第13話 丘の上の「主」

その黒いけものは巨大だった。


丘をけ上がって来たかと思うと、左の前脚まえあしで1頭のハイコヨーテハイエナもどきの胴体を軽くぎ払った。子猫がじゃれるような所作しょさのその一撃で胴体の後ろ半分が消し飛んだ。ピンク色の内臓がパーティーで使うクラッカーの様に尾を引いて草原にらされる。


もう1頭は巨獣の右の前脚まえあしで胸部を軽く押さえ付けられていた。それだけで口からゴボゴボと泡の混じった血塊けっかいき出している。最早もはや、叫び声を上げるどころか呼吸も難しい状態だ。一瞬で圧死あっしさせられていた。


遠巻とおまきに見ていたハイコヨーテハイエナもどきの残党は尻尾を巻いて、蜘蛛くもの子をらすようにバラバラの方向に逃げ出している。恐らく誰か1頭が追いかけられても、そいつが仕留しとめられているうちに他の個体は逃げられるという寸法だろう。中には小便をらしながら逃げてるのも居た。


「クッチャ! クッチャ!」


生肉をむさぼる粘着質な音が草原に響いた。井出がパトカースターレットを降りてゆっくり巨獣に近付く。二歩、三歩と歩み寄ると不意に奴が立ち上がった。建物の二階以上はあろうかという高さから巨体に似つかわしくない小さな丸い目で彼をめつける。


まるで小者こものさげすむかのような冷たく観察するような視線。井出はこの巨大な獣の眼を見てある動物を思い出した。それはセイウチだ。井出はこの世界アルヴァノールに来る少し前にある水族館で出会った、その動物のことを回想していた。


その大きな水槽すいそうには何も居なかった。井出が何の水槽かと思ってのぞき込んだとき、巨大な影が下から立ち上がった。水槽の案内板ディスプレイを見るとソイツの情報が表示されていた。それには体長3.5m以上、体重1.5t以上と書かれていた。今、黒い巨獣はその動物と全く同じ視線を井出に向けている。


目の前に居る黒い巨獣は体高4m以上はありそうだった。体重も2tに届くかも知れない。全身は黒光りする体毛におおわれている。熊のような頭、上顎うわあごには長さ1mはありそうな大きな牙が生えている。ライオンのような大型の猫型肉食獣を思わせる胴体、カンガルーのような太くて長い尻尾が生えている。


前脚の付け根、人間で言うところの肩に当たる部分の筋肉の隆起が半端では無い。黒い巨獣の強大な膂力りょりょくを無言で物語っていた。頭には一本の角が生えている。その根元から首にかけて茶色いたてがみが生えていた。


(デカイな・・・。コイツ、M2944マグナムで心臓に6発全弾ぜんだんぶち込んでも仕留しとめられそうにないな。ATアーマードトルーパーでも欲しいところだ。)


ATアーマードトルーパーとは井出が好きで良く見ているアニメに登場する人型の一人乗り戦車のことだ。


「あの大きさの『大剣牙灰熊サーバルグリズリー』、間違いない。彼はこの丘の『ぬし』よ!」


エマが助手席からそっとささやく。彼女は「ぬし」をにらみつけながらライフルに弾丸たまを込め始めた。カチャリ、カチャリと金属音が響く。三人の女子高生はパトカーの後部座席で小動物ハムスターのように丸くなっている。ピートだけはアヤにきつきながらも「ぬし」をじっと見ていた。


「ガシャッアァ!」


突然、パトカーの助手席がくだけ散った。「ぬし」の左の前脚の一撃がエマの上半身を吹き飛ばしたのだ。くの字に曲がったライフルや手首、肉片と赤い髪が草原にボトボトと降り注ぐ。


(な、バカな! 防御結界があるはずだ・・・。)


井出が愕然がくぜんとした。だが、次の瞬間。またカチャリ、カチャリと音が草原に響く。彼が音の方向を見やるとエマは何事も無かったようにライフルに弾丸を込めていた。不可解に思いながらも彼は再び「ぬし」の眼をにらむ。


「きゃああ! いやあぁぁ! あふぅっ!」


今度は七海が眼前で主に襲われている。制服のあちこちが破けて血がにじんだ白い肌がのぞく。「ぬし」は無情にも七海の腹に長い牙を突き立てる。スカートがめくれて、彼女の白くて長いあしが付け根まで見えた。ビクビクと死の間際の痙攣けいれんを始める・・・。


(な、何で七海君が防御結界の外に! いつの間に!)


