高成編 『三日目の昼』(3)


「そうですか。では今日が運命の分かれ道、ですね」


 有仁がにこにこしながら告げる。

 そう、今日がその三日目。大抵、三日経たずにほとんどの女房がいなくなり、かろうじて三日勤めたとしても、四日目の朝を迎える頃には誰一人残らない。

 僕が今日くらいは屋敷に帰ろうと思ったのも、明里ちゃんがどうするか気になったから。


「べ、別に、どうでもいい! オレはあいつを辞めさせたいんだけど!」


 狼狽えながらも声を上げた幸成に、嘘だな、と言いそうになる。半分口を開きかけた僕をちらりと見たあと、幸成は僕から視線を逸らしながら呟く。


「……でもあいつ、案外しぶといから」


 幸成から落ちる小さな声に、目を瞬く。

 案外しぶとい、か。今までの歴代の女房たちにはない評価だな。

 どうやら幸成は明里ちゃんのことを他の女房たちとは違うと感じているみたいだ。

 明里ちゃんは幸成にいじめられてもへこたれずにどこ吹く風というように、うまくかわしているように見えるのも事実。


「……まあ、失敗しても改善しようとする意志は見える。俺より早く起きようとしては失敗しているが、一日目の夜より二日目の夜のほうが早く起きてきた。俺に言わせればまだ頑張りは足りないが、その姿勢は評価する」


 哲成の朝はものすごく早い。日の出よりも早く出仕するような人間なのに、そんな哲成に合わせて明里ちゃんも深夜から仕事を始めている。

 元々は下級とはいえ貴族の姫君なんだから、こんな生活さっさと逃げ出しても構わないのに。

 それでも逃げもせずに僕らみたいな曲者三兄弟を相手に、真剣に仕事に臨んでくれていることに敬意を払いたい。


「明里殿は哲成と幸成から見てなかなか高評価ではないですか。いつもはボロカスに言って辞めさせるくせに、奇跡のようなものですよ。それで、高成は彼女のことをどう思っているんです?」


 有仁が僕に彼女の評価を振ってくる。


 そうだな――。


「仕事上のことは、彼女に対して何にも不満はないよ。頑張ってくれているし、弟たちの評価がそれなりに良いだなんて今までにないことだから、このまま居ついてくれたらいいなと思う」


 三日以上、明日も明後日も、いてくれたら――。


「それに屋敷に可愛い女性がいてくれるだけで僕は十分だ。でもまあ、明里ちゃんは僕に靡かないんだよね。僕にとってそんな姫君なんて、正直何の楽しみもないんだけど、でも〝布〟に負けたままじゃ、男として引き下がれないんだよね」

「え? 布?」


 有仁が目を丸くする。

 彼女は僕も、もちろん弟たちも眼中にない。

 彼女が心奪われているのは、数々の色と美しい織物、そしてそれを重ね合わせて楽しむ、かさねの色目だけ。

 それは今まで落とせなかった姫君はいない、百戦錬磨の春日高成としては、俄然燃える。


「布がなんだ?」

「何、布って」

「いや、何でもない。そのうち話すよ」


 あの一言が衝撃的すぎて、まだ心の整理がついていない。

 でもだからこそ、僕は彼女に興味を持った。

 人に執着しない僕だけど、もっと彼女のことを知りたくてたまらない。

 ただ、ものすごく頑張って手に入れた瞬間、色あせてしまわないことを祈りたい。


「とにかく、もう一度言うけれど、二人とも明里ちゃんをいじめないでね」

「はあ? いじめてなんかいないから!」

「俺もそんなつもりはない。ただの大きな家具くらいにしか思っていない」


 抗う二人に向かって微笑む。

 そうかな? 少なくとも興味は持っているはず。

 僕は、明里ちゃんが僕らの日常をより良いものに変えてくれると信じているけれどね。

 哲成と幸成がそんなことを言って抗っても、兄上はわかっていますよー、みたいな雰囲気を醸し出してにこにこ微笑んでいると、弟たちはバツが悪そうに適当な言い訳をつけて僕と有仁から離れる。


「……わたしも明里殿に会ってみたいですねえ」


 有仁が遠くに歩いていく哲成と幸成の背を眺めながら呟く。


「また機会を設けて紹介するよ。――でも明里ちゃんに手を出したら今後春日家は有仁に手を貸さないから」

「ふふ。高成だけではなく、哲成と幸成も、ですか。それはなかなか辛いですねえ」


 有仁は扇で口元を隠しながら、くすくす笑っている。


「春日家にとって、そんなに大事な女性ならば、帝の耳にも入れておかなければ」

「やめてよ。主上の耳に入れたら、絶対に明里ちゃんに会わせろって言うだろうから」


 まあ、彼女は下級貴族だから内裏にも上がれない。彼女と主上が会うことはないだろうけれど、何だろうこの不安は。

 いやだな。僕のカンは結構当たるんだよね。


「ええ。間違いなくそうおっしゃるでしょうね。いやあ、随分と楽しくなってまいりましたね」

「全然楽しくないから。本気でやめて」

「高成がそんなに拒否するなんて珍しい。独占欲なんて持ち合わせていない男だと思っていましたが……」

「あのね、僕だってちょっとくらいはあるよ」

「そうですか、そうですか。いやあ、楽しくなってきました!」


 扇で口元を隠すことをやめて、有仁は破顔する。


「それで、どうします? もう少し彼女の話を聞きたいので、わたしの屋敷に来ませんか?」

「……そうだね。ちょっとだけ行くよ」


 いつも夜にいない僕が急に帰っても明里ちゃんは困るだろうし、深夜を過ぎたらこっそり帰ろう。そして、三日目の壁を越えて四日目の朝日が昇るのを見てから、明里ちゃんに会いに行こう。

 この大きな壁さえ越えたら、ずっと一緒にいてくれるような気がした。

 ただの僕の希望だったけれど。


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