第3話 転移 三つの異変 真由美と井出の場合

その日は朝から寒かった。最低気温が氷点下になった前日に比べれば幾分マシかと思われたが、12月の20日ともなれば当たり前である。朝刊の予報では、一日中晴れるが最高気温は9℃足らずだそうだ。


「井出さん、こんな寒い中をバイクで来るって大変だよね・・・。」


三宅みやけ真由美まゆみ、一応は東京都内に在住の18歳の高校三年生だ。


身長は151cm、と本人は言い張っているが実は148cm。スリーサイズ はBバスト80/Wウエスト56/Hヒップ84と平均的な数字だ。こんのセーラー服の上下、スカートの丈は膝下ひざした10cm、今日は寒いので白いタイツをいていた。胸のスカーフの色は、彼女の高校で三年生を意味する黄色。艶々つやつやとしたストレートの黒髪は肩より少し長いくらいだ。真面目を絵に描いたような服装である。


内気な性格のせいかうつむきがちの顔は、童顔だが色白で目鼻立ちが整っていて可愛らしい。化粧はまったくくしていないが、寒い外から帰宅したばかりなのでほおが赤くなっていた。ちょこちょことした歩き方など、全ての仕草しぐさが小動物を思わせる。


今は期末試験も終わり、受験生の真由美は午前中だけの登校で午後からは自宅で学習することが許されていた。昼食を学校で友人と食べてきたので、今の時刻は午後二時過ぎだ。学校までは電車・徒歩で約40分だが、この時間帯は電車が1時間に1本しかなく実質1時間かかる。


「もうそろそろ井出いでさんがく時間ね。着いたら、お母さん出かけるわね。」


母の真名子まなこ身支度みじたくを整えながら声をかけてくる。母はもう40歳を少し過ぎているが真由美同様に小柄で童顔のせいか、年の離れた姉に間違えられることが良くある。今日は都内の病院に入院した祖母の世話に行き、そのまま翌日まで帰って来ない。


「晩ご飯にカレーと豚汁とんじる作っておいたからあたためて食べてね。冷蔵庫にサラダもあるから。あ、そうそう。さっきお父さんから電話あって会議遅くなるから、先に夕飯食べててくれって。」


母の言葉を聞いて真由美はドキリとした。


(それじゃあ、これからお父さん帰ってくるまで井出さんと二人っきり?)


顔を赤くして下を向き、もじもじし始めた娘を見ながら、母は少し微笑ほほえんだ。


「大丈夫! お父さん、夜9時には帰ってくるから。」


「うん、分かった・・・。」


母がこう言うからには、絶対に9時には父の由雄よしおは帰ってくる。なぜなら、この母を怒らせると非常に怖いからだ。また、それを痛いほど理解している父が無暗に約束を破る理由など真由美には考え付かない。そんな会話をしていると外からエンジン音が聞こえてきた。2サイクルエンジン特有の甲高かんだか排気音はいきおんがだんだんと近づいてくる。青いバイクが建物の入り口付近で停車し、降りてきた青年がヘルメットを脱ぎながら入って来た。


「こんちはっーす! 遅くなりました。 途中でコンビニ寄ったもんで・・・。」


青年は頭をきながら、茶色い皮のハーフコートのふところから青い帽子を取り出してかぶった。そのまま、二人に敬礼する。


井出いで 浩一こういち巡査じゅんさ 只今ただいまより、交代勤務に入ります。」


井出 浩一 長野県の大学を卒業後、警察学校を経て配属されて2年目の24歳。身長は172cmで体格は中肉中背、スマートでもなければ太ってもいない体形だ。髪は短く刈り揃えて、前髪は目にかからないようにしている。太めの眉とゴールデンレトリバーを思わせる丸っこい瞳、どこか憎めない表情をした朴訥ぼくとつとした青年だ。大学では機械工学を専攻してきた「変わり種」でもある。ちなみに大学時代は山岳部所属。


真由美の母、真名子はニッコリと笑いながら答える。


「遅いだなんてとんでもない。青梅署おうめしょから30分で来るなんて、いったい何Km/h出してきたの? 警察官がスピード違反しちゃダメよ?」


元々交通課の婦警だった真名子に指摘されて、井出はぎょっとした表情になった。


「真名子さん、ヒドイですよ。バイクは法規道理に走っても車より早いんです。」


ウソである。ここから青梅署までは約20Kmある。そこからコンビニに寄り道して30分で来るということは結構けっこう飛ばして来たに違いない。


「ま、おかげさまで出かけられます。良しとしますか。いつもお土産おみやげありがとう。」


「いえいえ、自分でも食べますんで。」


井出はここに来るときは、いつもコンビニでお菓子やジュース類、アイスクリームなどを大量に仕入れてくる。その中には真由美の好物も少なからず入っていた。


「それじゃあ、行ってきます。 井出さん、よろしくお願いしますね。」


母は二人に手を振りながら出かけて行った。ここから東京駅までは電車で2時間もかかる。祖母の入院する江戸川区の病院はまだ先なので、なかなか大変だ。真由美を振り返りながら井出が声をかけた。