「ねえ、井出さん! そんな奴、放っとこうよ。どうせ入って来れないんだし。もう駐在所あっちに行こうよ!」


パトカーの後部座席から七海が声を掛けて来る。井出がまた「ぬし」の眼を見ると、その視線には変化があった。明らかに感情の色が浮かんでいる。あざけりの色だ。井出を小者と視て小馬鹿にしているのが伝わって来る。眼球がわらっているように細かく震えていた。


「ひっ! やあぁー! 井出さん、助けてぇっ!」


今度は真由美だ。草原に投げ出された彼女は「ぬし」から出来るだけ距離を取ろうと後退あとずさりしている。泳ぐ瞳に一杯に涙をめ、全身が恐怖で震えていた。巨大な大剣牙灰熊サーバルグリズリーねずみを追いつめるようにジリジリと真由美に迫る。まるで猫が玩具おもちゃで遊ぶ時のような足取りだ。


「コッホ、コッホホゥ! コホホオォ!」


歓喜の雄叫おたけびを上げながら「主」が右の前脚を真由美に振り降ろす。巨大な爪が彼女の小さな頭を無残に砕くと思われた瞬間。


「てめえ、このド畜生ちくしょう! ふざけた小細工こざいくめやがれぇ!」


井出は叫ぶと怒りのイメージを「ぬし」に向かって叩きつけていた。眉間みけんけわしいしわを寄せ黒い巨獣の眼をにらみつけながら、激しくまばゆい光や辛味からみ苦味にがみ、大音響の爆音、拳骨げんこつ平手打ひらてうちをらわせたような様々な感覚の幻影イメージを猛烈に送り込む。


途端に目の前から真由美の姿がき消える。そこには井出を見下ろす巨大な大剣牙灰熊サーバルグリズリー仁王立におうだちして居た。「お楽しみ」を邪魔されたのが相当頭に来たようだ。鼻息がフー、フゥーと荒い。井出をにらみつける視線にも激しい怒りがこもっていた。


取るに足らないとていた小者こものが不意打ちをらわせて来たのだ。それは「ぬし」にとっては許せないことだった。本来なら目の前のコイツもハイコヨーテハイエナもどき共のように逃げ出さなければならないはずだ。あれだけ「恐怖」を見せつけたのに何故逃げ出さないのか。巨大な肉食獣の苛付いらつきは最高潮ピークだった。


(ふうん、「お遊び」を邪魔されて随分ずいぶんとご立腹りっぷくじゃねえか。コイツは調子に乗らせると後々良くねえな。)


井出は「ぬし」の眼をにらみつけて幻影イメージを送った。


オレンジ色の操縦服パイロットスーツに身を包んだ井出が濃緑色オリーブドラブに塗装された一人乗りの人型戦車に乗り込む。身長4mのソイツは右肩だけが血の様に赤く塗られている。ハッチを閉じると同時に彼は操縦桿スティックを操って機体を急発進ローラーダッシュさせた。


ぬし」に組み付くと左のアームパンチを下顎したあごに叩き込む。腕部の機構が作動して大きな薬莢やっきょうが排出される。そのまま胸に右のパンチを打ち込む。仰向あおむけに倒れたところに追い討ちで左右のパンチを繰り出した。心臓をつぶされたヤツは口からゴボリと血塊けっかいき出す。


止めとばかりに頭蓋ずがいをパンチの連打で砕く。デカイ薬莢やっきょうがゴンゴンと音を立てて草原に転がる。眼球が飛び出し、辺りに脳漿のうしょうき散らされた。最後には上顎と下顎をつかんで口を引き裂く。そのまま、引き裂いた下顎をベチャリと草原に叩きつけてやった。


(どうだ、思い知ったか! この野郎!)


井出が「ぬし」の眼をにらむ。しかしヤツはキョトンとしている。幻影イメージの中で無残に殺されたのは自分だとは思っていないようだ。動物は基本的に「客観視きゃっかんし」が出来ない。犬や猫に鏡を見せると、そこに写った自分の姿にえたりするのもそのためだ。


(なるほど・・・。ならコレでど~だ!)


井出は様々な幻影イメージをどんどん「ぬし」に送り付ける。


白い機動歩兵モビルスーツの頭部バルカン砲でズタズタに引き裂き、赤い機動歩兵モビルスーツ熱切断斧ヒートホークを押し当てて焼き殺す。F-14トムキャットに似た可変戦闘機の小型マイクロミサイルをサーカスの様に乱射して全身を粉々にする。


昆虫に似た騎士型ロボットの大剣で心臓を串刺しにする。赤い伝説の巨大ロボットの両手で蚊のように叩き潰す。考え付く限りの残虐な方法で10通りくらいの「ぬし」を殺す幻影イメージを送り付けてやった。もし動物愛護団体がそれを見たら、カンカンになって井出に抗議して来たことだろう。


(これだけやれば伝わっただろ? どんな気分だ?)


