第1話 転移 三つの異変 七海の場合

その日は朝から、とても暖かかった。12月の20日だというのに、春を思わせる日差しが街角のあちらこちらを明るく照らしていた。

 

「今年って本当に暖冬なんだね。今日の最高気温、16℃超えるんだ~。」

 

若林わかばやし七海ななみ、都内に住む18歳の高校三年生だ。

 

スマホで天気予報を確認して、彼女は機嫌良さそうに歩道を一人歩いている。


165cmという女子としては高めの身長とBバスト77/Wウエスト57/Hヒップ81のスレンダーな体形のおかげで私服であればモデルのように見えなくもない。もう秋前で引退したが、陸上部で走り高跳たかとびびをしていたので引きまった足がスラリと長い。

 

ベージュを基調としたチェックのミニスカートは特に手を加えて短くしたわけではないが、丈が膝上ひざうえ5cmまで届いていない。ブラウスの胸元には赤いリボン、少し丈の長いこんのブレザー、ブラウンのローファーに黒のハイソックスといういで立ちだ。今日は暖かいのでストッキングはいていない。最近は短いソックスをわざと、くしゃっとさせて履く子が多いが七海はあまり好きではない。


髪は耳にかかる程度の長さで亜麻色あまいろだ。女子としてはかなり短い。少し気の強そうな切れ長な瞳と意志の強そうな中太の眉、動作がキビキビしているのでとても活発な印象を受ける。男子の制服を着れば、周囲には小柄な美少年のように見えるだろう。

 

年が明けて春が来れば高校卒業だが、既に横浜市内の大学に推薦すいせん入学が決まっており進路の心配はない。気分はとても晴れやかだ。週末ということもあり、今日は横浜市内の短大や大学に進路が決定した友人同士で誘い合って「横浜視察を行う」と称して出かけて来たのだ。向かっているのは横浜市内に出来た新しいショッピングモールである。そこで待ち合わせて食事や買い物を楽しんだ後にカラオケでしめる盛沢山のスケジュールに今から心が躍っていた。

 

「着いたら、まずはトイレで制服着替えなきゃね。」

 

そうつぶやいて角を曲がったとき、異変は起こった。まずは七海の視界が真っ暗になった。次に空中から落下するような感覚。とっさに身構えそうになったが、1cmも落ちることはなく着地。そして寒気かんき、先ほどまでの暖かさがウソのようだ。視界の回復と共にまわりの様子が徐々に判ってきた。暗い、そして息が白い。先程までの暖かい日差しは無く、やたらと冷たい風が吹く草原のような景色が目に飛び込んで来る。空には妙に赤い月が浮かんでいた。足元を見ると自分の周り、半径50cmくらいの範囲だけが先程歩いていた歩道のままだった。

 

「え? えっ? なにこれ? ええっ! 皆は? 皆は無事なの?」

 

待ち合わせている友人達と連絡を取ろうとスマートフォンを取り出そうとした瞬間。

 

「ゴルルゥゥッ!」

 

背後で、何かけものらしき生物のうめき声が聞こえた。七海の背筋が凍り付く。初めて聞いたはずなのに、どこかで聞いたような覚えがある。それは昔、動物園で聞いたライオンやトラのうなり声とそっくりだった。腹にひびく低音が、その体躯たいくの巨大さを示していた。

 

「ひっ! きぃっ…。」

 

思わず悲鳴を上げそうになったがギリギリで押しとどまった。ここで下手に声を上げたとしたらどうなるか、想像も着かない。ただ本能だけが七海に命じていた。声を上げてはいけないと。手にしたスマホをブレザーのポケットにゆっくり戻しながら、スポーツバッグを静かに地面に置く。大したものは入っていない。邪魔な物は出来るだけ置いて行こう。妙に冷静に、そう考えた。そっと周りを見廻すと100m程先に明かりの付いている建物が見えた。どこか見覚えのある赤いライトがまぶしく感じる。背後に気を配りながら、一歩二歩と静かに歩き出した瞬間!

 

「ゴアァッ! ゴゴァッ!!」

 

「ひぃぃっ! いやぁぁっ!」

 

不意に後ろから威嚇いかくするような獣の叫び声がとどろき、七海の心臓を鷲掴わしづかみにした。同時に短い悲鳴を上げながらも彼女のしなやかな両足は動き出していた。50m走ならば7秒を切るほどの健脚けんきゃくだ。あっと言う間に周りの景色が後ろに流れて行く。が、相手が大型の肉食獣ならば、それは空しい足掻あがきにしか過ぎないだろう。七海は冷たい汗をきながら必死にふとももを上げた。

 

「ゴンッ!」

 

大きな衝突音らしきものがどこからか聞こえたが、振り向いて確認する余裕など無い。頭の中はしろだった。建物の入り口、アルミサッシの引き戸を開けながら室内に飛び込む。確実に自己新記録は更新したはずだが、今はそれ処ではない。

 

「助けてっ! けものがっ! ここ交番ですよね? おまわりさん、助けてぇっ!」

 

床にぺたんと座り込んでそう叫んだ直後、七海は気を失った。

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