「お母さん、大変だね。真由美ちゃん、元気だった?」


「はい、おかげさまで。 井出さんも寒い中、交代ご苦労様です。」


真由美は行儀ぎょうぎ良く、ペコリと頭を下げた。


「真由美ちゃん、悪いんだけどコレ冷蔵庫にしまっといて。俺、バイク片付かたづけてくるわ。」

 

「あ、はい。分かりました。」


井出はそう言ってコンビニの買い物袋を真由美に手渡す。不意に真由美の手と井出の手が触れた。途端とたんに真由美の顔が真っ赤になった。


「あれ? 真由美ちゃん、顔赤いけど風邪かぜかい? 受験生なんだから体調に気をつけなきゃダメだよ?」


井出が顔をのぞき込むが、真由美はうつむきながら無言で立ち去った。思春期の女の子は難しいなと思いつつ、バイクを片付けるために入り口に向かう。外に出て愛車TSハスラー400のハンドルに手をかけながら、入り口の上を見上げた。そこには桜をした金のエンブレムと二つの赤い非常灯、その間に「青梅おうめ警察署 はと駐在所」の文字があった。


 「駐在所ちゅうざいしょ」とは警察官が交代で勤務する「交番こうばん」と違い、警察官が家族とともに居住して勤務する施設である。そのため一般的に3DK程度の住宅設備があり3~4人の家族が暮らしてゆけるようになっている。勤務する警察官がパトロール等で出払うときは、その妻が電話番や簡単な業務のサポートをすることもある。


この駐在所でも真由美の父 由雄よしおが留守にする場合は、母の真名子まなこが留守番をしていた。元婦警の真名子は夫の業務を良く理解しており、これまで特に問題が起こることは無かった。


ところが今年の5月に真由美の祖母(由雄の母)が心臓をわずらい入院してしまったため、真名子が看病のために家を空けることが多くなってしまったのだ。そこで青梅警察署は若手の警察官を交代で、この駐在所に寄こすことにしたのだった。


最初は3~4人くらいの若手警官で順繰りに交代勤務していたのだが、往復40Kmの距離を90ccクラスのビジネスバイクで移動するのは正直億劫おっくうなため、徐々に井出に交代勤務の回数がかたよってきた。彼は長距離をバイクで移動することを苦にしないため同僚・先輩に重宝がられていたのだ。結局、夏に入る頃には、この駐在所への交代要員は井出にほとんど固定されていたのだった。その代わりに井出個人のバイクでの移動は黙認もくにんされていた。


バイクを車庫に移動させてから事務所に戻った井出は、ロッカーを開けて中をのぞき込んだ。そこには井出が持ち込んだ漫画等の雑誌が数冊積まれている。私物も幾つか置いてあった。


(漫画、大分まっちゃったな。そろそろ持って帰るか。)


そんなことを考えながら皮コートを脱ごうとしたとき、腰に下げた大きな拳銃がとても邪魔に感じられた。スミスアンドウェッソン M1917 第二次大戦後にアメリカ軍から日本の警察に貸与された拳銃だ。45口径という大口径の上、銃身長が5.5インチもあるため、常時携帯けいたいしていると非常に疲れる。なにせ重量が1Kg以上もあるのだ。


おまけに作られてから65年以上も経つためポンコツである。あちこちに細かい傷があり、各作動にもガタがある。来年度にはニューナンブに更新こうしんしてもらえるとは思うが、自称ガンマニアの井出にとってもお荷物に感じられる年代物だ。


(今の日本でこんなデカイ銃、らんよなあ・・・。早く小さいヤツに替えて欲しいもんだ。)


皮コートをハンガーに掛けてロッカーの扉を閉めた。

真名子が予め作成していた引継ひきつぎ書類に目を通していると、真由美が父親が帰ってくる時間を伝えるために近づいてきた。


「井出さん、お父さん帰って来る時間なんですけど・・・」


そこまで真由美が話したとき、異変は起こった。まず、室内が真っ暗になった。そしてエレベーターに乗ったときのような浮遊ふゆう感を一瞬感じた。すぐに重力が戻って視界も回復したが、室内はずいぶんと薄暗く感じられた。


「じ、地震ですか?」


声を震わせた真由美が井出の左腕にすがりつく。


「大丈夫、そう大きくないみたいだ。落ち着いて。」


井出は真由美を安心させようと声をかけ、右手で彼女の肩をぽんぽんとやさしくたたいた。


「それにしても急に外が暗くなったね? 雨か雪でも降るのかな。」


入り口の開き戸についた窓から外を伺うと空が夕焼けにまっていた。不審に思って時計を見てみるが時刻は2時半を少し回ったばかりだ。いくら真冬とは言え、この時間に日暮れはあり得ない。