井出が「ぬし」の眼を見る。ヤツはまだ判って無いようだ。しかし眼には怪訝けげんな色が見える。何かがおかしい。自分たちはこの草原では最強の種族の一つのはず。それがこんなに容易たやすく次々と殺されるのはあり得ない・・・。そんな考えが伝わって来た。


図体ずうたいばっかりデカイ中々なかなかの「にぶチン」だな、てめえは! なら、こうだ!) 


井出は「ぬし」に新たな幻影イメージを送り付ける。


彼は左手を精神銃サイコガンに変化させた。それを「ぬし」に向けると乱射する。多数の精神弾サイコブレッドが様々な軌道を描いてヤツの全身をズタズタにして、その体を縫い付けられたように棒立ちにさせた。


腰のホルスターから装甲貫徹銃アーママグナムを引き抜く。続けさまに全弾3発を発射した。装甲騎兵をも撃ち抜くエネルギーを持った3発の弾丸が「ぬし」の頭部を粉々に撃ち砕く。頭部を失った巨大な体躯たいくが首から噴水ふんすいの様に血飛沫ちしぶきを上げながら全身の血液が抜けるまでのたうち回り始める。


(マグナムじゃ足りねえ? なら、これでどうだ!)


井出は腰だめに対戦車ライフルシモノフPTRS1941を構えた。何故かグレーの中折帽を被りチビた煙草シケモクくわえている。ひげが丸二日っていない無精髭ぶしょうひげなのはご愛敬あいきょうだ。頭部を失って暴れ回る「ぬし」の体に向かって5発全弾を撃ち込む。


秒速1000m以上、口径14.5mm、重量60gの弾頭が銃口から次々と飛び出す。その一発づつが44マグナム弾で15発分を超える破壊力を秘めている。5発の銃弾は「ぬし」の肉体を、まるでウサギを解体するように軽々と引き裂いてしまった。後に残ったのは重さ2tのバラバラの肉塊だけだ。


幻影イメージを送り終えた井出は「ぬし」の眼を観察した。今度は明らかにおびえている。どうやら、これまで井出が送り続けて来た幻影イメージの中で残忍に殺され続けていたのが自分なのだとようやく理解したらしい。


井出は恐怖で戦慄わななきながら、こちらを凝視する眼を見てある動物を思い出した。それは大型犬シェパードだ。動物病院で狂犬病の注射器をおびえながら見つめる眼。それと全く同じ情けない目をしていた。


(なんだ? 「お注射」が怖いのか? なら飛び切りデカイのをぶっ刺してやるよ!)


幻影イメージの中で、井出は腰に構えた対戦車ライフルシモノフPTRS1941を巨大な注射器に変換した。それを構えたまま一歩、二歩と「ぬし」ににじる。三歩目を踏み出した瞬間だった。


「ヒャン! ヒャアァン! ヒャァアアアン!」


ヤツは小型犬チワワのような甲高い悲鳴を上げて逃亡を始めた。太く長い尻尾も綺麗に丸めている。そのまま草原の暗闇の中に消え去ったが、体がデカく声量があるため鳴き声だけが何時いつまでも聞こえてくるのが余計に情けない。


(今度、出遭であったら「ライダーキック」ブチました後にデカイ「お注射」だからな。おぼえてろ!)


井出は心の中でつぶやくと振り返りパトカースターレットに乗り込むため歩き出した。


駐在所の前にパトカースターレットが停車する。降りて来た井出はその車体をながめて溜息ためいきいた。満身創痍まんしんそうい、右の前照灯フロントライトが割れてボンネットもボコボコだ。右のフェンダーミラーも吹っ飛んでいて無い。尾灯もレンズごと割れている。あちこちにハイコヨーテハイエナもどき血糊ちのりがベッタリ付いていた。


