井出に近付いて来た。彼の肩に手を置いて声を掛ける。


「井出君、見張りから聞いたぞ。オッツオアイツの相手は大変だったろ? お疲れさん。」


あれだけ大騒ぎしながら近づいたのだ、この町の物見櫓ものみやぐらからもさぞ良く見えたことだろう。彼は心から同情したような表情をしていた。井出は「このオッサンも随分ずいぶんと気苦労が多いんだろうな。最初はクドイと思ってスイマセンでした。」と密かに思っていた。


井出と真由美、七海は食堂に通された。時刻も正午しょうご近くだったので簡単に昼食をりながら話をしようと言うことだった。メニューは野菜とベーコンのような物が入ったスープ、ミートローフ、例のかたくて丸いパンだ。七海が給仕きゅうじにお土産の品を渡していた。


「これが鶏卵たまご? 見たことあるわよ。いつも朝ご飯で出てくるスクランブルエッグとかに使うやつでしょ?」


「そうですな。形はもっと真ん丸な感じですが『リトルホース』が産むヤツと近いでしょうな。」


ボールに割って落とした鶏卵の黄身を見たラヴィニアの返答を保安官テッドが補足した。どうやら卵焼きや卵かけご飯は安定して食べられそうだ。西部の人間たちも鶏卵に代わる物は欲しかったのだろう。「ヒウム」の先輩たちに感謝だ。野菜もスープに入った物を確認した。あとは魚だ。


「これが魚です。海や川に棲んでいて体に鱗があります。エラで呼吸し尾びれや背びれが着いています。」


井出がツナ缶の側面に描かれているまぐろのイラストを指差しながら説明する。


「海には大型の海棲肉食獣や海竜が居るし、南の海からは『外敵バフィゴイター』も来るから、皆あまり近付かないよのね。」


また「外敵バフィゴイター」の名が出てきたが彼は後で聞くことにした。ラヴィニアと保安官テッドが腕組みしながら考える。


「でも東の海岸に住んでいる『人魚マーメイド族』の男性の上半身と女性の下半身を組み合わせるとコレに似てるわねえ。」


幾ら何でも同じ知的生命体である亜人類デミヒューマンを食べる訳にはいかない。井出が蒼くなっていると保安官テッドがポンと手を打った。


「ラビィー・マム、これはもしかして『鳥』に似ていませんか?」


「あ、言われて見れば・・・。そうね口をもう少し細長くとがらせて前のヒレを翼に、後ろのヒレを二本のあしに変えて見れば似てるかもね。あ~ん、エマが居てくれたら話が早いのに!」


彼女の答えに井出、真由美、七海は唖然あぜんとした。何でも『鳥』は北にある森に沢山んでいるそうだ。うろこは無く全身に羽毛が生えていて肺呼吸だそうだ。朝、群れをなして空を飛んでるアレがそうらしい。


「そうそう。オッツオに聞いた話ですが、『鳥』の仲間が海にんでいるそうですよ。なんでも南からの風に乗って『ホルビーの里山さとやま』まで飛んできて『小鳥』を食べてから東の海に帰って行くんだとか? そいつらは後脚うしろあしが退化して小さな翼みたいになってるそうです。」


「あら、その話なら私も聞いたことがあるわ。ホルビーたちはたまつかまえて食べるそうよ? 羽毛じゃなくて細かい毛が体中に密生してるんですってね。大きくて食べるところも沢山あって結構美味おいしいらしいわ。」


井出と二人の女子高生には最早もはやペンギンが空を飛んで来る光景しか思い浮かばなかった。七海などは「この世界アルヴァノール、ぱねー」とかつぶいている。次に川にむ生物の話になりかけたが、そこで止めて貰った。もう理解が追い付かない。昼食後にする「実験」にも差し支えるからだ。


昼食が終わる直前に、井出はラヴィニアに「外敵バフィゴイター」の事を尋ねた。彼女の表情がくもる。そして真由美と七海を交互に見つめる。明らかに彼女たちに配慮した視線だ。彼は迂闊うかつなことを聞いて気を悪くさせてしまったかな?と思った。


「恐らく『外敵バフィゴイター」が来るとしても大分だいぶと先の事だと思うわ。おいおいゆっくりとお話しましょう。」


ラヴィニアが井出の眼を見つめて、ゆっくり言った。やはり女子高生たちには聞かせたくない内容らしい。彼は小さくうなずくと次の話題に入った。


「それでは昼食も終わりましたし『実験』に入りましょうか? 何、小一時間こいちじかんで終わります。」


そう言って井出は紙袋の中から黒い物体を取り出した。それは駐在所の居間にあった「黒電話」だった。

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