「真由美ちゃん、電灯けてくれないか?」


井出はそう言って、入り口の外の様子をうかがうと人影が見える。どうやら若い女性らしい。真由美が電灯のスイッチを入れると、その女性も事務所が明るくなったことに気付いたらしく入り口に向かって歩いて来た。開き戸に手をかけたときに顔が良く見えた。何故か、固く目をつむっている。


(あ、この子、歌手の河合奈保子ちゃんに良く似てるな。)


不謹慎にも井出がそう思ったとき、そーっと開き戸が開けられた。事務所内をきょろきょろと伺いながら挨拶らしき言葉を発していた少女が井出と目を合わせた途端、


「良かったぁ~、ちゃんと人間のおまわりさん居たぁ~。私、ひとりぼっちじゃないよぅ~!」


そう言うなり、その場にぺたりと座り込んで号泣ごうきゅうし始めた。


「え? 人間の? 何言って? あ、わわわっ、泣かないで! 何があったの、落ち着いて!」


あわてて井出が駆け寄るが、少女はびぇーびぇー泣いていて収拾がつかない。


「大丈夫ですよ。ここに居れば絶対に大丈夫。井出さんが何とかしてくれますから。」


すかさず真由美が少女に寄り添って、優しく背中をさすりながら話しかけてくれた。おかげで少女も徐々に落ち着いてきて、井出の呼びかけに応える余裕を取り戻していった。


「おまわりさん、井出いでさんって言うん? ここ、どこなん?」


「うん、まずはそこの椅子に座って落ち着こうか?  少しお話聞かせてもらおうかな?」


井出が事務机の横にある椅子を示すと、少女はちょこんとそこに座り込む。名前や住所を聞いている間に真由美が少女に暖かいミルクココアを、井出にはコーヒーをれてくれた。少女が寒そうにしているので一緒にひざ掛けも持って来てくれる。お茶けに小さなチョコレートを数個小皿に盛って置いてくれたのを見た途端、少女が歓喜の声を上げた。


「あっ! これ、チロルチョコやん! うち、これ好きなんよ~♪ ありがと~♪」


チロルチョコは井出が菓子問屋とんやまで出向いて、常に数種類を「箱買い」して駐在所に持ち込んでいる駄菓子だがしである。暖かい飲み物と好物を前にして、ずいぶんと上機嫌になった少女をながめながら井出は真由美の気遣きづかいに感謝した。


「それで大原おおはらアヤさん、でしたね。君は東京に住んでいるお姉さんをたずねて新幹線で東京駅までやって着て、気が付いたら、この駐在所の前に居たと?」


「そうなんですぅ~。うちも何がなんやら判らんまま、気が付いたらここに居たというか・・・。」


アヤを保護した後、一度外に出てみたが周辺の景色はまるで見たことがないものだった。まずアスファルトで舗装された道路は駐在所の前の数m分しかなく、その他は一面草原が広がっていた。草原は緩やかに傾斜していて、駐在所は丘のふもとを少し上がったところにあるようだった。バイクかパトカーで周辺を探索したくなったが、もうすぐに暗くなるようだし少女を2人だけで残すことは出来なかった。井出はまず本署に連絡してみることにした。


事務所に戻り、青梅おうめ警察署の代表に電話をしてみる。プッシュホンを取り上げて「*」ボタンを押した後に本署の代表の電話番号が登録されている短縮番号「01」を押した。「ピッポッパッ」という音がして呼び出し音が数回なったが、すぐに通話中を示す「ツーツー」という音声に切り替わってしまう。


状況から考えて電話線自体が断線しているのかとも考えたが、電話局にはつながっているらしい。何故ならプッシュホンの短縮ダイヤルサービスは電話局の交換機で行っているからだ。再度、駐在所周辺を調査してみたくなったが外はもう暗くなっていたので止めておいた。外を調べるのは明るくなってからだ。この後、間をおいて2回ほど本署に電話してみたが結果は同じだった。


この頃になって、井出は何か違和感いわかんを感じ始めていた。目の前のプッシュホンをじっと見つめる。そして事務所全体を見廻す。何かが変だ、居心地が悪い。確かにそう思うが、違和感が何なのかはハッキリしなかった。


「お巡りさん、電話つながらへんの? それやったら試しにコレに掛けてみてよ~?」


井出をじっと見つめていたアヤが首からひもで下げていた小さな無線機のようなものを指さした。


「へ? 何だ、ソレ? 玩具おもちゃじゃないのか?」


「えー! お巡りさん、PHSピッチ知らんの~?」


アヤが驚きの声を上げた瞬間、その後ろで入り口の引き戸がガラリと開いた。


「助けてっ! けものがっ! ここ交番ですよね? お巡りさん、助けてぇっ!」


すらりとした容貌ようぼうの少女が血相を変えて飛び込んで来た。相当恐ろしい思いをしたのだろう、顔色は蒼白で呼吸が荒い。少女は叫んだと思った直後、床にペタリと座り込んだまま気絶してしまった。

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