「大丈夫よ。そこにめて置けば、明日の朝にはピカピカだから。」


肩を落とし立ち尽くす井出にエマが声をかける。助けた子供たちが挨拶あいさつに来たが、それも彼女が間に入ってくれた。


「あら、貴方あなたたちだったの。駐在の井出いで巡査じゅんさはお疲れだから、ご挨拶あいさつは明日にしてね。事情は私が代わりに聴くわ。」


居間に行くと七海が興奮気味で近付いて来た。頬が紅潮している。クールな彼女にしては珍しい表情だ。まあ、まだ二日足らずの付き合いなんだけど、と井出は思った。


すごかったね! あのでっかい黒いけものにらんだだけでぱらうなんて! アイツ、最後はなさかったよねえ~♪ ざまぁみろ!」


どうやら昨夜、彼女を恐ろしい目に合わせた「ぬし」を追っ払ったのが相当嬉しかったらしい。お風呂がくまで肩をんでくれるそうだ。


「井出っち、晩御飯ばんごはんはお風呂の後の方が良いよね? ラーメン作るけど、何味なにあじが良い?」


エプロンを着けながらアヤがたずねてくる。ピートが彼女の短いスカートのはしつかんでくっついていた。井出は自分の好みを伝えると風呂に入るために二階に上がっていった。


「はーい、熱いからフーフーしようね~♪ 美味しい~?」


井出の前でアヤが「サッポロ一番」の味噌みそ味をピートに食べさせていた。蓮華れんげの上に一口分のめんとスープ、でた野菜とコーンを乗せて「ミニラーメン」にしている。ピートは両手をフリフリしてご機嫌だ。


ピートこいつもすっかりアヤ君に胃袋、つかまれちゃったな・・・。)


彼がぼんやりとそんなことを考えていると七海が食事を運んで来た。「サッポロ一番」の塩味、茹でた野菜と半熟卵はんじゅくたまご、焼き鳥の缶詰の塩味がトッピングされている。炒飯チャーハン餃子ぎょうざえてあるのも嬉しい。


「はい、井出さん。どうぞ!」


真由美がガラスコップにキリンの「ラガービール」をいでくれる。井出はそれを飲みすと塩ラーメンを一口で一気に半分ぐらい食べてしまった。何しろ昼食も眠くならないように加減かげんして余り食べていない。彼は腹ペコだった。今度は餃子ぎょうざを乗せた炒飯チャーハン頬張ほおばって天にも昇る気分だ。


「はい、井出さん。お疲れ、お疲れ。」


空になったコップに真由美がビールをなおしてくれている横で、七海がまた肩をんでくれていた。美少女三人に囲まれうまそうに食事を平らげる井出の姿を、元居た世界のネット民たちが見たら「#井出爆発しろ」とか散々つぶいたかも知れない。


食事が終わり空腹が満たされると井出は急激に眠くなった。寝室に向かうため階段を昇る彼に転ばないようにと真由美がう。普段は真由美の両親が使う和室にかれた布団に入ると彼はあっという間に眠りに落ちた。


「あー、真名子さん、俺もう食えません~。痛い、小突こづかないで下さいよ、三宅さん! えへへ、真由美ちゃんビールありがと~・・・。」


どうやら井出は三宅家で夕食を囲んでいる夢をみているようだ。その寝顔を見つめながら真由美はクスリと笑った。ひど無精髭ぶしょうひげだ。ひげることになんて気が回らなかったのだろう。彼女は思い出していた。


転移したばかりの時、井出がそばに居てくれたおかげでどんなに安心だったか。もし彼が居てくれなかったら自分は泣きじゃくるアヤと一緒になってわんわん泣いていただろう。七海が入って来て気絶した時だって、何の対応も出来なかったに違いない。


保安官たちや「馬」に乗った子供たちを迷いなく助ける判断力と行動力、初めて会う保安官たちやラヴィニアと堂々と対応出来る交渉力、そして「ぬし」と呼ばれる巨大な黒い肉食獣と遭遇そうぐうしても恐れるどころかにらんで追い払ってしまった勇気と気迫。


どれも真由美にはないものだ。多分、自分が「ぬし」といきなり出遭であってしまったら、七海の様に走って逃げることすら出来ずにその場で朝まで気絶していただろう。真由美の胸が井出に対する感謝で熱くなる。彼女の口から思わず言葉が漏れる。


何時いつも助けてくれてありがとう。井出さ・・・。お兄ちゃん、大好きだよ!」


真由美はそのまま井出のほおにそっとキスをした。無精髭ぶしょうひげが唇に当たってちょっと痛い。両手で口元をおさえて耳までになっている彼女の後ろから声がかかった。


「マミた~ん! れてたビデオ見ようよ~♪ 水曜日の夜7時半のヤツって面白いんやろ~?」


「あ、はぁ~い! すぐ行くよ~!」


階段の下からアヤが呼んでいる。真由美はすぐに立ち上がって階段を降りて行った。

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